酒井 穣(さかい・じょう)です。第25回「虐待者の続柄1位は息子(40.5%)。息子介護→介護離職を阻止せよ」では、「息子介護」というテーマに寄り添いつつ、虐待について考えてみました。
まず、介護は女性がやるものという認識は、完全に誤解であることは、広く知られる必要があります。
そのうえで、息子による介護が、妻による介護を上回っているというデータは、その現実を示しています。
どうしても虐待に至りやすい息子による介護の救いとなるのは、介護のプロを介入させることでした。
今回は、私たち40~50代の「逃げきれない最初の世代」が、親の介護に対してどのように向き合うべきか、基本的な視点を整理していきます。
日本の衰退が不可避となったいま、今後の介護をめぐる状況は、ほぼ確実に悪化していきます。そうした中で、私たちにできることはあるのでしょうか。
親の介護は専業主婦の嫁さんが…
そんな時代はとっくに終わりを告げた
現代の介護については、社会的な認識がそもそも事実とズレてしまっています。
その背景にあるのは、戦後日本の、あまりにも急速な社会変化です。
戦後日本において活躍した世代は、兄弟姉妹が多数いて、専業主婦が家を切り盛りするというのが常識でした。
この時代の介護は、大黒柱たる男性が、直接親の介護をするということは(ほとんど)なかったのです。
そうした時代を生きた人はもちろん、そうした親を見て育った子どももまた、新たに立ち上がっている現代社会における介護の特徴を見誤っています。
私はこれを、日本における介護問題が遅々として改善しない大きな原因のひとつだと思っています。
たとえば、日本最大の業界団体であり、国政にも大きな影響を与える経団連の役員は、60〜70歳の男性で占められています。
日本全体で言っても、経営者の平均年齢は60歳程度になっており、政治家であれば55歳程度が平均です
『女性社長比率(2018年)』(帝国データバンク)時点
今の日本の行く末に関わる意思決定は、この世代の人々が行っているわけです。
そしてこの世代は、先に述べたように、介護について古い価値観を持っている可能性が高いのも否めません。
実際に、兄弟姉妹も多く、おそらくは専業主婦が家にいるこの人々は、自分の親の介護を、自分の手で直接的に行うことも少ないと考えられます。
それこそ、親のオムツ交換を自分でやったことがある人は皆無でしょう。
現代日本のリーダーたちは…
介護も育児もやってこなかった
こうした人々が現代日本のリーダーである場合、介護に関する認識は「なんとかなるもの」というあたりに落ち着きやすく、どうしても甘くなるでしょう。
少なくとも自分ごととして、仕事と介護の両立を考えるのは難しい人々でもあります。
子育てについても同じで、現代の日本のリーダーたちは、スーツを着たまま自分の子どもの手を引いて、託児所の前で待っているといった経験をしていない人がほとんどです。子どもの運動会ですら、行ったことがないという世代ですから。
介護についても、子育てについても、現代日本のリーダーには、現代に通用する正しい認識がないと言っても過言ではないわけです(もちろん例外も多少いるでしょうか、一般論として)。
この連載を読んでいただいているみなさんであれば、もはや常識になっていることが、現代日本のリーダーたちにとっては常識ではないわけです。
兄弟姉妹がいない一人っ子は多数います。専業主婦は絶滅危惧種ですし、そもそも未婚の人も多数います。
仮に専業主婦がいたとしても、その専業主婦に義理の両親の介護をさせると、介護離婚に至ってしまうケースが多くなっています。
嫁(義理の娘)に対するセクハラやパワハラが許されていた時代は、とうの昔に終わっているからです。
そうして現代の介護は夫婦間において、できる限り協力はするものの、基本的に「自分の親の面倒は自分がみる」ということが常識になっています。
「逃げ切れる世代」が「逃げ切れない世代」のミライを考える
これまで述べてきた時代の移り変わりを別の角度からみると、男性社会を維持するために、女性が犠牲になってきた時代が終わろうとしているということでもあります。
女性の社会進出について「女性に下駄がはかされている」という文句を聞くことがありますが、それは大きな誤解です。
これまで下駄をはかせてもらってきたのが男性であり、いよいよ、男性が下駄を脱ぐ時代になったということですから。
そうして、これまで楽をさせてもらってきた男性は、家庭内で発生する本来の負担を背負うことになりました。
ただ、親の介護に直面しやすい40代以上の男性は、例えば中学高校で、家庭科ではなく技術科を履修させられていたりします。
家でも、そうした教育を受けているケースは稀でしょう。
さらに、先に述べたとおり、会社の経営者などが、そうした男性をめぐる実情の変化を理解していないのです。
せいぜいが「パワハラやセクハラの取り締まりが厳しくなったので注意する」程度の認識である可能性が非常に高いと考えられます。
そうなると、日本の多くの企業において、従業員の仕事と介護の両立問題を、ここまで述べてきたような社会変化の背景を正しく認識し、その対応について真剣に取り組んでいるところは(まだ)少ないはずです。
介護離職や、介護が原因の虐待、そして介護殺人について、自分の問題として考えてくれる環境は、いまの日本には(まだ)存在していないということです。
そもそも、60歳前後の世代になっている現代日本のリーダーたちは、年金も十分にもらえる「逃げ切れる最後の世代」です。
逃げ切れる世代の人々が、「逃げきれない世代」の環境整備について本気で考えるのは難しいはずです。
これは、だから古い世代はダメだという話ではなくて、ほとんど生物としての限界でしょう。
逆に、現代の40〜50代の世代は「逃げきれない最初の世代」になります。
最初の世代なだけに、求められる支援も十分には整備されていないし、何が正解なのかを考えるためのロールモデルもありません。
これが不安でないはずがないし、仕事と介護の両立を上手にこなせる人も、なかなか出てこないでしょう。
これらの前提を持った上で、現代の40〜50代の「逃げきれない最初の世代」が、親の介護に対してどのように向き合っていくべきかについて、私たちの世代が持つべき「親の介護と向き合うための前提」を3つに分けてまとめてみます。
親の介護と向き合うための前提【その①】
「周囲の理解は不十分で、支援も少ない」
現代日本のリーダーとなっている60歳前後の世代は、基本的なところで、仕事と介護の理解をしてくれることはないと覚悟する必要があります。
特に介護については、上の世代のアドバイスは参考にならないという認識をしていないと大変なことになります。
「逃げ切れない最初の世代」が実質的に行うのは、参考になる先行事例のない、仕事と介護の両立というフロンティアの開拓です。フロンティアの開拓においては、周囲の理解は不十分ですし、支援も足りないことがほとんどでしょう。
そうした環境においては(1)介護について自ら勉強をして必要なものは自ら取りに行く態度、(2)自分と同じようにフロンティアを開拓している仲間と横連携する態度、これら2つが生死を決めてしまいます。
要するに、待っている限り死ぬしかない、野生で生きる多くの生物たちと同じです。
会社に支援制度がないのなら、自らが起案して、会社の支援制度を整えるくらいの行動力が必要です。
また、自分と同じフロンティアで戦う仲間との連携は、ディフェンスのための群れを組むという生物の生存戦略です。
一匹オオカミというブランドは、自らの命(または親の命)をかけるほど重要なものではないはずです。
さっさと、助け合える仲間を得ることを考えましょう。
これは連載第23回『「地域包括ケアシステム」の現実は地域レベルで行う“老老介護”!?』でも指摘した、地域包括ケアという考え方の根幹です。
親の介護と向き合うための前提【その②】
「受けられる支援が時間とともに減る」
国の社会福祉財源が枯渇してきています。
日本のGDPは、今後40年で25%も減ると言われます(NHK NEWS WEB, 『日本の人口減少 今後40年でGDP25%以上減とIMF試算』, 2018年11月29日)。
どの角度から切っても、日本の国力は低下し、日本という国自体が衰退することは不可避というのが現実です。
そうなると、自分の給与が減ることはもちろん、今はまだ受けられている公的な支援の多くがカットされることは織り込んでおかないとなりません。
これは、自分自身が社会的弱者になるという覚悟を意味しています。
長期の住宅ローンを抱えているなら、小さくてやや古い家に買い替えたりして、生活の規模を縮小することも検討すべきでしょう。
国自体が縮小するのですから、自分だけが拡大できると考えないことです。
せめて現状維持ができるよう、仕事のスキル獲得にも注意が必要です。
特定の会社や業界でしか通用しないスキルではなく、在宅でも、時間に縛られずに価値が出せる仕事に通じるスキルの獲得が求められます。
場合によっては、国外に逃亡する準備も大事かもしれません。
ここに関しては、この連載を開始するにあたって最初に述べた連載第1回『弱者への自己責任の強要は間違い!?』も読んでいただけたらと思います。
親の介護と向き合うための前提【その③】
「親を見捨てざるを得ない可能性がある」
民法においては、自分自身と同じレベルの生活を維持すべきという「生活保持義務」があります。
この「生活保持義務」は(1)夫婦間、(2)未成熟の子どもに対する親の扶養、という2つの範囲でのみ、適用されることになっています。
そしてこの「生活保持義務」は、子どもから親という方向には働いていないことには注意する必要があります。
親もまた自立した大人であり、自分の生活は自分でなんとかすることが期待されるからです。
さらに親の世代は「逃げ切れる最後の世代」にあたり、現代の支援は、将来の支援よりもずっと充実しています。
では、子どもは親に対してなんの義務もないのかというと、それも違います。
自分に十分な余裕がある場合は、親や兄弟姉妹が困っていたら助けましょうという「生活扶助義務」があるからです。
自分に余裕がない場合、民法上は、親の面倒をみる必要はないわけです。
最後の最後、親があなたに扶養義務を訴えてきた場合、あなたに余裕がなければ、裁判では勝てることを忘れないでください。
心情的にはともなく、親の介護は、自分の生活をギリギリの状態に落としてまで、子どもが行うべきこととはされていないのです。
もちろん、法律を超えて、自分としてそうした選択をするのは自由です。
それは法律違反ではなく、法律を超えた余裕のある行動なので、社会的にはむしろ歓迎されることでしょう。
そもそも、親をあなたがいないと生きていけない状態にすることは、間違った介護です。
詳しくは連載第11回『介護離職は介護者と要介護者に“負のスパイラル”をもたらす』を読んでもらいたいのですが、身寄りのない独居の要介護者であっても、今の日本であれば、ギリギリ生きることが可能です。
親の介護を、自分の人生がうまくいかないことの言い訳にしないように注意する必要があります。
私たちはこれから、以上3つのことを念頭に生きていかなければなりません。
国の体力があったこれまでとは違い、自分の力で考え、いざというときプロに頼る経済力を持ち、最悪の場合、親を見捨てる覚悟をしておかなければいけないのです。
もちろん、そうならないことを信じています。しかし、そうなってしまったときに身動きをとれる状態でなければ、私たちにミライはありません。