撮影当時の関口監督の心境は?
命日を忘れていることを伝えたらどうなるのか知りたい!そんな気持ちでした
関口家は、誕生日やら記念日はあまり大騒ぎをせずという家風(?)でした。
そんな風に育ったので、私は結婚した翌年、結婚記念日をすっかり忘れて夫に呆れられ、離婚するときには結婚した年月日さえも忘れているという始末でした。
そんな我が家で、認知症になる前の母が一番こだわっていたのが、命日などの仏事でした。
母の父(祖父)は日蓮宗で道場まで通っていた人で、母はそんな父と一緒に道場に行っていたこともあり、仏事はとても大切だとよく言っていました。
我が家の仏壇は、父方の祖父母、父の弟である叔父、そして父というようにとても賑やかです。
母は、春と秋のお彼岸には必ず墓参りをして、その後、お坊さんが家まで経を上げに来るという段取りをしていました。
しかし、この動画で、母は父の命日を忘れていました。
忘れることに驚くべきでしょうか?
この頃の母にはすでに記憶の問題があった(この理解は重要!)ので、全然驚きませんよね!
ただ、驚きはしませんでしたが、ちょっとしたいたずら心が私に芽生えたのです。
認知症になる前はあんなに大事にしているように見えた、命日という仏事。
それを忘れていることを伝えたらどうなるのか知りたい!そんな気持ちでした。
そのとき関口監督がとった行動は?
認知症の母を<踏み越えていく覚悟>でカメラを回した
2010年4月は忙しかった!梅干し事件があり、父の命日がありました。
この動画に映っている母は、便座カバーの汚れをブツブツ言いながら洗濯していました。
納得いかない表情の母は、カメラを向ける私に苛立ったことでしょう。
<踏み越えていく覚悟>でカメラを回さなければ、撮影はできない…。
当たり前ですが、母は、機嫌の良いときばかりではないのです。
私にとって初めての経験であり、実母を被写体として選んだことを今更ながら突きつけられました。
一方、母の視点からみれば、今までできていたことが次々にできなくなり、混乱が続き、不機嫌極まりない(内心は不安?)のに、さらに娘には「夫の命日」について聞かれる。
こんな嫌なことはないですよね。
そうわかっていても、母がどうするか知りたいという監督としての欲求の方が強かったことを思い出します。
その結果、母は自分の大好物であるうぐいす豆のパックをそのまま仏壇に上げるという行動に出ました。
しかもこのうぐいす豆は、父が大嫌いだったというオマケつき。久しぶりに大笑いしました!
同時に認知症の母の世界は、究極の自己中心の世界であり、初めてちょっと切なく、母のことを愛しいと思ったのです。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
介護には、笑いが必要。笑いを大切にし、介護者自身も介護生活のなかに笑いを見出す
認知症初期の母は、いつも不機嫌でイライラしていました。
記憶に支障が出ることで、日常生活の中に混乱が多くなれば、やはり苛立つでしょう。
自分の感情ではなくて、まず最初に介護側の気持ちを考えたり、分析したりする。
介護する側の人は、まずこれを習慣づけると良いのではないでしょうか。
私の場合は、苛立つ母に子どもの頃から慣れていて、よく理由を考えたものでした。
母には、完璧主義者のところがあったので、自分の思う通りにならない私と妹にイライラしているんだなと思っていましたね(笑)。
そんな不機嫌な母を喜ばす役は、亡くなった父でした。
父は、ファミレスなどない時代に毎週末外食に連れていってくれ、年に1〜2回、必ず4人で家族旅行に行きました。
家事から解放された母が、ニコニコしていたことを覚えています。
そんな思い出があったので、母の介護には、最初から笑いが必要だと考えていました。
笑いを大切にし、私自身も介護生活のなかに笑いを見出す。母の不機嫌には、一番効く薬だと確信したからです。
このうぐいす豆事件で、母の思いもよらない行動に私が笑い、笑うことで介護生活に対して少し気が楽になったことを覚えています。
介護には、「一日一笑」ですね!