鈴木寛「20~30年の間には、日本の財政は間違いなく破綻する。今からでも備えられるんだから、安心してください」
スズカンこと鈴木寛(本名はすずきひろし)。東京大学や慶応大学で教授として教鞭をとりつつ、一方では日本サッカー協会理事として、はたまた文部科学大臣補佐官として…と、オールマイティーに活躍する、日本を代表する社会学者である。様々な“顔”をもつスズカン先生に、今回は学者としてインタビュー。現状の社会保障体制が抱える問題点について、またその解決につなげるための根本的な考え方について話を聞いた。
文責/みんなの介護
破綻のシミュレーションをする。そして再建のプログラムをデザインする。それが“備える”ということ
みんなの介護 様々な分野で活躍している鈴木さんですが、今回は学者・スズカンとして話を伺いたいと思います。先生の目から見て、現状の、そして未来の社会保障はどのように見えていますか?
鈴木 まず全体を見渡して言うことがあるとすれば、「すべての社会保障を守ることは、もうできない」ということですね。それくらいの現状認識というか、危機感をもった方が良いというのが、私のメインメッセージです。
みんなの介護 社会保障…ひいては日本財政が逼迫しているという話は方方から聞こえてきますが、それに対する危機感が足りない、と。
鈴木 私が教壇に立っている大学の、あるいは私のいろんな勉強会に来てくれる高校生や大学生たちには、毎日のように言っているんですよ。「君たちが50歳くらいになる頃までには、つまり20~30年の間には間違いなく財政は破綻するから、安心しなさい」と。僕の予言は必ず当たるから、その日のために今から備えられるんだから、安心しなさい、と。
みんなの介護 “備える”とは?
鈴木 破綻する…と言っても、いきなりゼロになるわけではありません。だから、ただ「破綻する」という言葉のインパクトによって思考停止せず、何が9割残って、何が7割残って、何が5割しか残らないのか…ということを予想して、備えることです。
私の大学のゼミでは10年前から同じことを言っていて、当時のゼミ長は私の教えを守ってギリシャに行きましたよ。「君はその目で破綻した後のギリシャを見てきなさい。何が壊れ、何が残っているのかを見定めてきなさい」と。例えばゴミ収集車が来ない…とか、そんな話なんですが、そういったことが具体的にわかるわけです。そういうことを今からちゃんと勉強して、それを日本にあてはめて、一つひとつ分析して、破綻のシミュレーションをする。そして再建のプログラムをデザインする。それが“備える”ということです。
みんなの介護 いったん壊れて、そこから再建する…という道は、過去にも日本が通ってきた道ですよね。
鈴木 そう。創造的破壊です。我が国の歴史はまさに戦後もそうだったわけです。要するに、悪循環を止められなかった世代が、敗戦を迎え、そしてパージ(=追放)される。そして、若い世代が一挙に責任を担うことになって、少なくとも50~60年の奇跡の大経済成長をしたわけですよね。
明治維新も同じことで、悪循環のパラダイムを若い世代が作り直したと。このようなことが、これから20~30年のうちに必ず起こります。そのXデーに向けて、今から準備をしなければいけません。
財政がここまで悪化した理由?政治家も、メディアも、そして国民も、みんなが悪かった
みんなの介護 そもそもですが、どうしてここまで逼迫した状況になってしまったのでしょうか?
鈴木 これはですね、誰が悪いということではないと、私は思っているんですよ。犯人探しをしてもしょうがない。政治家も悪かったし、メディアも悪かったし、そして国民も悪かった。そうしてずるずる来てしまったんでしょう。
まともに議論しようとする政治家は議席を失い、メディアはメディアの視聴率や発行部数のことばかり考え、国民も目先の消費税が上がるということを避けてきたわけです。
みんなの介護 消費税と言えば、導入当時、先生は与党の政調副会長でしたね。まさにあの頃、「税と社会保障の一体改革」という言葉が生まれました。それが今…先の参議院選挙でも大きく取り上げられなかったように感じます。
鈴木 これだけの支持率を誇る安倍政権でさえ、2回…いや3回か、消費税の引き上げをできなかったわけです。結局、どの政権であれ消費税を上げる決断をすれば潰えるということを、これまでで学習しているわけですね。で、その傾向はより強まっているということ。
消費税を上げるというのがどういうことなのか、単に目先の税収を上げるわけじゃないというアジェンダ設定を、政治家も、メディアもできなかった。あるいは、選挙とメディアというものを変えられていない。要するに、リーズナブルな熟議、議論のもとに、その国政選挙ならびに民主主義の選挙が成立しないということでしょう。
みんなの介護 消費税増税の議論は、「増税分を社会保障に充てる」という公約もあり、選挙の争点になってもおかしくなかったはずですが…。
鈴木 結局、消費税というのは高齢者世代間の再配分なんですよね。消費税は高齢者も含めたすべての世代が払うわけですから。その増税に踏み切れないということは、簡単にこの言葉を使うのは危険ですが、“シルバー民主主義”という社会ということなんでしょう。
みんなの介護 そんな社会の成り立ちに疑問を覚える層からは、選挙権をもてる年齢を変える、若者に票を増やすなど、「選挙制度自体を考え直さなければ」といった声も聞こえてきます。
鈴木 いや~、言うのは簡単ですけど、それは大変ですよ(笑)。近代憲法の票の平等という基本原則を変えるのは、近代憲法の枠組みの中で利益配分を変えるということより何十倍も大変ですよ。簡単な方ができないのに、近代憲法の枠組みの手直しにチャレンジするというような、そんな大それたことをするのは、今の社会では到底できないでしょう。
というか、その提案すら私には論点外しというか、ガバナンスの崩壊という現状を直視することからの逃避だと思います。やっぱりね、絶望を直視しないと次の本気は出てこないですよ。
年金が目減りしようとも、次世代を担う子どもたちと触れ合う方が高齢者にとって幸せじゃないか?
みんなの介護 確かに、“シルバー民主主義”という言葉を安易に使うのはミスリードの危険性がありますね。とはいえ、限られた財源の中で、どこに、どれだけの予算を割くのかという問題は、国政運営の中で避けては通れません。
鈴木 最初の話に戻りますが、国政の話で言えば、「すべての社会保障を守ることはできない」ということになります。そこで私は、「年金を切って、教育と医療に予算を回してください」と、ずっと訴えています。そしてその次に、介護を守ってください、と。
地方に住む高齢者にとっては、中央から若者が来た方が良いじゃないですか。「地方でもしっかりした教育を受けられますよ」「小児医療を含む急性期医療の体制がしっかりしていますよ」という社会をつくることができるならば、地方に住んだ方が絶対に良いわけですから。
みんなの介護 先生が「地方に住んだ方が絶対に良い」とおっしゃる、その理由について教えてください。
鈴木 いろいろありますが…例えば私の知り合いに、東日本大震災があった時に「福島の子どもを北海道に30泊くらい夏休みに避難させる」という活動をしていた友人がいて応援していたんですよ。そうしたら函館の近くの村で、子どもが来るからと言って、長年やめていた夏祭りを復活させて、おじいちゃんおばあちゃんたちがものすごく張り切ったそうなんですね。それだけじゃなくて、その時には医療費が激減したんだ、と。
まあ医療費の話は後づけで良いんですけど、結局おじいちゃんおばあちゃんの生き甲斐っていうのは、次世代を担う子どもたちと触れ合うことであって、通帳に貯まっていく年金が目減りしようとも、そっちの方が幸せなんじゃないか?ということです。
みんなの介護 “幸せ”って何だったっけ?という、深い話になりそうですね。
鈴木 ユーティリタリアン、日本語では功利主義という考えがあります。つまり、個々人の損得の総和を最大化するのを良しとする考え方なんですが、この考え方に立つと、シルバー世代は自分たちの年金が減ることについてはノー、ということになります。対して、リベラリズムという考え方もあります。
リベラリズムでは、一番かわいそうな人が最もハッピーになる不平等ならばOKだ、という考え方をします。そうすると、この社会にとって一番かわいそうな人たちは子どもたちなんだから、子どもたちにとってベストな、それは世代間で見ると不平等かもしれないけれどOKだよね、というのがリベラリズムの立場です。
世の中には、自分の損得じゃなくて、まさに社会の公正としての“幸せ”が実現されることを良しとする人たちもいるわけで。これがまさに公教育というもので、つまり教育がしっかりしてくれば、自分は損しても、公がハッピーになればいいと。
あるいは、コミュニタリアンという考え方もあります。これは、広くは日本というコミュニティが、また自分たちが住む地域のコミュニティが、あるいはテーマをもったコミュニティが存続することが、まさに共通善なんだ、という考え方。そのためにいろいろな投資、特に次世代への投資を進めるのが良いことだ、と。そうした認識や政治哲学を教育によって深めることができれば、シルバー世代の中にそういう考えが浸透すれば、いわゆる“シルバー民主主義”というのも違った捉え方になっていくはずです。だからこそ生涯教育が大事なんだと、私は主張しているんです。
経済クライシスのダメージを回避するために、私の研究室では東京から100km圏内に疎開地をつくっている
みんなの介護 「20~30年のうちに日本経済は破綻する。その点は間違いないので安心してください」は、“安心”という言葉とは裏腹に、不安でいっぱいになってしまうような内容でした。では、破綻するのが既定路線だとして、今のうちに考え得るプランニングはないのでしょうか?
鈴木 ありますよ。今、私の研究室で何を考えているかというと、東京からだいたい100kmくらいのところに、いろんな意味での疎開地を作っておこうということです。というのも、危機というのはいろんなレベルで起こるわけですよね。個人のレベルで起こる場合もあるし、それから家族のレベルで起こる場合もある。会社のレベルでもあるし、地域のレベル、国のレベルでもある。
一方では、避けられないクライシスも考えられますよね。自然災害はあるし、パンデミックの大流行があるかもしれないし…その中には当然、経済破綻もある。そうした中で“キャッシュミニマム”な社会というのを、東京から離れたところでつくっておけば、特に経済クライシスの場合のダメージを少なくすることができるんです。
みんなの介護 具体的には、その東京から100kmのところでどのような生活を想定されているのでしょう?
鈴木 東京から100kmのところであれば、住む家はあるでしょうし、食べ物は物々交換…と、住まいと食事がある程度は約束されます。つまり、やはり農山村の方がキャッシュを使わずに生きていくことができるわけ。こうして衣食住のコストはミニマムに抑えておいて…問題となるのは教育と医療介護ということになります。教育は大人たちがボランティアで教えれば何とかなるので、最後に残るのは医療介護ということになります。
医療介護の中でも、急性期医療にはキャッシュをかける財政がクラッシュしたとき、例えば税収が5割になったとしても、残った税収・資産はともかく急性期医療にあてて、慢性期と介護はその次。むしろ、慢性期医療は、食事と睡眠と運動で予防する。介護も互助でがんばり、キャッシュを最小化する。さらに衣食住は後回しに…という優先順位を、今のうちにデザインしておくわけです。
みんなの介護 農山村であれば身近に作物がありそうですし…、そういう意味では都市部では食べるものにも本当に困ってしまいそうです。
鈴木 都市部では、そのへんに野菜が余っているなんてことはないですから、飢え死にすることだって考えられますよね。なんてことを、考えてばかりでは始まらないので、大学のゼミや、大人の方向けの「社会創発塾」では、群馬県南牧村や千葉県南房総地域で実際に古民家を借りての社会実験を始めているんですよ。まさにリサーチ・バイ・ドゥーイング、です。
南牧村では毎週土曜日に入れ替わり立ち代りにいろんな人が行って、南牧大学というNPO的活動も立ち上げて。具体的に、貨幣経済がクラッシュしたときに、人間がどこまでキャッシュミニマムで生きていけるのかということについての、ある種の実証をやっています。
それから、今関心をもっているのが瀬戸内。都会が破綻する…と考えると、関西圏から100kmに位置するあたりにも注目しています。瀬戸内海は全部が生け簀みたいなもので、田畑も含めて食べ物が豊富だし、要するに飢え死にしない土地。かつ、歴史を紐解いても、邪馬台国でさえあそこを通って奈良に行ったわけで、3000年もの間、貨幣経済、あるいは国家が十分に成立する以前から人が生きていたわけですから。
要するに何が言いたいかというと、今、近代国民国家システムが壊れようとしているわけです。明治維新から考えると、約150年かけて作り上げてきたものが崩壊の危機を迎えている。だけど、その前から残ってきたものは、これから先も残っていくわけですよ。50年続いたものは50年の命、500年続いたものは500年の命…と考えると、この150年より前から続いているものは何なのか?を考えるのは非常に大事だということです。それもあって、瀬戸内に注目しているんです。
オリンピックの後の財政は危ない。2022経済クライシスは来ると思った方が良い
みんなの介護 先ほどの先生の考えで言うと、例えば神社仏閣なんかは残るでしょうね。反対に、役所関連…県庁や市役所などの存続が危ない、ということになりますか?
鈴木 そうです、なくなるかもしれませんよ。事実、ギリシャなんかでは教員に給料が支払われなくなって、教育がストップしてしまいました。公務員に給料が支払われなくなって、公務員が国から去ってしまったんです。ギリシャの場合は、ドイツの支援があったので持ち直しましたが、日本の場合は影響が大きすぎて誰も手を差し伸べてくれないでしょう。そういう意味も含めて、貨幣経済がクラッシュするととてつもなくダメージが大きいと、私は言っているんです。
そういったようなことについて一つひとつ歴史を紐解きながら、思考を積み重ねながら、いろんなシミュレーションができないか、と。先日も愛媛県に行ってきたばかりなんですが、愛媛県だけで、わずか数年の間に空き家が20万戸も出てきているんですよ。これは、我が国が財政破綻のリスクに陥ったときに、疎開地になり得るということも意味しているわけです。20万戸であれば、100万人は受け入れ可能です。
財政がクラッシュした時のことを考えると、瀬戸内海や都市部から100kmくらいの場所に。例えば都心部の機能が麻痺しても、一都三県3,000万人のうち1割の300万人を、または2割の600万人を、どのように都市部から100kmの場所で受け入れられるかを考えていかないと。
みんなの介護 東京からだと、先生がおっしゃる群馬県や千葉県の他にも、栃木県や山梨県もそうですね。そのプランを、今のうちに考えておくことが大事ですね。
鈴木 そうですね。要するに、クラッシュしたときのプランをしっかりもっておくのは非常に大事で。これはすごく逆説的なんですが、なにか大変なことが起こったときに、「でも大丈夫だ。群馬に行けば良い」「千葉に行けば良い」「静岡は何人受け入れてくれる」「瀬戸内海に帰る」というふうに、あらかじめ生き延びていくためのプランが用意できていれば安心じゃないですか。まぁ、できればこのプランは使いたくはないんですが。
みんなの介護 確かにその通りです。
鈴木 備えあれば憂いなし、です。どうせクラッシュするんだったら、早いうちに2割クラッシュしたほうが、問題を先延ばしにして5割クラッシュするよりも良いかもしれないですよね。あとね、こんなことを今言うのも水を差してしまうようですが、オリンピックの後は危ないですよ。
みんなの介護 2020年の東京オリンピックの後、ですか?
鈴木 前回のオリンピックの後もそうでした。山陽特殊製鋼をはじめとした大型倒産が続くなど、あの経済右上がり基調のときでさえそうだったんですから、この右下がり基調の今の日本がこのまま東京オリンピックを迎えたら…、2022経済クライシスは来ると思った方が良いですよ。
これを機に何か新しいライフスタイルへのシフトを考えざるを得ないというのが現状です。もちろん私だってそんなことは全然望んでいるわけではないですよ。望んではいないけれど、経済クライシスが極めて高い確度で起こってしまうのであれば、それに対してプランをもっておかなければいけないでしょう。
幸せをつかむという行為はアート。今の日本人の多くにそれができないのは、つまるところ教育が悪いから
みんなの介護 都心部から100km圏内での疎開地を…という先生の考えは、ある意味で、国が進める地方創生という考えと合致するところがありそうです。
鈴木 地方創生を実質化していく必要がありますよね。ただ、一律に上手くいくわけではなくて、本気でしっかりちゃんと考えている市町村では、そういう備えがちゃんとできていて。自治体ごとに温度差はあるにせよ、約1,500ある自治体のうち、2割くらいはちゃんと考えられているんじゃないかな?という感じがしていますが。
みんなの介護 必ずしも首長である必要もないですよね。今、元気があると言われている自治体の中には、民間が音頭を取って地方創生プログラムを進めているところも多いようです。
鈴木 その通りです。民間でもいいし、誰でもいい。必要なのは、お上頼みはもうダメだと覚悟することですね。多くはまだ、東京の方を向いていたり、すっからかんの中央政府のお金を頼っていたりするわけですが、頼れるものなんてもうないんですよ。キャッシュミニマムでもやっていけるんだという自覚のもとでやらないといけないんですよ。
良い例がJリーグです。Jリーグっていうのは、東京から幸せを誘致してくるんじゃなくて、自分たちの幸せは自分たちで作るんだっていう覚悟ができたところから始まったんですよ。それまでは、巨人戦の誘致だったわけ。あるいは、東京に本社がある企業の工場誘致だったわけですよ。でも今は、考え方を変えなきゃだめ。幸せは誘致できないんだって。いくら東京のコンサルタントに聞いてきても、知恵はないんですよ。なぜならば、一般普遍解はもうないんだから。生き残るための術は、個別暫定解の積み重ねなんだから。言ってみればこれは、全部がアートなんですよ。
みんなの介護 幸せをつかむ行為はアート。これは個人にも言えるような気がします。自分がどうしたら幸せになれるのかをデザインする、ということですよね?
鈴木 自分で考え、自分でデザインし、あとは誰かに助けてもらうことも考えなければ…ですが、考えることとデザインすることは自分でやらなきゃいけないでしょう。それをしない方が多いというのは、やはり教育が悪いんだろうと思います。
みんなの介護 教育…ですか。
鈴木 そう、教育。私は今、大学入試改革をやっています。なんで今みたいな状況になったかと考えると、択一問題がいけないというところに至ったんです。今はセンター試験を毎年55万人が受けていますよね。あるいは、私立文系の有名どころは択一問題ばかりを出している。これをやっている限り、この国にクリエーションとかイノベーションとかはないっていう結論に達したんです。
択一問題というのは、選択肢を与えられて、それにいちいち粗探しをして、消去法で選ぶというもの。日本の教育が徹底して消去法思考になってしまっているわけです。これを、高校生の一番頭が柔軟な3年間で徹底的に身につけさせられるわけですから、若者の思考が消去法になってしまっても不思議はないですよね。
センター入試からマークシート、択一問題をぐっと減らして、記述式の問題を増やします。白地の答案用紙、白地のグラフ用紙に自ら書くのは大変なエネルギーがいりますよね。でも、やります。日本人の思考パターンを変えてやろうと思って、2020年から入試の抜本改革を始めるので、期待していてください。
本気で、歯を食いしばってでも自分の与えられた裁量の中で最善を尽くすという覚悟をかためないとダメだ
みんなの介護 前半、公的な、国民に共通の“幸せ”を追求するような公共教育を推進して、シルバー世代も含めて、その考え方を浸透させなければ、といったお話をいただきました。ただ、ものすごく高いハードルであるようにも感じてしまいます。
鈴木 難しいですよ。でもね、政治も悪かった、メディアも悪かった、国民も悪かった…という絶望的な過去を辿ってきた中でも、それぞれに裁量権を持ってはいるわけで。そんな中で、私はまだ、熟議の民主主義を諦めてはいないんですよ。
みんなの介護 「熟議民主主義」というのは、先生が文部科学省の副大臣だった頃に掲げたビジョンですね。“熟議”の定義を、文部科学省の資料から引用します。
熟議とは
より多くの現場関係者が公共圏に集い・連携・協働して、まずは情報を収集・共有・学習し、直面する問題の状況と構造を理解し、議論を熟し、熟議を通じて、直面する問題についての理解と信頼が深まり(社会資本が増加)、自ずと解決策が提案され・洗練され、それぞれの役割(人・モノ・金・情報)が浮き彫りになり、衆知を集め、エネルギーを結集して、みんなで汗をかいて、協働することにより、それぞれが自覚と尊敬と感動をもって問題解決にあたる。
鈴木 熟議民主主義を通じて、有権者それぞれの利害の集計ではなくて、みんなが当事者として熟議をすることによって、いろんな気づきや学びを得て、悪循環になっていることに気がつきます。そうして、好循環にするためにはどうしたらいいのかということをだんだん深く理解し、信頼関係ができ、自分だけがバカを見ないということに信頼関係が醸成される。さらに、協働コラボレーションが創発する必要条件というのが「熟議」なんですよ。
私がずっと提案し続けているコミュニティ・スクールもそう。今、3,000校まで増えてきて、ようやく芽生えてきたのかな?という実感が出始めたところです。
みんなの介護 コミュニティ・スクールの話が出たので、少し説明させてください。公立学校の運営や管理に際して、地域住民が積極的に関わっていくスタイルのことですよね。これはやはりボランティアが多いのでしょうか?
鈴木 そうですね。今、小学校・中学校あわせて約600万人の人がボランティアをしてくれています。1億人の大人に対して600万人…というのを多いと見るか少ないと見るかですが、少なくとも目覚めた市民が600万人はいるわけです。本当は1,000万人くらいいくところまで考えているんですが。
みんなの介護 スピードがなかなか追いつかない、という感じでしょうか。
鈴木 それでも、やり続けることは大事で。例えばですが、みんなが右へ5度、左へ5度くらいの裁量の幅はあるわけで、全員が5度ずつ良い方へ頑張れば良いじゃないですか。教育も5度頑張る。メディアも5度頑張る。政治も5%頑張る。そういうことを続けていけば、そのスパイラルで好循環に戻る可能性はゼロじゃないですよ。
つまりどういうことかと言うと、このままいけば本当にクラッシュしてしまうという現実をきちんと直視して、本気で、歯を食いしばってでも自分の与えられた裁量の中で最善を尽くすという覚悟をかためないとダメだということですね。
商業メディアの改革も含めて漢方薬的な体質改善のアクションを起こしてきたが、解雇されてしまった
みんなの介護 こうした現状の危機感を訴求するために、やはりメディアのもつメッセージ力というものが大きいと思いますが、その点についてはどう思いますか?
鈴木 その通りだとは思いますが、テレビは無理ですよね。特に地上波は。地上波は経営が相当悪化しているし、これだけ地上波が経営問題を考えざるを得ない局面になれば、視聴率至上主義はより激化して、そこから直ることはないでしょう。それは商業メディアの常というものです。やっぱりね、「上げて落として2度美味しい」。で、そこに理性を求めるのは無理というものです。例えばですが、私は舛添さん(前東京都知事)を支持するわけじゃないけど、別に辞めなくても良い話でしたよね。
私の友人の中にはテレビ番組を作っている人がいますが、「舛添さんのアレ、本当はやりたくないんだよな」なんてボヤいていましたよ。だけど、数字(視聴率)が取れてしまうから仕方がない。私は別にメディア批判をしているわけじゃなくて、商業メディアの怖さを伝えたいだけですよ。つまるところ、商業メディアというのは、最後には経済的価値の話になるんですが、そうすると、自分の功利を超えた理想は成し遂げられるのか?という話になるわけです。
みんなの介護 その理想を実現できないから、今みたいな状況になっている、ということですよね。
鈴木 そう。理想と現実の狭間で、はたと詰まってしまうわけです。そこに危機感があるからこそ、私は教育問題を掲げ、熟議民主主義によって解決を図ろうと、ある意味、漢方薬的な体質改善を提案するようなアクションを起こしてきたんです。しかし、それに対するメディアの支持はなく、それどころか解雇されてしまったわけです。(※鈴木寛氏は2013年の参議院選挙で落選)
みんなの介護 メディアの役割とは何だ?という話ですね。
鈴木 その前に、やはり日本はメディアリテラシー教育がなされていないのが大きな問題で。1920年にアメリカのジャーナリストで政治学者のウォルター・リップマンという人が「世論」という本を書きました。そこでは、ジャーナリズムというのは世の中のステレオタイプを正すのが本来の姿だけれども、商業メディアは世の中のステレオタイプを利用して発行部数を増やす、と言っています。
「現場の記者たちが一生懸命ジャーナリズムをやろうとしても、それが発行前に見出しだけ書き換えられて商業メディアになってしまう」ということを、1920年にすでに発表しているんですよ。あるいは、1960年にドイツの哲学者、ユルゲン・ハーバマスという人が「公共性の構造転換」ということを言っています。本の中で、大衆民主主義になってテレビやラジオが入ってきたら、代議制民主主義議会における選挙は見せ物になってしまう、と言っているんです。大事な政策論争が人物スキャンダルにすり替えられてしまうということを、数十年前に予言しているわけで、その通りのことが今、日本で起こっているんですよ。
みんなの介護 メディアの本質というのは、いつの時代もある意味で普遍なのでしょうね。
鈴木 だから古典は読まなきゃいけないんです。日本では、そのことを知らない人たちが商業メディアにどんどん入っていくわけですが、アメリカやイギリスにおいては、少なくとも大学の修士号をもったジャーナリズムのプロフェッショナルスクールで徹底的に教えられるわけです。
このリップマンや、あるいはドイツの哲学者、ハンナー・アーレントの「全体主義の起源」を徹底的に読んで、ナチスがどのようにしてできたかとか、ドイツ労働者党第3代宣伝全国指導者だったゲッペルスが何をしたかといったことを徹底的に教えられて。それでもアメリカはトランプを祭り上げるような事態になってしまっている。メディアリテラシー教育もやってきていない、ジャーナリズムのプロフェッショナルスクールもない我が国にあって、何をかいわんや、というわけです。
ディスることしかできない連中に、イノベーションやクリエイティブなことができるはずがない
鈴木 これは10年くらい前から起こっている由々しき事態なんですが、極めて有力な進学校にいる高校生が勉強をしなくなってきているんです。なぜか?何かあれば社長はお詫び会見、政治家や役人はバッシング、医者は1001回目の手術に失敗したら業務上過失致死罪でつかまる。要するに、いわゆるベスト・アンド・ブライテストと言われているような優秀な人、社会的なリーダーと言われている人が頭を下げている姿を、ボロクソに叩かれている姿ばかりを、テレビが流しているからです。
結局、日本にとってのベスト・アンド・ブライテストは表舞台から退場していますよね。私みたいに退学させられたのもいるし、自主的に逃げている人もいる。これからの新規参入はもうないですよ。
みんなの介護 それもメディアリテラシー教育がなされていないことの弊害ということですね。
鈴木 ベスト・アンド・ブライテストが退場していく一方で、批判することばかりを覚える人が増えている。いわゆる“ディスる”ことしかしないのは建設的じゃないですよね。「じゃあお前がちゃんとした意見を言ってみろよ」と言われても、ディスられるのが嫌だから、そのリスクは絶対に冒さないわけ。そんな人間にイノベーションやクリエイティブなことができるわけがありません。
みんなの介護 メディアリテラシー教育の不足とインターネットやSNSの普及とが、不幸にも重なってしまった感じです。
鈴木 結局ね、文化というのは人とのコミュニケーションであり、それを形作っていくのは教育だということです。それは学問上のことだけじゃなくて、音楽ができれば、サッカーができれば、いろんな人とのコミュニケーションが深まるし。そういう意味では、文化やスポーツも重要です。
我々は「ソーシャルビジネスモデル」という言い方をしていますが、これは経済的な意味だけではなく、社会的にも人間的にも幸せの再定義をしないといけません。本当の意味での幸せとは何なのか?ということをちゃんと問い直しましょう、と。
そういう意味では、教育をしっかりやることはコミュニケーション力を豊かにしていくために非常に重要。そのための新しいソーシャルビジネスモデルを確立するために、今からしっかりと思考を開始しなければなりません。つまるところThink、そしてTry。とにかくそれを我々はスタートさせていくので、まあ見ていてください。
撮影:公家勇人
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