酒井 穣(さかい・じょう)です。第23回「『地域包括ケアシステム』の現実は地域レベルで行う“老老介護”!?」では、一人では無理な介護にとって、ほぼ唯一の希望とも言える「地域包括ケア」について考えました。
「地域包括ケア」の中身は、実質的には、地域の人間関係によって支え合う互助で、地域のボランティアがそれを支えるというモデルです。これしか残されている手がないのですから、困ったものです。
今回は、そんな悲惨な未来を少しでも軽減する可能性のある「早期発見・早期対応」というヘルスケアの本丸について考えてみます。ここが上手く回れば、健康寿命を延ばすことができ、日本は幸福な高齢化を実現できる可能性があるからです。
要介護認定者数600万人超え!
税金を使う側が、税金を収める側に回ると…
厚生労働省が発表した「介護保険事業状況報告の概要(2016年5月)」によると、2016年4月時点での要介護(要支援)認定者数は622.3万人です。
そもそも論として、介護を必要とする人が減れば、これまで考えてきたようなさまざまな悲劇を回避することができます。
介護を必要とする人が減れば、その分だけ、働ける高齢者を増やせます。働ける高齢者が増えれば、現在の人手不足が解消されるだけでなく、税収アップも期待できます。
税金を使うはずの人が税金を納める人になれば、日本の社会福祉が大きく増進するのは当然のことでしょう。
これが実現されたら、日本の未来はまだまだ明るくできる可能性も高まります。逆に、これに失敗すれば、この連載でずっと考えてきたような悲惨な未来へと一直線です。
では、介護を必要とする人を減らすとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。
普通に考えれば、亡くなる直前まで、元気に働いている人を増やすということになりますが、それは目的地であって、その目的地に到達するための手段ではありません。そして、ただ目的地の素晴らしさを語るばかりでは、状況が変わらないのは当然です。
今、日本の高齢化問題に求められているのは、どのようにして、そうした目的地に到達するのかという手段に関する議論とアクションでしょう。ここに関して、以下、もう少し詳しく考えてみます。
このままでは2030年に要介護者900万人
あなたは亡くなる直前まで働けますか?
介護を必要とする人を減らすとことで、これまで考えてきた日本の介護高齢化問題を解決することができると述べましたが、経済産業省「将来の介護需給に対する高齢者ケアシステムに関する研究会(2018年)」によると、2030年には要介護(要支援)認定者数は900万人に達すると見られています。
介護を必要とする人を減らすということは、究極的には、亡くなる直前まで元気に働いている人を増やすということです。人数的にも、割合としても、こうした人が増えていることが理想です。いきなり余談ですが、こうした状態が「ピンピンコロリ」と表現されることがあります。
しかしこの表現は、介護されていたり、重い病と戦っている真っ最中の人にとってかなり不快なものです。ですから個人的には、この表現は使用しないようにしています。
とにかく、亡くなる直前まで元気に働いている人が大多数であり、かつ、運悪く介護が必要になってもそれが差別されない社会の実現が、私たちが目指すべき目的地です。
では、具体的にどうすればこの目的地に近づけるのでしょうか。
この答えは、逆説的ですが、要介護認定を受ける人を増やし、現在の行われている介護の質を高めるということに尽きるのです。これ以外にも、健康についての啓蒙活動や、高齢者の社会参加をうながすといったことが必要になるのは当然です。
ただ、こうした活動は、過去からずっと続けられてきており、それだけではどうにもならないからこそ、今の状態ができてしまったことも事実です。これからも、こうした活動も続けられることでしょう。
しかし、それでは不十分であることが明白な今、これらを目的地に近づくためのメインの手段とすることはできません。
秘策は“要介護認定の義務化・効率化”
一番恐ろしいのは要介護認定が遅れること!
要介護認定とは、介護の必要性を公的に専門家が診断し、その結果に従って、個々に必要となる介護を届けるための認定作業です。
要介護認定を受ける人が増えると、一時的には、介護を必要とする人を増やしてしまうことになります。
しかし、そうして見つかった介護を必要とする人は、そこから専門家による介護を受けることになり、重度化を遅らせることができるばかりか、場合によっては健康な状態にまで回復する可能性さえあります。
そして、実はもっとも恐ろしいのが、要介護認定が遅れることです。
本当は適切な介護が必要なのに、要介護認定を受けないまま年月が経ってしまうと、いざ、本当にどうにもならなくなったときには、すでに重度の状態で、回復が見込めないことも多いのです。
そうなってしまうと、家族にとってはもちろん、重度化した介護のために多額の公費が必要となり、社会にとっても大きな負担となります。
65歳になったら、定期検診と合わせて、要介護認定を義務化するような施策があれば、病気やフレイル(介護になる一歩手前の虚弱状態)の早期発見につながります。
多数の人が受けやすくするために、要介護認定の内容を見直し、ITによる効率化などを進めることも重要です。そうして早期発見ができればこそ、病気や介護の重度化を回避しながら、健康な状態に向けた有効な対策も打てるのです。
これが結果として、介護を必要とする人を減らすという理想に近づくための、保守本流の考え方になります。
「病気がない=健康」ではない
深刻化する前に介護を受けることで家族は救われる
ここで注意したいのは、通常の健康診断には、介護が近づいているかどうかの判断までは含まれないことも多いということです。
そうした健康診断も一部存在していますが、まだまだ少数派です。一般的な健康診断の多くは、あくまでも、病気の発見が目的になっています。
しかし介護は、それこそなんの病気がなくても必要になることが多いのです。病気がないということは、健康であるということとイコールではありません。
食事が億劫になった結果としての低栄養だったり、関節が曲がりにくくなって転びやすい状態であるだけで、介護が必要となる危険性はかなり高まります。
ここの理解は、一般にはあまり広まっていないかもしれません。
以下、厚生労働省「高齢者の住宅と生活環境に関する意識調査結果(2009年」によると、高齢者の10%以上は、日常生活において転んでしまうことがあるとわかりました。
計 | この1年で一度だけ転んだ | この1年で何度も転んだ | ||
---|---|---|---|---|
転んだ割合 | 10.6% | 6.2% | 4.4% | |
計 | 【年齢階級別】 | |||
60~64歳 | 6.8% | 4.8% | 2.1% | |
65~69歳 | 8.5% | 5.1% | 3.5% | |
70~74歳 | 10.1% | 6.2% | 3.8% | |
75~79歳 | 11.3% | 6.5% | 4.8% | |
80~84歳 | 18.6% | 9.0% | 9.6% | |
85歳以上 | 25.3% | 12.6% | 12.6% |
要介護認定によって、なんらかの介護が必要と診断される状態が、具体的にどのようなものなのか、世間一般の人は理解していないことも問題です。
それこそ、先月2回転んだとか、信号が青のうちに横断歩道を渡りきれないといったことは、介護が必要になる重要なサインです。
この段階で専門家が介入すれば、それ以前の健康な状態にまで回復させることも十分可能です。
しかし世間一般では、介護というと、寝たきりで流動食を食べているようなイメージになってしまっています。介護とは「シモの世話」であるくらいに考えている人がまだ大多数であるという現状は、高齢化をチャンスに変えようとしている日本にとって、最大のリスクとも言えます。
そもそも高齢者自身が「自分には介護など必要ない」と発言することも多くありますが、それは単に、介護のイメージが間違っているのです。
介護とは、愛する人のお荷物になることではありません。むしろ、愛する人のお荷物にならないためにこそ、早期に頼るべきなのが介護だという認識が求められます。
実際に、介護のプロが介入することで、家族の負担は必ず減らせるものです。
本当に優れた介護は、それを享受する人が「生きていてよかった」と感じられる瞬間を創造します。その専門性を持っている介護のプロに頼ることは、誰にとっても嬉しいことなのです。
ただし、そうした優れた介護は、介護を必要とする人を早期に発見できた場合に(ほぼ)限られるというのが、本当に難しく、かつ、悲しいことなのです。
介護施設や病院の倒産件数は過去最多!?
日本を滅ぼす不都合な真実とは…
要介護認定を受ける人を(強制的にでも)増やすのと同時に、どうしても進めないとならないのが、介護の品質を高めるということです。
介護業界は、そのニーズに合わせて急速に拡大しています。結果として、介護現場には、まだ専門性が十分に身についていない人が多数います。
せっかく、早期に介護を届けることに成功しても、その介護の品質が高くなければ、ただ単に介護を必要とする期間を長くしてしまうだけです。
そうなれば、亡くなる直前まで健康に働いている人を増やすという目的地から、かえって遠ざかってしまいます。
その意味では、要介護認定の義務化は、諸刃の剣になっているわけで、国としてもなかなか怖くて進められない施策かもしれません。
介護の品質というのは、医療の品質とともに、ある意味で、議論されること自体がタブーとされる領域です。なぜなら、介護も医療も、そのサービス品質に差がないというのが、国の建前だからです。
介護を受ける場合、未経験から介護業界にやってきたばかりの新人介護職に介護されても、介護一筋20年のベテラン介護職に介護されても、料金は同じです。
病気になった場合も、1年目の新人医師に診てもらっても、20年目のベテラン医師に診てもらっても、料金は同じです。
料金が同じなのは、その内容には品質の差がないとされているからです。しかし、そんなことが建前であることは、誰もが知っています。
ただ、この建前を崩してしまえば、ベテランによる品質の高い介護や医療を受けられるのは、お金のある富裕層だけとなってしまいます。国は、それを長年嫌ってきたのです。
より正確には、国は、介護と医療については、市場の原理(品質の高いものは、値段も高い)を導入してこなかったということです。
しかし、介護事業者や病院という法人は、実質的には市場の原理で動いています。赤字になれば倒産しますし、ベテランには高い給与を出さないと人材の確保もできません。
ここに、日本を滅ぼすことになる不都合な真実があります。
介護事業者や病院の経営者の立場になってみてください。売り上げは、国によって定められています。新人でもベテランでも、一律同じ料金です。
しかし、人件費は、どうしてもベテランが高くなります。
この状況で、経営が苦しくなれば、あなたならどうしますか?
利益を確保するには、人件費の安い新人だけを中心として採用し、ベテランには辞めてもらうしか取り得る戦略がないはずです。
新人とベテランで品質に差がないという建前に従う限り、経営が苦しくなれば、現場の品質は下がっていく運命にあるわけです。
そして、介護も医療も、国によって定められる特定のサービスあたりの売り上げは、改定のたびに下げられ続けています。
急速な高齢化にともなって、介護のための財源も、医療のための財源も、枯渇してきているからです。
今の日本では、介護事業者も病院も、かつてないほどに経営が苦しくなっています。
更新
著名なブランド病院でさえ、いつ潰れてもおかしくない状況なのです。
実際に、病院や介護施設の倒産件数は過去最多となり、経営が年々苦しくなっていることがわかります。
このままだと介護事業者や病院がもっと潰れる
品質を上げれば儲かる仕組みが必要不可欠
それでは、ここまでの話を一旦整理してみます。
まず、日本のあるべき未来として、亡くなる直前まで、元気で働く高齢者が大多数という目的地があります。
この目的地に近づくには、まず、介護や医療の品質を高めることが必要です。
それがないままに、要介護認定を受ける人が増えてしまえば、沈没の速度が上がってしまうだけだからです。
しかし、介護や医療の品質を高めるには、品質を高めたほうが儲かるという仕組みがないと、介護事業者も病院も、それに対応ができません。
儲かるという言葉を使うと誤解されてしまうかもしれませんが、そもそも儲からないということは、赤字で倒産するということです。
介護や医療を維持するためにも、介護事業者や病院には儲けを出してもらわないとならないのです。
こうして議論を振り返ってみて、見えてくることがあるでしょう。
それは、介護も医療も、そのサービス品質に差がないという国の建前を、本音で変化させない限り、日本の未来はないということです。実は、国もこれをよく理解しています。
少しずつではあっても、優れた介護や医療のサービスには加算という形で、それを評価するようになってきているのです。
また、規制緩和によって混合介護や混合医療を徐々に解禁しつつあり、徐々に、この聖域に対して市場の原理を導入しはじめています。
市場の原理は、一時的には富裕層に有利な状況を作ります。
しかし、中~長期的には、品質を高めれば儲かるという事実は、市場全体の品質を底上げします。
昔は、富裕層しか購入できなかった自動車も、今では誰でも購入できるようになったことと同じです。
介護・医療の品質が向上されたとき
要介護認定が義務化され、日本は前に進める
規制緩和による混合介護や混合医療の解禁が目指しているのは、競争による品質の向上を通して、亡くなるまで元気で働く高齢者を増やすということなのです。
まずは、品質の向上です。それが十分だと判断されたとき、健康診断と要介護認定は、国民の義務として強制されていくことになると思います。このシナリオが、日本に残された保守本流の高齢化戦略です。
この戦略をダメにする最大の不安要因は、人工知能が想像以上にビジネスの現場に導入され、世界に大失業時代が到来してしまうことです。
人工知能が仕事を奪っても、あらたな雇用を生み出す新産業が登場していれば、この問題はなくなります。
その意味で、日本の高齢化戦略は、新産業創造戦略とセットになっているわけです。