市町村合併は、「市民の生命と安全を守る」という自治体の使命を達成するためではなく、自治体を統制しようとする国策として進められたと指摘する今井照氏。2004~2005年にかけて進められた平成の大合併を、当時、福島大学の行政政策学類教授を務めていた今井氏はどのように見ていたのか?2011年3月11日に起こった東日本大震災という出来事とともに、自治体の使命がどのように発揮されたかを語ってもらおう。
取材・文/みんなの介護
職員を鍛え、自治体を育てるのは市民
みんなの介護 平成の大合併で、約3,200あった市町村が1,800弱になりました。その合併が自治体にとって利点のないことなら(前編参照)、自治体側はなぜ抵抗しなかったのでしょうか?
今井 実は合併を促進するための法律は、昭和の大合併以降も一貫して存在していました。でも大きな合併の動きはなかった。なぜなら自治体にとって合併する必然性や不可避性がなかったからです。
1995(平成7)年や1999(平成11)年にも「合併特例法」が改正されましたが、国が旗を振る割に合併の動きは出てこなかったのです。実際に合併があわただしく進んだのは2005年前後で、「三位一体の改革」の影響によって地方交付税が大幅に減らされたからです。
みんなの介護 今井さんは当時、福島大学の行政政策学類教授としてその間の動きをどのように見ていましたか?
今井 もちろん、福島県でもいろいろな議論がありました。当時の県知事は合併には懐疑的でしたが、それとは裏腹に、県庁の職員たちは国が打ち出した政策だからと市町村に合併を促していました。
合併の流れに乗らず、自分たちの町の将来をどのようにするかを真剣に考えた自治体が後に、地方活性化の成功事例として安倍首相の所信表明演説に登場したことは前編のインタビューでも話しましたね。
その一方で、市町村長が「お国の財政を救うため」とか、「これは避けて通れない時代の流れだから」と根拠にならない理由を市民に説明して合併の波に飲み込まれた自治体もありました。両者にはどんな違いがあったのだと思いますか?
みんなの介護 市長や町長、村長に「強いリーダー」がいたからでしょうか?
今井 いや、必ずしもそうではありません。時間をかけて住民たちに議論を委ねた自治体では、たいていの場合、合併を選択していません。合併した自治体の多くは、住民間でほとんど議論しないまま、国の言うとおり期限間近に駆け込み合併をしたように私には見えました。
リーダーの存在は確かに大きいんですが、それは「こっちへ行くぞ」と自分勝手に旗を振るリーダーではなくて、「市民の意見を尊重するリーダー」が必要なのです。
みんなの介護 地方の議会選挙というと、国政選挙より盛り上がらないことで知られていますが、非常に残念なことですね。
今井 今回の統一地方選挙では、議員のみならず、市町村長も多選や無投票当選が目立ちました。つまり「議員のなり手」不足だけではなく、「自治の担い手」そのものが不足していることが露呈したと思います。
「なり手」「担い手」の不足ということは、私たちのような「ならせ手」「担ぎ手」の力も不足してきたということにほかなりません。選挙に限らず、例えば、自治体が提案する政策に対して意見を述べたり、あるいは抵抗したりという市民の力も衰えていることがこういうことにつながっているのかもしれない。
役所の力としても、そのような市民とのぶつかり合いが多いところは、交渉ごとに慣れていき、市民の意見を取りまとめることが上手になります。役所が市民に鍛えられるわけですね。
その結果、「市民と自治体とのパートナーシップ」という言葉が、単なるきれいごとで語られるのではなくて、うまく機能していく自治体になっていく。
そういう意味において、自治体にとって大事な要素はリーダーよりも市民の力であると言えるでしょう。職員を鍛え、自治体を育てるのは市民なのです。

原発が立地する自治体は、懸命にその使命を果たした
みんなの介護 ところで、2011年3月11日に起きた東日本大震災と、それを契機とした東京電力福島第一原子力発電所事故は、自治体の行政能力が大いに問われる出来事でした。今井さんはどのように見ましたか?
今井 原子力発電所が立地する福島県双葉郡の8つの町村と飯舘村のあわせて9町村が、自治体丸ごとの避難を強いられました。
原発災害というのは目に見えるわけではなく、計器で測られた数値によってわかるものですから、その情報は、現場である地元の地域にはなく、いったん東京にデータが送られてから地域に還元されてきます。
当日はその情報回路が切断されていました。そんな五里霧中の中、双葉郡の各自治体はそれぞれ独自に情報を収集し、住民に対して独自の避難指示を出さねばなりませんでした。わずかな例外を除いてほとんどの市町村は国が避難指示を出すよりも早く、かつ広く住民に対して避難指示を出しました。
近隣の市町村に声をかけて避難場所を確保し、地域内にあるバスなどの交通手段をかき集め、一人では避難できない弱い立場の住民をピストン輸送したのです。
みんなの介護 非常にすばやく、適切な対応ですね。
今井 実は、そのことに私はとても驚いていました。というのは、福島大学には都市計画やまちづくりを専門にしている教員もいましたが、双葉郡がその研究の対象になることはほとんどなく、それまで大学とのつきあいがなかったからです。
東京でニュースを見ていると、原発避難をした町村は農業や畜産が中心のように見えますが、浜通りと呼ばれている海岸沿いの大熊町や富岡町の街中には、東京郊外の住宅地のような都会的な風景が広がっていました。
2005年と2010年の国勢調査を比較して、人口が増加している町村は福島県の59市町村の中でわずか7町村しかありませんが、福島第一原発が立地する大熊町は伸び率で県内最高の4.76%増、福島第二原発が立地する富岡町の人口も増えていました。
原発立地地域はそういう環境にあったので、大学とのつきあいもあまりなかったのです。そのためもあって、私たちにはそれほど活発な自治体というイメージがなかった。
みんなの介護 ところがそれは、思い込みに過ぎなかったというわけですね?
今井 そう、そのことに驚いたのです。もちろん、すべてが完璧だったというつもりはありませんが、限られた情報、限られた労力、資源を駆使して、懸命に「市民の生命と安全を守る」という自治体の使命を尽くしたのです。
東日本大震災では福島県に限らず、多くの地域について「しばしば市町村の機能が崩壊した」と報道されました。確かに、津波に被災した地域では庁舎そのものが波に呑まれ、職員自身が犠牲となったところがいくつかありましたね。
ただ、国や県が有効に手立てを打てないところでは市町村が大きな役割を果たしました。もし、市町村の行政が機能していなければ、事態の混乱と被害はもっと大きなものになっていたでしょう。
原発災害で町丸ごとの避難を強いられた双葉郡の町村はいずれも平成の大合併を選択せず、自分たちなりに地域を守っていこうとしたところばかりです。中には明治期以来、一度も合併していない町や村まであります。
多くの人は「大きいことは良いことだ」と思っているので、普段は小さい役場が頼りなく見えるかもしれません。しかし本当の非常時や危機には小さくても身の回りにある存在こそが頼りになるのです。
みんなの介護 非常に感動的なお話です。双葉郡の自治体職員の健闘は今井さんの著書『自治体再生──原発避難と「移動する村」』(ちくま新書)に詳しいので、興味のある方はぜひお読みください。
撮影:公家勇人
