撮影当時の関口監督の心境は?
母の<忘れる>ことについてはさほど気にせず、状況を理解しようと思った
今振り返ると2010年は、激動、かつ重要な年であったと思います。この5月、遂に母はアルツハイマー型認知症という診断を受けましたからね。
私は、娘としても監督としても、母の<忘れる>ことについてはさほど気にせず、それよりも、母のエピソード記憶が落ちる頻度と機会を見逃さず、その度に状況を理解し、どのように対応をしたらいいかを探っていたと思います。
姪っ子は姪っ子で、前年の<母の誕生日>を経て、おばあちゃんが<ボケた>ことを自然に受け入れていました。
子どもって、実は大人(私)の反応をよく観察しているものです。周囲の大人の態度が、子どもにはしっかりと反映されるのです。
問題は、肝心の母ですね。
前年の12月に私が一時帰国した際に見せた「恐怖に怯える眼」は、翌1月に私が拠点を日本に移して以降、母と生活を共にするなかで次第に見られなくなりました。
この動画でも、母の反応から読み取れるのは、忘れたことへの恐怖ではなく「あ、また忘れたのか」というくらいの、諦めに近い感情ではないでしょうか?
私や姪っ子が、母の認知症をまっ先に受け入れ、本人に「認知症になっても安心だよ」というGOサインを送ることで、母の恐怖心が和らいでいったのではないでしょうか?
そのとき関口監督がとった行動は?
<何か>が起こるイベントごとだからこそ、カメラを回し、細部を見逃さなかった
映画にとって母の日のようなイベントの撮影は、欠かせません。
必ず<何か>が起こる可能性が高いからです。
今回は、私からはヘアカット、姪っ子からは花束のプレゼントを計画しました。
ヘアカット後にマッサージを受けているときの母の発言には、ビックリしました。「男に縁がない」というようなことは、これまで口にしたことのない人でしたから!
私は、初めてそんなあけすけな母のことを「いいじゃん」と思えたのです。
ただ、母が、姪っ子の「おばあちゃんは、母のような人」というグッと来る言葉よりも、どこに花束を隠しておいたかを気にしていることは見逃しませんでした。細部を見逃さない。
これは映画を作るうえでも、介護をするうえでも大切なポイントだと思います。
この細部から私は、母が<母の日>であるという大義を理解していなかったのだろうと思いました。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
「どうしたの、しっかりして」などと言いがちだが、それは私たち介護側に大きな負担として跳ね返って来る
認知症の介護においては、私たち介護側に突きつけられる問題にもステージがあると思います。
まずは、認知症初期の記憶の問題をいかに早く受け入れるか。
家族は認知症による記憶の問題から生じる、日常生活のトラブルに対し、本人に「どうしたの、しっかりして」などと言いがちになると思います。
しかし、この言葉は、本人のみならず、私たち介護側に大きな負担として跳ね返って来るものです。
激励のつもりで言っても、もう本人にはどうすることもできない。
私の母のように話を逸らすか、中には怒り出す人もいるでしょう。
認知症の人は記憶が抜け落ちてしまっていても、感情は残るとよく言われます。
本人の気持ちを無視したかかわりは、介護をするうえで大切な関係性の悪化にもつながりかねません。
それだったら、まずは本人を主体に考えて、どうしたら心安らかに1日を過ごしてもらえるかのアイデアを考える。
私の母に対する認知症ケアのほとんどの時間は、そのアイデアを考えることに費やされていると言っても過言ではないですね。