撮影当時の関口監督の心境は?
トイレットペーパーは娘の私に絶対に知られたくない秘密。そのことをわかったうえで踏み込んでいく
認知症の母には、いろいろと聞いてみたい!
この欲求は、娘というよりも監督として聞かねばナラヌという気持ちでしょうか。
忘れてはならないのは、母は私が製作しているドキュメンタリー映画の<被写体>であるということです。
<被写体>であり、<母>であるということは、「毎アル」シリーズをつくるうえで大きな要素です。
それは、私に対する母の態度に表れていると思います。
母から見たら、私は娘以上でも以下でもありません。
もちろん母は、私が監督であることはどこかで認識しているとは思いますが、そんなことは知ったこっちゃない!そんな私に対する態度が、この動画から見て取れませんか?
これこそが自分の家族にカメラを向ける意味であり、ドキュメンタリー映画の醍醐味だと言えます。
母のむき出しの本音を撮影することができる!

もっと言えば、母のむき出しの感情を撮りたいがゆえに、時にはビビリながら、時には恐れず、母に聞きづらいことを聞いていくのです。
トイレットペーパーの秘密は、母にとっては娘の私に絶対に知られたくないこと。
そのことをわかったうえで母に対して踏み込んでいく。
ですから、この動画のように母が悪タレをついたときの私の気持ちは「してやったり」なのです。
ただし、母は怒った事実やその理由を忘れても、怒ったという感情は残るので、<それでも介護は続く>という点から考えれば、好ましい行動とは言えない。
でも、こういったことをまるっと理解していることが重要ですよね。
そのとき関口監督がとった行動は?
理由を突きとめる<探偵>になり、その理由を理解し受け入れる
トイレットペーパーは、なぜこんなに早くなくなっていくのか?
その理由を突きとめる探偵になる。
以前にも書きましたが、<探偵になる>ことは、母の介護をしている私自身が楽しい。
大変なことが多い介護のなかで、自分の気持ちを楽しい方向性に持っていく努力こそ、大切だと考えています。
そして、母の行動の理由を探ることは、母を理解することにつながります。母を理解したうえで、母に合ったケアのあり方を探る。
この動画のトイレットペーパーのオチは、やはり尿もれパッドに使用していることでした。

<探偵=私>は理由を理解し受け入れ、納得したうえでトイレットペーパーを買い続ける選択をしたのでした!
母の性格を思えば、無理に尿漏れパッドやおむつを勧めるなんてもってのほかですから。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
介護は、愛情ではなく理性。言葉から垣間見える母の死生観も、しっかりと理解する
トイレットペーパーの消費量の多さを示すストーリーではありますが、そこから垣間見えたのは、母の死生観です。

この「朝(家族が)起きてきたら(私は)死んでいた」というフレーズは、母が繰り返し言っていることです。
もちろん、認知症なので言ったことを忘れてしまい、何回も繰り返していることは間違いありません。
しかし、私が注目するのは繰り返し同じことを言う<意味>です。
すなわち、なぜ同じことを言うのか、という理由の方なんですね。
皮相に見えることの意味を考える習慣をつける。
私はこうして母の死生観を理解し、自分のなかでメンタル・ノートをしっかりとつけ、必要なとき、例えば、将来母の看取りのときに取り出す。そんな感じでしょうか。
母の事象を観察し、分析し、理解し、プランを考える。
これは、私が母の日常のケアでいつも心がけていることです。
介護は、愛情ではなく理性。介護生活10年目に突入した私の信条です。