撮影当時の関口監督の心境は?
「映画を作る」という強固な意志に突き動かされて、母に対する恐れ(ビビリ)を克服
いったい全体、母はアルツハイマー型認知症であると診断されたことをどう思っているのか。
これは、娘としても監督としても絶対に知りたいと思っていました。
しかし、いつ質問したらいいのか?そんな矢先、私の誕生日である5月28日がやって来ました。千載一遇のチャンスです!

私が同居することで母が安心したのは、間違いないと思います。
私がオーストラリアから帰国して以来、不安そうだった母の様子は見られなくなり、むしろ強気にすらなっていました。
実際、本人も私のオーストラリアからの帰国を「神の采配」だと公言していましたからね。
しかし、その一方で、私は強気になった母の勢いに押されてビビってしまい、診断結果のことを単刀直入に聞けなかったのです。
そんな経緯で私は、自分の誕生日の話題から入って、診断のことを質問してみようと試みました。
ところが、母は話題を「楢山節考」の話へさっさと持っていってしまいました。
私も、母の時代の「楢山節考」は、田中絹代だったんだと改めて感心したりして…
よくよく考えてみなくても、母のこの自己中をさらけ出す強気は、私が小さい頃から見慣れた<光景>ではあったんですよね。
母は、親としては父よりもずっと専制君主的な人でしたし、母の言うことは聞かなければナラヌという雰囲気でしたから。
結果、私は大学入学と同時にさっさと家を離れましたし、妹は妹で、母に対しての強烈な反抗期が長く続きました。
そんな、かつてのような母の強気の合間を縫って、診断のことを聞こう。聞かねばナラヌ。
なぜなら映画にとっては欠かせない質問だからだ、と私は考えていました。
そうやって考えてみると「映画を作る」という強固な意志に突き動かされて、私は、自分の母に対する恐れ(ビビリ)を克服できたんだなあと改めて思いました。
そのとき関口監督がとった行動は?
レンズを通して母を見る。カメラを向けていると、撮れているもの以外にも気づいてくる
この動画で私がとった行動は、小型ビデオカメラを母に向けること。映画を作るんだという私の強い意思の現れです。
ここは、一般の介護者の家族の方々とは、違うところですよね。
カメラというレンズを通して見える母は、私にとっては<被写体>です。
カメラを向けていると、撮れているものもさることながら、撮れていないものにより気づくのです。
この撮れていないものの中に、「いったい本人は、認知症であると診断されたことをどう思っているのか」という私の素朴な疑問がありました。
母がどう思っているのかについては、母が認知症であるとの診断を受けてから、ずっと知りたいと思ってきました。
このタイミングで質問ができたのは、私の帰国以来、母が強気でいたことも大きかったと思います。
強気な母でいてくれるからこそ、聞きづらいことが聞きやすい。

母がメソメソしていたら絶対に聞けなかったと思います。
ですので、この動画の私の誕生日の話題から始まる一連の質問は、内心ビビりつつも、満を持して臨んだと言えます。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
「認知症の母に問題あり」とは考えない。考えるべきは、「介護する私が、そんな母にどう対応すべきか」
本人に認知症であることについて質問するのは、ケースバイケースではないでしょうか。
介護をしている家族としては、知りたいと思うことも多々あるかと思いますが、まず考えるべきは、以下のことのように思います。
- ①本人に質問する理由は、何か
- ②質問すると決めた場合、本人にとってどのタイミングがベストか、またどのような影響があるか
- ③本人から得られた答えをどのように分析し、介護に活かすことができるのか
質問することで、ポジティブな形で介護に活かせると思うのであれば、ぜひ聞いてみてください。
一方、本人の性格などの理由から、質問したことによって、その後の介護が大変になるかもしれないという不安があるのであれば、控えた方がいいのではないでしょうか。
認知症介護は、介護する側がご本人をどのぐらい理解しているか。
そこから常に介護側のいろいろな行動を導き出すべきであると強く思っています。
母の介護の際、私はまず、「問題は母にはない」と考えます。一般的に私達は、「介護する認知症の人に問題あり」と考えがちです。
しかし、よくよく考えなくても、すでに認知症になってしまった母は、もうどうにもこうにも変わりようがないのです(認知症以前の母の性格も変わりようがありませんでしたが…)。
ということは、考えるべきは、「介護する私が、そんな母にどう対応すべきか」という一点のみになるかと思います。
ここを常に忘れず、母を徹底的に観察し、次にとる行動を決める。
これが、私が認知症介護において唯一無二であると考えるようになった<パーソン・センタード・ケア>という概念です。
このことについては、追い追い書いていきたいと思います。