石蔵文信「ごはんを食べられなくなったら、人間は5日くらいで安らかに息を引き取る。そんな“平穏死”を推進する医師や病院も増えている」
石蔵文信氏は1955年生まれで、団塊世代の下の世代にあたる。循環器系の専門医として救急医療の現場に勤務していた経歴の持ち主だ。定年退職をした夫のうつが妻のうつを引き起こす「夫源病」という言葉の生みの親でもある。そんな石蔵氏は、昨今の高齢者救急医療のあり方や死に対する我々の考え方に警鐘を鳴らす。そして、“多くの年金をもらえることが幸せだ”という価値観に疑問を投げかける、氏の真意とは?
文責/みんなの介護
高齢者の救急医療の現実。無理な医療措置を行うことは果たしていいのだろうか
みんなの介護 石蔵先生は医師としてご活躍され、著書もたくさん出されています。現在の介護業界や高齢者医療について、問題と思われることはありますか?
石蔵 今の介護って、何かあればすぐお医者さんに、という傾向があるでしょう。でもそれでは医療費がいくらあっても足りません。超高齢者は、何かあったらそれが天寿と思った方が良いかもしれません。それから、なんでもできる自立した人を施設に入れてしまうというのも、考え直したほうがいいことだと思います。
みんなの介護 “なんでもできる人”というのは、身の回りのことを自分でできる人のことでしょうか?
石蔵 そうです。どうしてそういった人を施設に入れるのかというと、一番多い理由が「心配だから」。介護が必要な程度は人によって違うだろうけれど、多くの施設には“自立”できている高齢者でも入居できる、いわゆる“24時間医師・看護師が対応するから安心”というところがあるでしょう。
私はよく「医者がいるほうがえらい目にあってしまう」と言っています。どうしてかと言うと、救急医療をやってきたから思うことなんですが、80、90歳の人が救急で運び込まれることもあるわけです。そういった高齢の患者さんに心臓マッサージをすると、あばら骨が折れたり、管をたくさん入れて何とか蘇生して病室に運んでも、1週間ほどで亡くなることが多い。
救急車を呼ばれると、救急隊と救急病院は何もしないというわけにはいきません。なぜなら、何もしないと訴えられる可能性があるからです。もちろん、患者の家族はつい「できる限りのことをしてください」と言いますよね。そういわれると、病院は処置をやらないわけにはいかないから「できる限りのことをやります」と答えてしまう。でも、できる限りのことをすれば、ものすごい医療費がかかってしまうのですよ。患者本人は、あばら骨を折られて、管を入れられて点滴を入れられて、数日たつと体中が浮腫(水分過剰)になって亡くなられる…というのが、高齢者の救急の現実です。
みんなの介護 年齢を問わず、誰かが急に倒れたりしたら救急車を呼ぶ、というのは至極もっともな流れだと思うのですが…。
石蔵 そういうときに、救急車を呼ぶというスイッチを押さないで看取りの先生に電話をすれば、自宅に来ていただいて、脈をとってもらい“ご臨終です”というふうになるかもしれません。救急病院で処置されるのと静かに看取られるのでは医療費がかなり違うと思います。救急病院でお金をかけて処置をしたとしても、今説明したように、多くの場合、本人は苦しむ可能性が高い。たくさんのお金がかかっているのに、本人もつらい、医療関係者も大変という問題が生じます。救急隊が呼ばれる回数も増えているという問題もあります。
ある先生が「救急車を呼ぶということは“平穏死”ができないスイッチを押すことだ」と言っておられましたよ。
みんなの介護 平穏死とは、芦花ホームの石飛先生が提唱している、安らかな最期の迎え方のことですよね。
石蔵 石飛先生とはよく交流しています。私らは「生き方死に方を考える社会フォーラム」をやっていますが、私らが今から10年、20年前に診た末期がんの患者さんは、1分1秒でも長く生きてもらうために挿管とか点滴とかをするわけです。それは、はた目から見ていても苦しそうです。次第に水が溜まっていって、仕方がないので胸や腹から水を抜く。でも次の日は、同じように胸や腹に水が溜まります。
看取りをやっている石飛先生にお聞きすると、ごはんを食べられなくなるのは、体が受けつけないわけだから、点滴などをしなければ5日くらいで安らかに息を引き取られるらしいです。そうなると余裕をもって家族で集まることができる。それが平穏死というものです。本人も楽、家族も余裕のある、お金がかからない死に方なんだけれど、唯一の欠点をあげるならば、医療側の収入にならないのです。
最近では、政府は、在宅で看取ったときの医療報酬をある程度高くして在宅での看取りを勧めています。このような財政誘導で“平穏死を推進してくれる”病院や医院が増えてきているようです。
死は“負け”ではない。ある程度のところまできたら家族も覚悟をすべき
みんなの介護 我々、病院を利用する側として気をつけなければならないことは。
石蔵 さっき言ったような「できる限りのこと」をやろうとする病院に入ると、苦しいし、しんどいだけだから、みなさん方の考え方を“安らかな最期の迎え方”に向けることですね。“何もしない医療が悪い”と思わずに、人、特に超高齢者が食べられなくなったとしたら、それは自然死が近いということだから、治療する医療より看取りを考えたほうが良いと思う。
みんなの介護 “何もしない医療”を受け入れるということはすごく勇気のいることですね。
石蔵 死が負けではなくて、患者さんを看取ってあげるということはすばらしいことなんだと皆が思うようになると、看取りが生きがいになっていくスタッフもいるわけです。むしろ、「点滴をしたり胃ろうにしたりするほうが、心が荒んでくる」と打ち明けるスタッフもいる。ある時期にさしかかったら過度の医療措置や介護をするのではなく良い看取りをするんだ、という意識になれば、すごくやさしくなれる。きちんと看取りをしたほうが利用者本人のためにもいいし、家族にとってもいいと思うのです。
石飛先生が提唱してから、介護の現場でも胃ろうはだいぶ減ったんじゃないかな。私の友達に、胃ろうを作ることを専門としている消化器の医者がいるんですが、彼と5年前に会ったときは「毎週作らなきゃ」と言っていた。それが、この前会ったら「月に1つもやっていない。ものすごく減った」と言っていた。
超高齢者が胃ろうをすると、3年から5年くらい“長生き”できるかもしれない。“長生き”というのは“心臓が動いている”というだけでね。胃ろうをするということは、口から食べられなくなったということ。十分食事が食べられなくなったら、胃ろうをせずに平穏死にもっていきましょう、と家族が同意すると、そこから1か月くらいでほとんど食べられなくなり、何も食べられなくなってから4、5日で亡くなられるようです。
みんなの介護 とはいえ、“目の前の患者さんを何とかしなければならない”と思っている人もまだまだいると思うんですね。
石蔵 多少いらっしゃるとは思いますが、今は、訴えられるか、訴えられないかの問題の方が大きいようです。ほとんどの救急医は、90歳のおじいちゃんが運び込まれてきて、“何にもせんほうがいいのに”と思うでしょう。「おじいちゃーん!おじいちゃーん!」って言っている家族に、先生が「どうしますか?」と聞くと「できるだけのことをしてください!」と言っちゃう。家族は何気なく言うんだけれど、医者にとってみたら“できるだけのこと”って、“ここの病院にあるすべての医療機器を使わなければ訴えられるのではないか”と思ってしまうわけです。
命は地球より重い?地球がなくなったら人類はもとよりすべての生命が失われる
みんなの介護 一筋縄ではいかないと思いますが、大事な家族が死ぬか助かるかという状況になったら、やっぱり「何とかしてください!」と思うものだし、言ってしまうのでは。
石蔵 だから、家族の修行が大事なんです。かなり弱ったおじいちゃん、おばあちゃんが倒れたときに、例えば、パニックになって救急車を呼ぶよりは、ちょっと一息おいて、看取りの先生を呼ぶというシミュレーションをしておく、というのが大事だと言われています。
まわりに家族がいるということは安心かもしれないけれど、いわゆる“よい死に方”ができない可能性があるということを知ってほしいですね。ある程度のところまできたら、家族も覚悟をしないといけない。“このおじいちゃん、おばあちゃんは今度あったら死ぬんだよ”という覚悟をして、看取りの先生に毎週来てもらうのが一つ。これも医療費はかかるけれど、救急医療に比べたら安いもんですよ。それに、死に方がよりいいと思うんです。よい看取りをしながら、家族も満足して、本人は逝ける。
こういう話をすると決まって“命って地球より重いんです!”とか何とか言う人がいますが、その人たちには「地球がなくなったら人類はもとよりすべての生命が失われる。やっぱり地球の方が断然重いでしょう」と問いたいね。やっぱり、年を取ってくれば適切なところで命を全うしないと、残された人に迷惑をかける可能性が高い。高齢の親の介護で一生を棒に振る家族もいるわけです。例えば、これから昇進していくときだったり、子どもの教育費がすごくかかってきてお金が必要なときに介護離職なんて悲惨です。
みんなの介護 今は介護離職で悩んでいる人も多いと言われています。
石蔵 私がよく「介護は3か月くらい家でみたら、施設に入れなさい」ということ。「あなたの幸せを考えなさい」と言っています。介護は“適当”でいい。
みんなの介護 身の回りのことをできなくなった親の老後をきちんと支えてあげるのが、子どもの使命だ、という人もいます。
石蔵 マスコミの影響もあるんじゃないでしょうか。みんなでプレッシャーを感じて結局のところ、家で診ている人も診られている人も行き詰まり、うつになったり虐待を起こしたりする。気持ちが深く入って、距離が近いほど虐待が起こりやすい。だけど、例えば“施設に入れて悪いな”という気持ちで週に1回でも会いに行けば、機嫌よくできるでしょう。そっちのほうがよっぽどいいですよ。
少しでも多く年金をもらっている人が幸せなのではなく、死ぬまで年金を受け取らないことのほうが幸せ。なぜなら、それぐらい稼げるということだから
みんなの介護 施設に入居できる余裕のある人だけでなく、経済的な事情から自宅で介護せざるをえない人もいます。
石蔵 夫の収入が少なくて自宅で介護せざるをえない“専業主婦”の人もいるでしょう。自宅で閉じこもって介護を続けていると精神的にも肉体的にも追い込まれる。そんなときは主婦でも、働きに出るとよいでしょう。夫婦ともに働いていたら、お互いに経済面でカバーできるし、働いて稼いでいる以上に介護でお金がかかることはほとんどないからね、もちろん施設にもよるけれど。週に何日かはヘルパーさんに来てもらったりするとよいでしょう。
おかしな話なんだけれど、私が「働ける人が死ぬまで働くべきだ」と言うと、みんなそれを「不公平」と言うんです。働く人が税金でもって障害とかがある人の“面倒”をみるのが不公平だって思っている人も多いようです。特にタバコや暴飲暴食を続けて病気になった人は、自己責任だと考えている人もいるでしょう。私は不公平だなんてまったく思わない。もし、私が死ぬまで年金を使わないことがあれば、すごく幸せなことだと思うんです。だって、年金がいらないくらい稼いでいるということだから。で、不幸にして自分がお金を稼げなくなったら年金をもらおうと思っているけれど、稼いでいる限り年金は必要ないと思っています。
みんなの介護 今の制度だと何歳まで繰り下げて年金を受け取れますか?
石蔵 70歳まで受給年齢を繰り下げることができます。
みんなの介護 「もらえるものはもらっとけ」と考える人のほうが、圧倒的に多そうですが。
石蔵 日本人って、いつからか知らないけれど、“もらわんと損”って思うようになったのは残念です。国ももっと年金の受け取りを繰り下げできるようにすればいい。戦前までは生活保護制度はなかったけれど、制度が始まった当時は“もらうのは恥ずかしい”という風潮があった。いつからか、もらわなければ損だと思うようになったかは不思議。
みんなの介護 それでも、全員がもらえるなんてことはほぼありえないわけで、もらえるものはもらっておけ、という考えが当たり前になっている社会では“もらえなかった”人の不満がたまりやすくなってしまうと思うんです。
石蔵 結局ね、“もらえるものをもらっておけ”ということが幸せか?っていうと、私の感覚ではそうは思わない。社会保障制度によって恩恵を受けている人に対して税金をたくさん払っている人が「不公平」と言っているのはおかしいですよ。例えば、病によって傷ついて、毎日、あるいは数日おきに、心身ともに苦痛な治療をしている人は、何の理由があっても気の毒な状態です。さらに言えば、自暴自棄、無茶苦茶に食べたり飲んだりしたとしても、そのつらさでもう十分、対価を払っている。その人たちに医療費を自分でカバーしろなんて言えない。
私は幸いにして健康で、医療費をほとんど使っていないし、給料ももらっています。ひょっとしたら、80歳まで働けるかもしれません。それで、課税されて、みなさんに分配されたとしても、まったく不公平だとは思わない。おそらく、病気で苦しんでいる人のほうが「なんでアイツはあんなに健康で稼いでいるのに、俺は不健康なんだ。これは不公平だ」と、70、80歳まで健康な人に対して“不公平感”を感じるんじゃないかな。健康で職がある限り、私は働けるだけ働き続けたいと思っています。
終末期医療の病院で点滴をすれば治療されている、と思うのは間違っている
みんなの介護 先ほど、高齢者の救急医療の現実について伺いました。病院側としては“訴えられる”恐れがあるから、救急で運ばれてきた高齢の患者に対して必要以上に処置してしまう場合もある…といったお話でしたね。
石蔵 例えば、終末期医療を担う病院での点滴も同じことが言えます。点滴をすれば治療をしていると思ったら、大きな間違いですよ。点滴は医療行為であって、医療報酬になるんです。
みんなの介護 お金になるというのは、病院側にとっての収益になるということでしょうか。
石蔵 そういうことです。終末期医療って、基本的には痛み止めなどの他は原則何もしないんですよ。 “何もしない医療”というのは、医療費がかからない。医療費がかからないということは病院が儲からない。病院の経営的に見ればすごく大変なわけです。病院も経営をしなければならないですから。そもそも、病院が儲かるということ自体、医療費がかかるということですからね。
みんなの介護 病院の経営の観点から見ると、“必要以上な治療”を提供せざるをえないということですね。何か改善点はないのでしょうか?
石蔵 例えば、極端ですがある程度の病院を全部公立にして、医療費を下げてしまって赤字は補填する。どの治療にどれぐらいの医療費がかかるというのは国が決めた金額です。それを保険点数と言いますが、その金額を下げるのは簡単です。しかし本当に半額にすれば多くの医療機関が崩壊します。
みんなの介護 医療費の決定権は、厚生労働省にあるのでしょうか。
石蔵 中央社会保険医療協議会の答申により厚生労働省が決めるのです。支払い側にとってはできるだけ安くして欲しいというのが本音でしょう。でも、医師側としてはなるべく高くしてほしいのが正直なところ。その間に厚生労働省(中央社会保険医療協議会)が入って、喧々諤々の上で医療費が決まるんです。一方で、機械をもっと安くしようとすればできるはずだし、そうやって一つひとつ安くしていって、もうこれだけしか出せないところまで頑張って、私立の医療機関は経営しています。公立は自治体が赤字分を埋めてしまう。職員の給料をある程度抑えておけば、赤字になることはないわけ。これは極端な話だけれどね。
さらに言えば、厚生労働省は急性期と療養型と看取りを分けて考えようとしているんだけれど、今は病院なのか介護施設なのか、どっちつかずの施設がけっこうあるんです。本当は看取りの施設なのに、病院だから、いろいろと医療費がかかる。そうなると点滴を必要としない患者でも点滴をされることがある。つらい思いをしながらね。そうすると、医療費はかかるし、スタッフの心は荒んでくる。
終末期医療に関しては、点滴とかチューブ栄養は本当に必要かなと思う。点滴をされると、浮腫といって体に水分が溜まる状態になって、苦しむことが多い。そこまでやるなら、安らかに死なせてあげたほうが本人にとってはいいのではないでしょうか。
医療費1割負担では本当に必要な薬を考える機会が減ってしまう。むしろ薬の量を減らして元気になった80歳の方もいる
石蔵 医療費のよい例として、薬の話を挙げましょう。今ならがんの治療薬に60万円といった薬があるでしょ。極端な話、100円にしようと思えばできるんです。そんなことをしたら、製薬会社が怒ってしまうけれど(笑)。薬は特許が問題なのであって、材料は化学物質だから、いくら数十万円の薬でも原価は5円、10円の世界です。そこに開発費を含めた特許料がかなり乗っかってきている。だから、国が特許を買い取って“これ100円の薬です”とやったほうがいいかもしれない。薬なんて、極端の話、一錠数十円で作れます。
みんなの介護 それは原価ということですか?
石蔵 車は絶対1円では作れないけれど、薬は化学物質だから、物質AとBとCを混ぜたら薬ができます。薬を作る機械も化学反応させるものだから、それなりにお金はかかる。けれど、研究費が一番かかる。その薬を生み出すために100億、1000億ものお金を使っているわけ。でも、その薬がいったんできたら材料費が安いので安価で提供できる。
なぜジェネリック医薬品が安いかというと、製造方法を公開すれば、町の小さい工場でも作れるから。だから、安くなっているんです。特許もいらないし。いざとなったら開発したところに、国から数千億円くらいを渡して、そのかわりその薬を5円で売る、というふうにもできますよ。
私の80歳くらいの患者さんで、30錠くらい薬を飲んで体調が悪かったのに、5錠くらいまで減らしたら元気になったという方がいてね。何が言いたいかというと、患者さんが必要以上に薬をたくさんもらっている可能性がある。特に高齢者は自己負担が1割ほどだから負担額自体は少ないので、薬をたくさんもらってもあまり文句は言わない。例えば3000円の薬でも300円払ったらいいわけだからね。
みんなの介護 3割負担の人たちは3000円の薬を買うには900円払わなければいけないですよね。
石蔵 1万円の薬でも1割負担だったら1000円だけ。正直言って「これいらんけど、ぐちゃぐちゃ言わずに1000円やからもらっておこう」となるでしょう。3割負担で3000円なら、価格のことも考えて「先生これいりませんから」とか言うでしょ。1割負担だから、真剣さがないわけ。
1割から2割、3割負担にしたいのが政府の方針なんだけど、医師会が反対している。1割だったおばあちゃんが毎週通ってきたけれど、2割負担になったら月に1回しか来なくなるんじゃないかってね。ひょっとしたら“薬が高くなったから薬を減らせ”と文句を言ってくるかもしれないし、“検査料が高いから検査したくない”ってなるかもしれないし、3割負担になったらもっと文句を言うかもしれない。実質負担は同じなんだけど、自己負担が上がると足が遠のくでしょう、と。医師会としては、お年寄りの受診機会を奪うということで大反対をしているわけだ。
でも、1割にしたって2割にしたって、必要なものは必要。で、2割にしたら、自分でシビアに“この薬は必要ないかもな”と考えて、先生と相談する機会が生まれるでしょう。
みんなの介護 まず、自分でどうしたらいいだろう、と考えますよね。
石蔵 考える。だけど、1割負担もしくは無料だと、薬をもらったままで、服用しない薬を捨てたりしています。それが本当に必要な薬か?って考える機会もないのが現状でしょう。
あと数年たてば、年金の支給開始年齢が70歳になる。高齢者に働き場所を作らないと、みんな生活保護に陥っちゃう
みんなの介護 先生は“健康な人が増えれば国の社会保障費が減る”という定説に対して、どのようにお思いでしょうか。
石蔵 本来は、健康な人が増えたら社会保障費は増えないはずなんだけれど、健康な人に仕事を辞めさせるから社会保障費が増えてしまうんです。今はお年寄りに手厚くするばかり。あまりにも手厚すぎるから、その人自身はどんどん弱ってしまうわけ。健康で働けるのに、収入源がなくなって、その人の生活保障を必要以上にしてしまう。
農家の人が80歳になっても90歳になっても農業をやっているのは、定年がない仕事だからでしょう。サラリーマンというものが存在したのは明治以降であって、それがかなり増えたのは戦後です。昔はサラリーマンなんて大勢いなかったんです。みんな自営業か農業・漁業という一次産業だったから、つまり、死ぬまで働いていた。
昔は健康寿命の間、ずっと働いていたんです。国民年金は全員加入が原則だけど、サラリーマンはそれに厚生年金が足される。自営業の人は国民年金だけの人も多い。どうしてかというと、自営業や一次産業は一生働けることを前提にしているから。サラリーマンは60歳で辞めて、70歳で死ぬ(当時の平均寿命)という計算のもとで支払っているけれど、それが今のように80代まで平均寿命が延びたら、試算が間違っていたということだから、年金が足らなくなるのは当たり前の話です。
みんなの介護 試算の見直しをしなければならない、ということですよね。
石蔵 それを今始めています。以前は55歳か60歳で定年退職したあとに、非常勤の扱いで5年くらい働くのが主流だった。でも、今はそれでは追い付かなくなった。少し前までは60歳で年金が支給されたけれど、今は65歳になった。あと数年たてば、支給開始年齢が70歳になると思う。そうなってくると、高齢者に働き場所を作らないと皆生活保護に陥っちゃうわけ。
みんなの介護 現役世代のサラリーマンにも、意識改革が必要になりそうですね。
石蔵 部長になって定年を迎えても、プライドを捨てて、ちょっとした簡単な仕事もやっていく。そして、“東京にいないと世界が終わり”のような感情は捨てて、“東京は素晴らしくて地方は不幸だ”というメディアの映像にだまされないこと。私は“地方”という言葉も嫌いなんだけれど使わざるをえないから使うけれど、地方の皆さんは元気で楽しそうですよ。限界集落なんかでも住んでる人はすごく元気です。
私の「親を殺したくなったら読む本 (親に疲れた症候群の治し方)」という本にも書いているけれど、世間は長寿の家族を取り上げて、「素晴らしい、素晴らしい」と言っている。テレビ局のディレクターが感動的に仕上げようとする。それがウケると思っているマスコミも間違いです。メディアって“地方の80歳、90歳の人たちがまだ農業や漁業をしているのは気の毒”といったように報道するけれど、実際は畑仕事で「こんなに採れた!」って毎日楽しそうにしているわけ。でも、他の人から見れば、田舎のそんなところで高齢者が…というように不幸な映像として流すわけ。
みんなの介護 危機感をあおりたいというか。
石蔵 そうそう。例えば、“地方創生”って本当にバカにした言葉だと思っていて、私はいつも“東京創生”だと言っています。地方からしたら戯言で、失礼極まりないです。よく地方に講演に行くけれど、東京の人と地方の人を見たときに、明らかに地方の個人のほうが元気ですよ。東京には目に輝きのない人が多い。だから、東京に住んでいる人を再生させるのが一番。
都心で講演するときに“地方の人のほうが目が輝いている”と実感します。それに、畑仕事をしている地方の人たちはジムに行っていませんが、畑仕事って肉体労働だから鍛える必要はありません。一方で、都心に住んでいる人は、みんなジムに行って、そこで電気を使っている。それこそ電気の無駄使いなんじゃないかと思っています。今話したような発想から立ち上げた「原始力発電所協会」では“お年寄りは電気を作るために働け”と普及活動はしていますが、誰も乗ってこないんですよねえ(笑)。
介護施設で働いたらポイントをつける。ポイントが貯まれば働いた施設でサービスを受けられるようにすべき
みんなの介護 前半で先生ご自身は働けるだけ働き続ける、といったことを伺いました。
石蔵 なぜかと言うと、私の患者さんで、定年まで「つらい、つらい」と言いながら働き続けて、ある日「やっと定年だ、もう仕事なんかしたくない」と言っている人がしばらくするとうつになる人が多いのなんの。仕事をしていると、しんどいながらもやりがいや楽しいことがあるけれど、仕事を辞めた途端にやりがいがなくなって、病気になっていろんな医者にかかるようになる。それは、私から見たら、仕事を失ったことをきっかけに病気になっていくということ。
今日、待ち合わせ時間の前に公園を歩いていたんだけれど、私とそんなに年齢が変わらない人が、何となくブラブラ歩いているわけ。どっちのほうが不幸だと思いますか?例えば、生活保護をもらうのは仕方ないとしても、生活保護をもらって働かないというのは、ずるいことではなくて、ひょっとして人生ですごく大切なことを忘れているのかもしれない。世間では“生活保護をもらっている人のほうがずるい”という意見のほうが多いのかもしれないけれど、たぶん何歳になっても元気に働いている人のほうが、ずるい(笑)。
だから、私は働いている間は税金を払ってもいいと思っています。死ぬまで税金を払って、年金をもらわないというのを目指すことが、私の考え。さらに言えば、健康寿命と本当の寿命の差が短ければ短いほど私の理想に近づく。年金をはじめとしたお金をもらうことによって、人間は失うものもすごく多い。本当に必要な最低保障はしてあげたらいいんだけれど、今は最低じゃないところまで保障するから、“頑張るぞ”という活力まで奪っている気がします。
みんなの介護 高齢者の介護だけでなく、生活保護など、社会保障の実態は確かに見えづらい点が多いかもしれませんね。
石蔵 55から60歳で会社を辞めて、次の人生は年金少々でプラスアルファで働けるという、死ぬまで働けるというプランを国とかが提示すれば、それでいい。年金も、ちょっと減らして、バイトに行かないとまずいっていうギリギリのところにするのがいいと思う。現に、年金が少ない人のほうが元気ですよ。「金が足らん」と言って働きに行っているから。で、年金のたっぷりあるいわゆる企業の重役はプライドが高くてメンツがあるから、何もしない。実際、70歳になったら、スーパーマーケットのガラガラ集めとか駐車場のおっちゃんとか、そんな仕事しかないのよ。プライドがあるとできないこと。でも、何もしなかったら弱っていくだけ。
ちなみに、私は今、介護プラス農業を勧めています。農家でなくても畑で作ったものを物々交換できる。毎日自分の畑仕事をしても、それだけでは無理だから、現金収入のために介護施設に週3日くらい働きに行けばよいのです。朝9時から17時まで介護の仕事をして、早朝と夕方に畑仕事をできますよね。年金+介護のバイト料+畑仕事で、十分暮らしていける。介護を経験した人は、自分が介護を受けるときにすごくいい利用者さんになれます。介護をやっていない人って、介護スタッフに無理難題を言いまくるから。
さらに、介護施設で働いたら、給与に加えてポイントをあげて、ポイントが貯まったらその施設で優先的にみてあげるというようにしたらいい。都心部の高齢者は、元気なうちに介護の若い人が足りない地方に行って働く。実際に60歳、70歳でも元気だったらまだ介護できますからね。
移住をするなら50代ぐらいから真剣に考え始めないといけない
みんなの介護 今、首都圏に住む高齢者数が増えているというデータもあるんです。
石蔵 高齢化率は地方のほうが高いですよね。若い人がいないから。でも、東京の多摩団地の高齢化は急に進んで鳥取県の高齢者人口に迫る勢いです。東京は若者がいるから高齢者率は低いんだけどね。土地代が高いから、同じことをやっていても、収入を多めにもらわないとやっていけません。地方移住を50代の役職定年ぐらいから真剣に考え始めないといけないと思う。
生活を軌道に乗せるには5年かかるから、55歳から60歳までは会社にいながら準備を始めてもいいし。私は今61歳だけど、60歳を超えたら新しいことをやる気力はなくなります(笑)。やっぱり50歳から考えて、55歳から実行に移すのがいいんじゃないかと思いますね。
みんなの介護 今まで農業をやったことがない人が、60歳になってから急にやりだすのは難しい、と。
石蔵 難しい。難しいけど、漁業をやるよりは楽です。私は米も作っています。しかも、売り物にするのではなくて、自分のために作ったらいいのよ。野菜も米も、まずは自分のために作ったらいいんです。
メディアは“農業はつらいもの”という偏見によって報道する。私はテレビにも出ることがあるけれど、ディレクターの考えた通りに話題を組まれることも多いよ。
みんなの介護 自分たち夫婦は移住を考えていたとしても、高齢の親がいるからと躊躇する人もいそうですが。
石蔵 親が何を言おうが、介護施設に入れるのが正解。逆に、親が地方にいたら呼び寄せずに自分たちが移住するのもよい。特に、妻の実家なら大歓迎だ。「あなた自身が幸せになる道を選びなさい」とアドバイスしている。どんなことでも“親のため、親のため”と考えずに、親から受けた愛情を、自分の子どもに注ぎなさい、とね。次の時代を考えて。たとえ親が何を言おうが、「施設に行くのは嫌だ」と言おうが、それは親の意(子供の幸福を願う)に反すること。おそらく、家にいて子供に負担をかけるのはその人の本意ではない。なぜなら、親は子どもの幸せを一番に考えていますから。罪悪感を抱くな、と。
親は、そりゃ今は衰えてますが、70、80歳まで人生を楽しんできた人だから、もう良いでしょう!70、80歳になったら脳卒中にもなる。十分生きたんだから、安らかに死ぬ準備をさせてあげたほうがいい。
一人で死ぬのが嫌なのはわかるけれど、その覚悟をしたほうがいい
石蔵 一人で暮らしている人の孤独死が問題だっていうけれど、全員、いつかは孤独死になると思ったほうがいい。たとえ夫婦で暮らしていてもね。先に旦那が死んだらそれは孤独死じゃないけれど、女性のほうが長生きするから確率的には女性が孤独死することが多いかもしれない。
でも、女性は3日以内に発見されます。なぜなら、コミュニケーション力が発達しているから、いろんなところに行っている。3日もたつと「あの人見ないよね」となって、訪ねてきてくれて発見、というケースが多い。男性はだいたい白骨化して発見される。それはコミュニケーション力がないから、生きていても死んでいても誰も気にかけないから。
みんなの介護 世間では、孤独死はさみしい高齢者の行く末だ、といったようなネガティブな見方もあります。
石蔵 寂しいにしても、さっき言った通り家族や夫婦が本当に仲が良くても、孤独死でないのは心中するときだけです、と言っています。3日以内に発見されるのは孤独死と呼ばないほうがいいんじゃない?
発想の転換さえすればいいんです。私は定年後講座をずっとしているんだけれど、最初は50人定員でそれこそ5人、10人しか集まらなかったんです。最近は断らないといけないくらい申込が多くなりました。「目的を持ちましょう」とか「趣味を持ちましょう」って言うけれど、“今さら何を持ったらいいのか”っていうのが本音。プライドを捨てて、新しいことに挑戦してほしい!私はこの年でゴルフも始めたし釣りも始めたし、登山も始めた。孫の送り迎えもしているし、めちゃくちゃ忙しい(笑)。
私の活動は一見矛盾しているように見えるけれど、自分の中では一貫しています。つまり、次の世代を育てるという。もう、そこに集中すればいいのに。次の世代のために何かできることをしましょう、と。
みんなの介護 次の世代を育てていくことと同時に、自分の老後とはどのように向き合えばいいでしょうか。
石蔵 迷惑をかけたくない、死ぬのがこわいというのは今の方々の多くの人生観です。でも、迷惑は絶対かかるんです。たとえその人が道端で死んだとしても、自分で遺体を動かせないからね(笑)。誰かの迷惑にはかかるんだから。
もう60歳を超えたから言うけれど、これ、50代のときはこういった話は言いにくくてね(笑)。私もだんだん年寄りになってきたから言いやすくなってきた。一人で死ぬのが嫌なのはわかるけれど、その覚悟をしたほうがいいと思う。そのかわり3日以内に発見される努力はしましょう、と。何かあればすぐ医者に行ったほうがいいかもしれないが、これまで話してきたように大変な目にあう可能性が高いから、孤独死の方が良いかもしれない。避けられないから3日以内に見つかるようにネットワークを作っておくということ。
人間は何かあったら、死ぬんです。そこまでは容認して、3日以内に見つかりなさいということをメジャーなテーマにしておけば、無駄な医療費はかからないと思いますよ。
撮影:公家勇人
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