ユカイさん、ご無沙汰してます!お元気そうですね。ご著書の『育爺。』を読ませていただきましたが、子育てもすごく軽やかに楽しそうじゃないですか。
今回のゲストはロックシンガー・俳優のダイアモンド✡ユカイさん。ユカイさんは壮絶な不妊治療の末の2010年に待望の第一子が誕生し、2011年には双子の男児が誕生。50歳を超えたいまも子育てに奮闘しています。そんな経験を著書『育爺。』に綴っているユカイさんに漫画家くらたまが、子育てのこと、家族のこと、ひいては介護のことまで話を聞きました。
- 構成:みんなの介護
壮絶な不妊治療の末に愛娘を授かったダイアモンド✡ユカイさん。その後、さらには双子の男児も誕生し、50歳を超えて子育てに奮闘。女性を口説くためのバラードは、いまや子供をあやすための子守歌に…。子育ての手抜き術から将来のための教育方針、家族への愛――子育てを通して知ったすべてを綴るロックスターの子育て奮闘記。
子育ては思うように行かない


いや本に書くのは、良いところだけです(笑)。子育てって、実際には思うようにいかないことのほうが多くてストレスを感じるときもあるじゃないですか?

たしかにそうですよね…。もう、お子さんはおいくつになるんですか?

長女が小学5年生で、双子の男の子は3年生なんです。
お姉ちゃんは自分で自分のことをできるし、しっかりしてるんですよ。さすが長女だなと思います。朝もちゃんと自分で起きるから、ありがたい。
でも、下のボーイズトゥーメンは手がかかってしょうがない(笑)。マジで部屋を泥だらけにされますからね。まあかわいいんですけど。

元気が一番ですよ!

子どもに対して、「叱る」のは良いけど、怒っちゃいけないって言うじゃないですか。でも、そんなことは言ってられませんね。怒らないと言うこときかないからね。

そういうストレスですか(笑)。

まだかわいいいから癒される部分もあるけど、精神的ストレスと肉体的ストレスの違いみたいなところがありますね。
ボーイズトゥーメンは本当に言うことを聞かないんだけど、イライラしてもだめなんだよね。
騙し合いみたいなところもあるんだけど、それでもいろいろ手を尽くしてみるのは面白い。

とても平和じゃないですか!

そうですかね…(笑)。
免許返納を頑なに拒んだ母

子育てのほかに介護の方はどうですか?

自分の介護問題は一通り終わっているんです。親父は俺がデビューする前、22歳の時に亡くなっています。
おふくろは、2017年に90歳で亡くなったんだけど、85歳を境に徐々に衰えていってしまった…。

当時は大変でしたか?

体は問題なかったんです。元祖キャリアウーマンで、バリバリ働いて、定年後も元気すぎるくらい元気でした。車の運転も得意だし、海外旅行にも良く行っていました。友だちも多かったですね。

本当に元気だったんですね!

でも、やっぱり85歳くらいになってからがらっと変わってしまった。あれだけ元気だったのに、ボケはじめたんです。
80歳を少し過ぎた頃に心臓の手術もして、元気にはなったんですけど、それからだんだんと旅行にも行けなくなっていきました。
最後の5年間はほとんど妻が介護をしてくれていて、本当に助かりましたね。

一緒にお住まいだったんですか?

85歳までは一人暮らしで、その後は同居することにしたんです。
元々、おふくろは自分で運転して遠出もしていたから、免許返納ではすごくもめましたね。電車に乗ろうと思えば乗れるけど、車の方が慣れてますからね。

免許返納問題は、いろいろあるようですね。

俺は小さい頃からおふくろに言われるがままになってしまうところがあったんですけど、ある日、おふくろの車が凹んでいたことがありました。
「ぶつけられた」って言うんですけど、おかしいなと思った。いつもだったらぶつけられたら絶対にタダじゃすまさないタイプの人だったから、すぐに「これはおかしい!絶対自分でぶつけたんだ」と思いましたね。その頃から疑問を持つようになりました。
それで、それとなく「最近は高齢者の交通事故も多いしね」とか言ったら、「あたしが事故を起こすわけないじゃない」って、30倍くらいの強さで言い返される始末でした(笑)。
でも、その翌々月くらいに行ったら、やっぱりまた凹んでいる。
子育てとはまた違うんですけど、なるべく穏やかな口調でおふくろに説明したら、「わかった。あと1年したら返納する」と言われました。
それで、1年経って免許返納の話を持ち出したら、「まだ大丈夫よ」って突っぱねるんです。

そういうふうになりますよね(笑)。

おふくろは最初から返納するつもりなんてないんだなって思いましたね。

最終的にはどうなったの?

「安く修理できるとこ知ってるから」と車を預かって、そのまま処分しちゃいました。

えー⁉それはお母さま、大丈夫でしたか?

はじめははぐらかしていたんですけど、そのうち「まだ修理できないの?」と言い出して、1ヵ月くらいでばれましたね。

お母さま、ちゃんとしていらっしゃる。

最終的には一緒に返納に行って、タクシー券とか免許証の代わりになる身分証明書をもらってきたんですけど、そこまで行くのに7年くらい闘争がありましたね。
その体験を雑誌とかで話したら、すごい反響でした。いろんな人から「うちもです」っていう声があった。
振り返ってみるといろいろなことがあったけど、もっとできたんじゃないかという心残りはやっぱりありますね。
コロナ禍にあっても夢を持つ!目標はロックンロールの再生

お母さまを送られて、今後自分がやりたいこととか考えていらっしゃいます?

いっぱいあります。まずはロックンロールをもう一回、再生したい。日本のロックはブルースの血が足りないと思うから、ブルースのきいたロックをつくりたいですね。

素敵ですね!

自分にはあと10年しかないと思っているんです。ポール・マッカートニーみたいに80歳近くになっても現役な大御所もいるけど、やっぱり70歳を過ぎたら衰えてくるじゃないですか。
だから、これからの10年を大切に、夢は世界ツアーですね。新型コロナが落ち着いたら、世界を回った後に妻と旅行に行きたい。

旅行、いいですね!

部屋は別々にしてほしいですけどね(笑)。
あとね、長女がシンクロナイズド・スイミングでオリンピックを目指してるんです。8年後のロサンゼルスオリンピックに出場できたら、家族で応援に行きたいですね。

それはすごい!楽しみですね!!

タイミングとしては俺が世界を回っている時かなって。それで「ちょうど立ち寄った」みたいな。

具体的でステキな夢です。

コロナ禍で家にいる時間が増えたんで、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を読んだんだけど、自分もドン・キホーテのように生きたいと思ったんですね。大きな夢に向かって走る自分、ですね。

新型コロナでブルーな気持ちになる人のほうが多いじゃないですか。そんな中で明るく前向きな夢を見つけられたんですね。

やっぱり、新型コロナでいろいろ考えさせられましたね。子どもたちの学校が2ヵ月くらい休校になって、俺も仕事キャンセルになったりした。それまで家に家族全員で過ごすってそうそうなかったんですよ。
そして、「俺にとって大切なものは何か」と考えさせられました。あと、「ピンチはチャンス」っていうけど、このチャンスに前向きに生きようと思い直したりね。

私もがんばらないと…!

世界ツアーを改めて決意したのも、コロナがきっかけですね。これまでにも大雑把な夢はあったんですけど、今まで仕事に追われて生きてきて、外出自粛で家にいて「本当の夢ってなんだっけな?」と立ち止まって考えることができたんです。
それで、ずっとケンカしてたバンドの相棒にも電話して、今回のことをきっかけに少しずつ踏み出していこうと思いました。
加藤登紀子さんは親しくさせていただいているんですけど、先輩を見てると、がんばろうと思いますね。加藤さんは2020年の緊急事態宣言解除後、批判を覚悟ですぐにコンサートを開かれたんです。
俺も、今は走るしかないです。1日は1,440分と聞いたんですが、それを大事にしなくちゃ。
人生はマラソンだ。これから先も、俺たちの人生に待つ難に感謝を込めて共に乗り越えていこうぜ。転がる石のように。OK!
(『育爺。』P153より引用)

身につまされますね!本当に素敵です。

俺たちは年を取ってるんで、100歳まで生きたとしても、面倒を見てもらう側です。俺はまだ自立できてないかもしれないけど、子どもたちは俺を反面教師として早く自立してほしいです。
何をやってもいいけど、ロックンローラーは運がないとできないから、やめておけと言ってます。運は遺伝しないし、たまたま俺は運が良かっただけで、才能はそんなにないんです。
俺はただロックと音楽が好きというだけなんですけど、子どもたちにも好きな仕事を見つけてもらえたら嬉しいですね。
世の中は大変なことだらけで、くだらないこともいっぱいあるけど、子どもたちには生きて夢を追いかけてほしいですね。
親とは子供の人生のプロデューサーだ。自分の考えを押しつけて型にはめようとするのではなく、子供の資質を判断しながら、より良い方向に進めるようにアドバイスする。
(『育爺。』P128より引用)
老後は島に住みたい

ユカイさんのお話を聞いていると、元気をもらいますね。ユカイさんって、老後のこととか考えていらっしゃいます?

ずっと東京にいるイメージはないですね。老後は田舎の都市部や島で暮らしたいです。例えば石垣島のホテルの隣の老人ホームとかね。レストランとかあって楽しそうでしょ?(笑)
都心はやっぱりこれから住みづらくなってくる気がするんで、最期は自然に囲まれたところがいいですね。
一軒家を2軒買って、妻には隣に住んでもらうのが理想です。子どもたちも来れるしね。でも、みんな妻のところに行っちゃうかもしれないけど(笑)。

そういう老後のために今がんばらないとね。

妻とよく話すのは、子どもたちが苦労をしないようにしておきたいねということ。後始末とかも困らないように。
介護も家族にしてもらうんじゃなくて、最終的には自分で施設に入りたいんですよ。
お金も子どもたちに残してあげたいし、今のうちに全部自分でやっておきたい。これからは、お墓も変わってくると思うんです。先祖代々のお墓は、それはそれで素晴らしいけど、お墓が遠くてなかなかお参りに行けないこともあるし、散骨とかもいいですよね。

そうですね。お葬式もすごい変わってるみたいですね。できるだけお金をかけない、コンパクトな感じで。
私のお葬式も立派にしなくていいな。

生きてる人にお金を使ってもらいたいですよね。あとは、先祖のお墓を子どもに残すのも悪いので、墓じまいとかも考えないと。
今はお墓も移り変わる時代ですよね。先祖代々のお墓を守りたい気持ちもありますけど、お金もかかるし、子供にストレスはかけたくないな。
介護の問題もいろいろありますけど、認知症になって重症化する前に自分から施設を選ぶことも重要になりますよね。
子どもたちが働き盛りの時に面倒を見させたら、仕事もできませんからね。

そうですね。自分もどんどん年を取っていくし、自分自身の問題として考えていかないと。

ほんと自分の問題ですね。
おふくろは昭和2年生まれのキャリアウーマンだったけど、最終的には古い体質を引きずらざるを得なかったんです。断ち切れないものもあってね。
これからの健康なお年寄りは、考え方が変わってきていますよね。家族の介護もいろいろですから、国を挙げて施設を増やしていくとか充実させてほしいです。

ユカイさんが入るなら、どんな施設がいいですか?

贅沢になっちゃいますけど、海が見えて、綺麗なおばあさんがいるとかですかね(笑)。ゲートボールやったりしたいです。

やっぱり海なんですね(笑)。海関連の趣味があるんですか?

全然ないです。眺めるだけ。だって海があると癒されるじゃないですか。

山ではなくて海なんですね。

山もいいけど、海を見たいです。見てると気持ちが良いじゃないですか。施設からふらっと海まで散歩に行きたい。
やっぱり人間としてのエネルギーが湧いてくるというのか、都会の喧騒の中で青空が小さいところは嫌だなあ。
寝室は広くなくていいけど、部屋に広くてくつろげるリビングがあったら最高ですよ。

ダイアモンド✡ユカイ
1962年、東京都出身。1986年、伝説のロックバンド「レッド・ウォーリアーズ」のヴォーカルとしてデビュー。人気絶頂の中、わずか3年で解散。90年にソロデビューを果たし、96年には「レッド・ウォーリアーズ」を再結成。日本武道館に15,000人を動員するなど、その伝説ぶりを見せつけた。97年、結婚。4年後の2001年に離婚。歌手として活動する一方、テレビのバラエティなどタレントとして活躍するほか、声優、ナレーターなどとしての活動の幅を広げている。2009年、再婚。翌年には待望の第一子、11年には双子の男児が誕生。