下重暁子「年をとるということは“個性的になっていく”ということなんです」
作家・下重暁子氏は華麗なる経歴の持ち主だ。早稲田大学教育学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。トップアナウンサーとしての評価を確立した後、NHKを退社し、民放テレビ局でキャスターを務めた後、作家に転身。2015年に上梓した『家族という病』は62万部を突破するベストセラーになった。日本人が抱く「家族」という幻想に大胆にメスを入れた下重氏に、現在の介護現場の印象を聞くところからインタビューはスタートする。
文責/みんなの介護
介護の仕事は大変だと思いますが、お年寄りを十把一絡げに扱うことはやめていただきたい
みんなの介護 介護保険制度がスタートして今年で20年近くになりますが、いまだに「親の面倒は家族でみるもの」と考えている人が少なくないようです。ベストセラーとなった『家族という病』(幻冬舎新書)で独自の家族観を展開されている下重さんの目に、現在の介護の現場はどのように映っているのでしょうか。
下重 私は両親を早く亡くしているので、親を介護した経験はありません。しかし、つれあいの母(義母)が亡くなるまでの数年間を介護施設で過ごしていたので、月に一度は施設を訪れ、介護の現場もつぶさに見ています。
そうした経験を踏まえて、まず言えることは、介護くらい大変なことはないということ。育児もそれなりに大変でしょうが、育児にはまだ、子どもの成長を見る楽しみがあります。一方の介護は、楽しみをなかなか見出しにくい。
みんなの介護 その分、介護のほうがつらいということなんですね。
下重 そういった現場のつらさを理解したうえで、あえて言わせていただくと、現在の介護施設のあり方には疑問を抱かざるを得ません。
私自身が見ていて「嫌だな」と感じるのは、入居者を一律に管理していること。例えばアクティビティの時間、入居者全員をホールに集めて童謡を歌わせたり、ぬり絵や折り紙をやらせたり…。
みんなの介護 介護施設で一律に行われるアクティビティについては、確かに賛否両論があります。
下重 もちろん、少ない介護スタッフで多くの入居者のお世話をするには、こうしたやり方が最も効率的だとは思います。しかし、個々人の個性をないがしろにしているように思えてなりません。
もしも私が入居者だったら、みんなと一緒に童謡なんか歌いたくないし、実際、歌わないでしょうね。
人は年齢を重ねるごとに、個性的になっていくのだと思います。それぞれ、その人にしかできなかった体験を積み重ねてきたうえに、現在のその人が存在しているのですから。
みんなの介護 なるほど。そう言われると、お年寄り一人ひとりがとても個性的な存在に思えてきます。
下重 はい。ですから、その個性を打ち消してしまうような現在の介護のあり方は、できれば改めてほしいですね。
個性をつぶす介護ではなく、個性を活かす介護をすべきでしょう。お年寄り一人ひとりを、かけがえのない個人として扱ってほしいのです。予算もスタッフも足りないことは、重々理解しているのですが…。
詩人の新川和江さんに『わたしを束ねないで』という素晴らしい作品がありますが、施設に入居しているお年寄りの多くは、「私をほかの人たちと十把一絡げに束ねないで」と思っているはずです。
みんなの介護 他に、気になることはありましたか?
下重 もうひとつ違和感を抱いたのが、介護スタッフの言葉遣いです。
お年寄りに対して、まるで小さな子どもに話しかけるように、「○○さん、よくできたね、えらいね」などと言っていました。
悪気はないのでしょうが、知識も経験も自分より数段上のレベルにある人生の先輩に向かって、あまりに失礼ですよね。
何かを与える介護ではなく、何かを引き出す介護を考えるべきだと思います
みんなの介護 下重さんの『家族という病2』も読ませていただきましたが、介護に関しては、「何かを与えるのではなく、その人から何かを引き出す姿勢が大切なのだ」と指摘されていましたね。
下重 先ほど、人は年齢を重ねるごとに個性的になると言いましたが、同時に、頑固にもなります。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。ですから、施設側から一方的に娯楽を与えようとしても、「余計なお世話」と感じる人も多いはず。
むしろ、その人の好きなこと、得意なことを引き出してあげるほうが、その人にとっては居心地の良い施設になるのではないでしょうか。
みんなの介護 お年寄り一人ひとりに寄り添う気持ちがなければ、できないことですね。
下重 前述のつれあいの母の話をすると、彼女は車椅子生活を送っていたものの、亡くなるまで頭ははっきりしていて、ときどき訪ねていく私に、自分の幼少時代の経験を話すのが楽しくて仕方なかったようです。私も、彼女の話を聞くのが大好きでした。
つれあいの母に対して、身体的な介護はほとんどしたことはありませんが、私が心から楽しんで話を聞いていたことは、彼女にとって、大きな心の支えになっていたようです。
本人が話したいお話を聞いてあげることは精神的な介護であり、引き出す介護でもあると思いました。
みんなの介護 下重さんにインタビューされて、お姑さんも誇らしかったのではないでしょうか。下重さんとお姑さんとは、特別な関係だったのですね。
下重 お互いに「嫁」「姑」という「立場」に縛られることなく、「個人」として付き合っていたからこそ、良好な関係が保てたのでしょうね。
それについては、ひとつ思い出すことがあります。つれあいの両親がまだ元気な頃、お正月には必ずつれあいの実家に帰っていました。
そんなとき、台所でおせち料理づくりに奮闘するのは、料理が得意なつれあいと、義母、義姉。私は、台所を一度も手伝うことなく、つれあいの父とこたつでいつもお酒を飲んで義父の話を聞いていました。
みんなの介護 一般的には珍しい光景ですね(笑)。
下重 そうやっていても、つれあいの家族から嫌な顔をされたことは一度もありません。つれあいの家族と私がそれぞれ個人として認め合っていたからこそ、あの当時、あんなに楽しい年末年始が送れたのだと思います。
最後に親とじっくり話す時間が持てるのであれば、親の介護も、そう悪いことではない気がします
みんなの介護 下重さんはご両親の介護を経験されていませんが、ご両親がまだご存命で、しかも要介護の状態だったとしたら、どのような介護をするでしょうか。
下重 両親が存命で、要介護になったとしても、私自身が中心になって介護することはなかったでしょう。なぜなら、介護に時間が取られると、私自身の仕事ができなくなるから。
両親は、私が私らしく仕事で能力を発揮することを何よりも喜んでくれていました。もしも、自分たちを介護するために、娘が「仕事を辞めよう」なんて考えたとしたら、両親は本気になって止めたと思います。そういう父と母でした。
とはいえ、父と母があまりにあっけなく亡くなってしまったことについては、すごく残念にも思います。最後の最後まで、親とゆっくり話せる時間がなかったから。
私が大人になり、放送局の仕事を始めてからは、毎日がとにかくとても忙しくて、親の話を聞く時間などまったくなかったのです。
みんなの介護 お父様は下重さんが40代前半のとき、お母様は50歳半ばのときにお亡くなりになったのでしたね。
下重 『家族という病』に書かせていただいたとおり、父とはずっと確執がありましたし、母に対しても反発していました。それでも、本当は父や母のことをもっと知りたかった。
母は常々、「あなたに迷惑をかけたくない」と言っていましたが、脳梗塞で倒れ、本当に1週間で死んでしまいました。
母の意外な一面を知ったのは、軽井沢の山荘で母の遺品を整理していたとき。なんと、結婚前に父とやりとりした100通近い手紙が見つかったのです。そこには、「どうしてお手紙を下さいませんの」と甘える、私の知らない、奔放で情熱的な女がいました。
その手紙を目にしたとき、母のことをもっと知りたいと心から思いましたね。今なら、お互いにもっと理解し合えたのではないかと、残念でなりません。
みんなの介護 恋の話など、していたかもしれませんね。
下重 もしかすると、親を介護するということは、最後に親とじっくり話す時間がもらえる、ということなのかもしれません。
先ほど、「親の介護はしないだろう」と言いましたが、最後に親とじっくり話し合える時間が持てるのであれば、「介護もそう悪くないな」とも思えるのです。
日々の生活の中で、自分だけの楽しみを見つけられれば、介護のストレスを減らすことができるはずです
みんなの介護 下重さんは『家族という病』の中で、こうも書かれています。「親は要介護になってはじめて弱い姿をわが子に見せられる」と。これはどういう意味でしょうか。
下重 家族という枠組みの中では、親は「親」という立場で常に振る舞い続けます。ですから、親が健康でいる間は、立場上「子ども」に弱みを見せることはありません。
一方、子どもの側からすれば、親が健康でいる間は、本当の姿を知らないまま過ごすことになります。そのうちに子どもは独立するでしょう。すると子どもは、自分の生活だけで手一杯になり、親のことなど気にする余裕はありません。
私の知人で介護を経験した人によれば、そういった親子関係に転機が訪れるのは、親が要介護になったとき。そのときはじめて、親の介護を誰がどのようにサポートするのか、家族間で真剣な話し合いが持たれます。
親の介護をきっかけに、家族が再結成されるのです。私の知人も、親が要介護になってはじめて家族で真剣に話し合えたし、親の本当の姿を知ることができたと語っています。
みんなの介護 「親を介護する時間は、親と話し合える時間」という、先ほどの下重さんの話ともつながってきますね。
下重 親の介護を「つらくて、しんどいこと」ととらえるか、「楽しくて、何か発見があること」ととらえるかで、その後の展開は大きく違ってくるはずです。
どうせ介護するなら、楽しく介護するほうがいいに決まっていますね。そんな介護する側の気分は、介護される側にも必ず伝わります。介護される側も、いやいや介護されるより、楽しく介護されるほうがいいに決まっています。
みんなの介護 前向きな気持ちで介護をするには、どうしたら良いのでしょうか。
下重 私がNHK文化センターでエッセイ教室を始めて20年以上になりますが、受講者のエッセイで、今でも心に残っているものがあります。それは、母親を介護するために仕事を辞めざるを得なくなった、ある女性のエッセイでした。
彼女は、突然降ってわいた「親の介護」という重圧に押しつぶされそうになり、自分の人生が失われていくようで、日々悶々と暮らしていました。
みんなの介護 在宅介護は24時間365日、休みがないですものね。
下重 このままでは自分がダメになる、と感じ始めた矢先、区の広報紙で着物の着つけ教室を見つけて通い始めます。彼女は、母親から多くの着物を譲り受けたものの、自分では着つけができなかったからです。
結果的に、着つけ教室が彼女を救いました。自分の趣味のために、週に2時間、ヘルパーや友人に母親の介護を頼んで外出するだけで、心に小さな灯火がともったように感じたとか。
着物の着つけを習得してからは、着物を着るために茶道、香道、講談なども習ってみました。そうしているうちに、彼女はいつの間にか、介護のストレスから解放されていたのです。その気持ちが伝わったのか、母親の表情もいつしかやさしくなり、彼女への感謝の言葉をしばしば口にするようになりました。
みんなの介護 ほんのちょっとしたことでも、介護のストレスは減らすことができるんですね。
下重 そうなんです。大切なのは、どんなに些細なことでもいいから、日々の生活の中で、自分だけの楽しみを見つけること。また、見つけようと努力すること。
親を介護するために実家まで歩いて通うとき、道ばたに自分の好きな花が咲いていれば、その花を見ることを、自分だけの楽しみにすればいい。すると、「今日はどのつぼみが開いたかな?」と、その道を歩くこと自体が楽しくなるでしょう。
そうやって、小さな楽しみをいくつもつないでいけば、介護のストレスも軽減されるのではないでしょうか。
『家族という病』が売れたのは、両親や兄との確執を包み隠さずに書いたから
みんなの介護 2015年刊行の大ベストセラー、『家族という病』(幻冬舎新書)の著者である下重さんに伺います。下重さんが考える「家族」の定義とは、どのようなものでしょうか。
下重 一言でいえば、一人ひとり違う個人の集まり、ですね。日本をはじめアジア地域では、家族の血のつながりが重視されますが、本当に大切なのは心のつながりでしょう。
昨年、是枝裕和監督の映画『万引き家族』が話題になりましたが、あれだって家族のひとつの形には違いありません。血がつながっていなくても、心がつながっていれば立派な家族です。
逆に心ではなく、血でしかつながっていない家族は、しばしばトラブルの温床になります。わが国の殺人事件の半数以上が家族間で起きているという事実が、それを物語っているんです。
みんなの介護 著書の中では、「一番近くて遠い存在が家族」とも書かれていますね。
下重 あるのが当たり前で、なくなってはじめて大切さに気づく、空気のような存在でもあります。
それだけに、多くの人は、家族のことなら大抵何でもわかったようなつもりになっている。でも実際には、全然わかっていないんですよ。
お互いにきちんと理解できている、なんて大間違い。子どもは心の中まで親に覗かれたくないと思うし、親だって子どもに踏み込んでほしくない領域がある。
一緒に暮らしているだけで、ただ何となく、お互い理解し合っているつもりになっているだけ。私自身、その欺瞞に気づいたことが、『家族という病』を書くきっかけになりました。
みんなの介護 そして、62万部を超えるベストセラーになった。
下重 本が売れたのは、自分の生き恥をさらしつつ、父、母、兄との確執を正直に書いたからだと理解しています。事実を隠さずありのままを書いたからこそ、多くの人の共感を得られたのでしょう。
あの本に比べれば、それ以前に刊行した本はどこかしらきれいごとを書いていたような気がします。やはり読者の皆さんの目はごまかせないなあと実感しました。
身体的な介護ばかりではつらいけど、精神的にも介護できれば、やりがいにつながります
みんなの介護 同じ屋根の下に暮らしていても、家族がお互いに理解し合っているわけではないんですね。なにか、むなしいというか…。
下重 その一例として、介護の現場で働いている知人の話をしましょう。
その人は介護のプロでありながら、母親がまだ80代で元気なうちは、頻繁に母親を訪ねることもなかったそうです。母娘の関係がぐっと近づいたのは、母親が100歳になって肉体的にも衰え、そろそろ介護が必要になってから。
彼女は月に何度か実家に帰るようになり、おそらく生まれてはじめて、母親の話にゆっくり耳を傾けるようになりました。すると、母親のほうも、娘とおしゃべりするのを心待ちにするようになったそうです。
食事やおむつ替えなど身体的な介護ももちろん大切ですが、そればかりだと、介護はつらいものになります。話を聞くことで、母親を精神的にも介護していると実感できれば、介護はそうつらいものではなくなります。
さて、彼女は実家に帰るとき、いつも鯛やヒラメなどの高価な刺身を買っていきました。それが母親の好物だと思っていたからです。ところが、何度目かの里帰りのとき、母親に小言を言われました。「あなた、私の好きなものを全然わかってないのね」と。
みんなの介護 どういうことですか?
下重 よくよく話をきいてみると、母親はてっきり白身の魚が好きだと思っていたのに、実はうなぎやビフテキなど脂っこい食べ物が好きだったのだとか。
知人は愕然としたそうです。介護のプロなのに、長年一緒に暮らしてきた母親の好物さえ知らなかったのですから。彼女は知らず知らずのうちに、「高齢の女性=あっさりした白身魚が好き」というイメージにとらわれていたのです。
「介護はマニュアルどおりにはいかないし、食べ物の好みも一人ひとり違うのだと、改めて気づかされました」と、彼女は苦笑しながら私に語ってくれました。
みんなの介護 介護のプロでも、実の母のことを理解できていなかったというお話ですね。
下重 ちなみに、彼女の母親は103歳で亡くなりました。もしも100歳になる手前で亡くなっていたら、彼女は母親とじっくり話をする機会もなかったはずだし、ずっと白身魚が好きだと勘違いしていたでしょう。「最後に幸せな時間が持ててよかった」と、今でも彼女は母親に感謝しています。
家族といえども他人であり、別の人格。その点をきちんと認識しておかなければいけません
みんなの介護 統計的に見ても、わが国の家族のあり方は変化してきているようです。夫婦と子ども2人で構成される「標準世帯」は、いまや全世帯の5%にも満たないとか。こうした現状について、どう思われますか?
下重 家族構成や家族の人数に注目するのは、それほど意味がないような気がします。むしろ、家族の一人ひとりが「個人」として自立できているかどうか。そちらのほうが重要でしょう。
最初に家族があって、そこに父親・母親・子どもがいるわけではありません。まず最初に一人ひとりの個人がいて、それぞれが父親・母親・子どもの立場を演じ、家族を構成しているだけ。
家族といえども、所詮は別の個人であり、他人であり、別の人格です。家族について語るときには、その点をきちんと認識しておく必要があります。
みんなの介護 家族という名の他人、ですね。
下重 自分以外の人間はすべて他人ですから、たとえ家族であっても、夫も、妻も、子どもも、みんな他人です。他人に何かを期待してはいけません。別の人間なんだから、自分の期待どおりに動いてくれないのは当たり前。
むしろ家族に期待すると、期待がはずれたときのショックが大きすぎて、愚痴、不平不満、うらみつらみが噴出します。期待していいのは、自分に対してだけ。私はずっと、この考え方で生きてきました。
みんなの介護 自分自身に対して期待するのですか?
下重 そうです。逆に、自分自身に対してなら、どんなに期待してもいいんです。私なんかいまだに、「ああもなりたい」「こうもなりたい」とめいっぱい期待していますよ。
「人生100年時代」が本当にやってくるのだとすると、私もあと20年近くは人生を謳歌できるはず。あれもしたい、これもしたいと、今からワクワクが止まりません。
みんなの介護 そこまで前向きに考えられることが素晴らしいですね。いつもプラス思考でいられる、何か秘訣はあるのでしょうか?
下重 秘訣なんてありませんよ。人生において決断を迫られたときは、必ず自分で選び、自分で決断し、その結果を自分で引き受けてきただけ。そこに他人の介在する余地はありませんから、つねに自分の目の前だけ見ていればいい。特別なことは何もしていません。
家族間で一触即発の状態になったら、どちらかが距離を置くべきです
みんなの介護 『家族という病』がベストセラーになったのは、それだけ多くの人が家族に対して問題意識を持っているという証なのかもしれません。今、家族の問題で苦しんでいる人に、下重さんからはどんなアドバイスを送るでしょうか。
下重 家族がストレス要因になっている人は、本当にしんどいと思います。縁を切りたくても、なかなか切れるものではありませんから。
そこでまず、「自分は家族の一員である」という意識や認識を捨てましょう。「家族だから」と考えた瞬間から、家族の呪縛が始まります。家族が自分を縛っているのではなく、自分で自分を縛ってしまうのです。
みんなの介護 本の中では、家族に捨てられて安寧を得るケースも紹介されていました。
下重 ホームレスの人たちのことですね。私が住んでいるマンションの近くに小さな公園があって、そこにも路上生活をしているおじさんがいました。 おじさんと顔見知りになり、一緒に酒盛りしたこともありますが、おじさんは決して自分の話をしようとしない。こちらも一切質問はしません。
きっと、家族を捨てたか、家族から捨てられた人なのでしょう。その結果、路上生活をしているのだけれど、読書好きで、新聞も隅から隅まで読み、自分で文章も書いているみたい。その辺にいる人より、ずっとインテリですよ。
そして、いつも心穏やかに過ごしているようでした。おじさんに家族はいなかったけど、そう不幸せでもなかったんじゃないかな。
みんなの介護 家族関係でトラブルになったら、思い切って家族から離れてみるのもひとつの方法ですね。
下重 そのとおり。家族間の問題がこじれて、一触即発の状態になったら、血を見る前にどちらかが距離を置くべきです。一緒にいると、相手のことが気になって仕方がないけど、物理的に距離を置けば、とりあえず相手のことは視界に入らない。遠く離れれば、相手のことや相手との関係も冷静に見られるようになります。
不思議なもので、離れてしばらく経つと、今度は相手の良い面しか見えなくなることもあります。いずれにしろ、一旦距離を置くことは、夫婦間でも、親子間でも、兄弟間でも有効なトラブル対処法です。
孤独に自由に生きていくには、経済的自立と精神的自由が必要
みんなの介護 2018年には、下重さんの『極上の孤独』がまたもベストセラーになりましたね。ヒットの理由をご自身ではどう分析なさっていますか?
下重 それだけ多くの人が孤独に直面しているということではないでしょうか。
とはいえ、声を大にして言いたいのは、「孤独=さみしい」という意味ではないということ。孤独とは、単にさみしいとか、心細いとか、そういう一時の安っぽい感情のことではありません。
「孤高」とか「自由」という概念に連なる、生きていくうえでの、ある種の覚悟のようなものです。
みんなの介護 確かに「孤高」というと、かっこいいイメージがありますね。「孤立」というと、ややマイナスなイメージがありますが。
下重 孤立も悪くないと思いますよ。今思えば、私は人と群れることなく、ずっと孤立していましたから。
孤独とは、自分で自分にしっかりと向き合い、自分を知るということ。すると、自分には何が楽しくて、何が嫌いなのか、明確にわかってきます。今、私は孤独であり、最高に自由だと実感できていますね。
みんなの介護 どうすれば、自由に生きられるのですか?
下重 条件は2つあります。まず、ひとつめの条件は、経済的に自立していること。
他人を養うのは大変だけど、自分一人を食べさせることができれば、他人を気にせず、自由でいられます。
ふたつめの条件は、精神的に自由であること。
何事も自分の頭で考え、自分の頭で決断を下し、自分で責任を取って行動する。その際、自分は何が好きで、何が嫌いかが自分でもわかっているので、素早く正確な意思決定が可能になります。他人がどう思うかなんて、まったく気にしません。
実は、『家族という病』を刊行した後、賛否両論が巻き起こりました。インターネットなどでは、ずいぶん批判もされたようです。
みんなの介護 批判も、ですか。
下重 はい。しかし考えてみれば、そんなことは当たり前ですね。それぞれ違う人間なんだから、違う意見や考え方を持っていても、全然不思議ではありません。
細かくチェックしたわけではありませんが、いくつか目にした批判については、なるほど、そういう考え方もあるのだと、勉強させてもらいました。
孤独死は決して不幸ではないし、本人にとっては大往生かもしれません
みんなの介護 一人暮らしをしている高齢者、いわゆる独居老人の孤独死がときどき問題になりますが、下重さんは孤独死についても肯定的に考えていらっしゃいますね。
下重 独居老人の孤独死は、確かに周りの人たちに迷惑をかけます。後始末も大変でしょう。しかし、孤独死する本人にとっては、別に不幸なことではないと思います。
なぜなら、人間は所詮一人で生まれてきて、最期は一人で死んでいくものだから。
本人は亡くなるまで一人暮らしを存分に楽しみ、自由を満喫していたかもしれません。そして、誰にも気づかれずにひっそりとこの世を去るのが望みだったかもしれない。
家族に看取られながら死ぬことが、それほど幸福なことでしょうか。本人が孤独を覚悟し、覚悟のうえで死んでいくなら、それもまた大往生だと思うのです。
みんなの介護 下重さんは日々孤独を満喫していらっしゃると思いますが、そんな下重さんでも、さみしさを感じることはあるのでしょうか。
下重 それはありますよ。私だって人間ですから。でも私は、さみしさを紛らわせる方法をいくつも知っています。ふっとさみしさを感じたとき、すぐに気持ちを切り替えることもできます。
少女時代、私はずっとひとりぼっちでした。小学2年生で肺結核を患い、感染のおそれがあるため、その後2年間も隔離されていたのです。
当時はまだ抗生物質が開発されていなかったので、治療法といえば、栄養補給しながら安静にしているだけ。同じ年頃の友だちとどんなに遊びたかったか。もちろん、感染をおそれて、誰も会いに来てはくれなかったし、話し相手も一人もいませんでした。
みんなの介護 小学2年生の子どもにとっては、とてもさみしかったでしょうね。
下重 さみしくなかった、と言えば嘘になります。しかし私は、子どもなりに覚悟しました。この先、ひとりぼっちを自分の楽しみに変えなければ、このさみしさにはきっと耐えられないだろう、と。
それからは少しずつ、一人きりの時間を楽しみに変えていきました。
例えば、天井板の節目を眺めながら、「怪物の目みたい」などと想像を膨らませたり。雨の日には木目が濃くなって、さまざまな模様に変化して見えました。母の部屋から、芥川龍之介や太宰治の本をこっそり持ち出したこともあります。
蜘蛛の巣もよく見ましたね。どこからか現れた蜘蛛が、おしりから白い糸を出して巣を編んでいく様子を。その技は、見事というほかありません。そして、巣に獲物がかかったときの俊敏で残忍な動き。軒先の蜘蛛の巣に雨滴が光る美しさは、ほかにたとえようがありません。
みんなの介護 自分なりに、楽しみを見つけていったのですね。
下重 今思えば、あんなに贅沢な時間が持てたのは、後にも先にもあの2年間だけ。私はひたすら本を読み、蜘蛛や天井板を眺め、想像力をたくましくしていました。ちっともさみしくなかったし、退屈もしなかった。
私の心性はきっとあの頃に形づくられたものだし、物書きという現在の仕事にもつながっているのだと思います。
これからの介護施設には、入居者一人ひとりの個性を尊重する空間になってほしい
みんなの介護 本日はいろいろなお話をうかがってきましたが、最後に、わが国の介護の現場を改善するための提言をいただければと思います。
下重 お年寄りを十把一絡げに管理するのはやめてほしいとか、童謡なんて歌いたくないとか、いろいろ厳しいことを言ってきましたが、改めて、介護は大変な仕事だと思います。
少ない人数で大勢のお年寄りの世話をするには、効率が重視されるのが当たり前。介護スタッフの方一人ひとりは、厳しい労働環境の下でがんばってくれていると思います。
ひとつだけお願いしたいのは、一人ひとりのお年寄りの個性を尊重してほしいということ。施設として、スタッフにそういう教育を受けさせていないのであれば、経営者はただちに何らかの手立てを講じるべきでしょう。
みんなの介護 スタッフの教育は、確かに重要なことです。他には何かありますか?
下重 もう少し別の視点からいえば、介護スタッフの待遇もただちに改善されるべきですね。スタッフの働く労働環境が悪すぎるから、入居者一人ひとりに気を配る余裕も生まれない。
国は、企業やお金持ちばかり優遇するのではなく、介護の現場にもっと予算を付けるべきです。
みんなの介護 下重さんによれば、人は年をとればとるほど個性的になる、というお話でしたね。
下重 人生の残り時間が次第に限られてくるのですから、あれもこれもと手を出すわけにはいきません。自分が本当にやらなければならないこと、自分が本当にやりたいことを厳選して行う必要があります。だからこそ、その人らしさが先鋭化して現れる。
私についていえば、やらなければならないのは物書きの仕事であり、やりたいことは旅行とオペラ鑑賞。そして人生の最終局面、私の棺が覆われるとき、最も自分らしくありたいと願っています。
職能別の老人ホームができれば、お年寄りも、もう一度いきいきと輝けるはずです
みんなの介護 政府の「働き方改革」が現在どのように進行しているのか、国民の目にはわかりにくいのですが、介護の現場の働き方を変える、何か妙手はあるでしょうか。
下重 スタッフの働き方ではありませんが、高齢者施設のあり方については、ひとつアイディアがあります。それは、職能別老人ホームを建設すること。
数年前、ダスティン・ホフマンが監督を務めた『カルテット!人生のオペラハウス』という映画がありました。それ以前には、黒柳徹子さん主演で『思い出のカルテット』という舞台になっていたので、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。
みんなの介護 どういうお話なんですか?
下重 物語の舞台は引退した音楽家たちが暮らす老人ホーム。そのホームが経営危機に陥ったため、入居者である元音楽家たちがコンサートを開き、その収益金でホームを救うというお話です。
職能別の老人ホームが現実にどれくらいあるのかわかりませんが、発想自体はとても面白いと思います。入居者が全員、元同業者であれば、会話も弾むだろうし、生活レベルのギャップも生じないはず。
なにより必要とあらば、昔取った杵柄で、みんなで一致団結して仕事もこなせるのですから。レクリエーションで童謡を歌ったり、折り紙を折ったりするのではなく、仕事のコツを思い出すために職業訓練をやってもらったほうが、本人たちもずっとやりがいを感じるはず。
そのうえ、自分の得意な仕事でもう一度社会に貢献することができれば、それが大きな生きがいにもなるし、認知症予防にもつながります。お年寄りは人生の最後に、もう一度いきいきと輝いて良いのです。
みんなの介護 それこそ、入居者の個性を活かした老人ホームになりますね。
下重 職能別の「職能」は、なにも音楽家に限りません。美容関連の美容師、スタイリスト、メークアップアーティストを集めたり、大工さん、左官屋さん、内装屋さんなどに集まってもらったり。職能別といっても、さまざまなグルーピングが考えられますよね。
我こそはと手を挙げてくれる、チャレンジャーの起業家が現れてくれることを期待します。
撮影:公家勇人
下重暁子氏が「孤独」の素晴らしさを説く、『極上の孤独』が大好評発売中!
「孤独=悪」というイメージが蔓延する現代社会に、作家・下重暁子氏が「孤独ほど、贅沢で愉快なものはない」と、孤独の効用を説く『極上の孤独』。本書を読めば、一人の時間が充実したものに感じられるはず。“大人”になりたい、あなたにオススメの一冊。
連載コンテンツ
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