ヘルパーさんについて初めて知ったことがある

最近、めっきり体が弱くなった義両親。88歳と87歳。僕は義両親と妻の4人で生活している。

義父母は歩いて外に出るのはちょっと危ない、そんな要介護の身。家の中ではなんとか動いて自分で自分のことはできる。一番手がかかるのはもちろん要介護5であるボクなわけで、身体の障害もある。そんな3人のために、それぞれ介護サービスを利用させてもらっている。

妻は、自分の仕事だけでなくボクの仕事も手伝っている。もちろん家の用事だってあるけど、義母を病院や銀行に連れて行ったり、夕飯の買い物がしたいと言えば連れていってくれる。

家を出たり入ったりしていて、1日中家にいることは少ない。ちゃんと動ける人間が家に一人しかいないっていうことはそれはそれは大変だ。

ちょっと前のこと、「庭の花が伸びすぎてるから針金を買いに行きたいんだけど」と義父に言われた妻。リビングでボクの原稿をパソコンに打ち直している時のことだった。

妻は「うーーんわかった」と携帯で調べ物をしながら生返事をしたが、隣で原稿を書いていたボクは義父がちょっと不愉快な顔をしたのがわかった。それから数日後、「雨が降ったら倒れちゃうかもしれないから」と義父。早く針金を買いに行きたいのだろう。

妻は「あーごめん、今日はいけない、忙しいから」と返す。そう言ったら義父が怒鳴って「携帯ばっかり見て人の話もちゃんと聞かない、何もやってくれない」そんな内容のことを言って居間から出て行った。

そして、自分の部屋のドアを思いっきり「バシン」と締め一瞬にして雰囲気が固まる。

自分一人では買い物は不安だ。頼まなければいけない義父もできれば頼みたくないだろう。妻が忙しいのは重々わかっている。妻は妻で行ってはあげたいけど、針金の優先順位は次の次の次の……先の方である。

その日に義父はネットで針金を買った様子。「細かったからもう一度買い直さなきゃ。やっぱりネットだとよくわからないなあ」義父は88歳だけど、パソコンも巧みに操る結構すごい人なのだ。

それでもそんな失敗をする。やはりできれば見て買いたかったんだろうなあと思う。

針金は、それこそ生活のメインの部分には関係ないかもしれない。義父は自分の部屋に置いておく飲み物や、下着など身の回りのものを電動車椅子で近所の薬局に買い物に行ったりするが、きっとそれができるのもあとわずか。店内を歩いたりするのもできないと言い始めている。

家の中も数年前はもうちょっと片付いていた。ボクはそんなに綺麗好きではなかったし、なんならだらしない方かもしれない。だけど持ち前の記憶力でどんな原稿の山であろうとどこに何を置いたかわかる散らかり方だった。

だけどもうその記憶力もない。今は細かく分けて付箋が貼ってあるから場所をとるのだ。

義両親と同居を始めてから4年経ったが、高齢者が過ごしやすいように、義父の部屋は1階。家の中はボクのオムツが大量に運ばれてきたりと、4人が必要なものが所々に置いてあり物の量も飽和状態だ。

義母の寝室はまだ2階だが、それもあとわずかな時間だろう。毎日やっとの思いで2階に上がって寝ている。皆が1階のみで生活をしなければならない。

1階にはクローゼットも箪笥もない。箪笥を置く場所もないからボクの着替えを置いておくのもベッドの横だ。1階にいろいろなものを持ってきたから、ほとんど2階を使わなくなった。

これまた義父はとても綺麗好きだから、そんな家の中を見て最近では自分で掃除を始めた。

そして、「ヘルパーさんに片付けや買い物を頼めたり、義母が立っているのが大変なら洗い物や料理を作ってくれたりしてくれるらしいぞ」そう言い出した。義父がお世話になっているケアマネさんに電話で聞いたらしい。

「元気な家族が同居していると訪問介護での生活援助はできない」と聞いたことがあったので目耳に水である。

もしそうならば、ボクや義父母に個別で生活援助してくれたらどんなに楽になるんだろうか?こんなにいろいろな介護の方法を考えていたのに今まで何をしてきたんだろう?

ケアマネさんに聞くと、やはり同居の人間がいたりすると特別な方法で手続きをしなければいけないらしいが我が家の場合は適用になるだろうとのこと。なんだ、そんなことなら早くそうすればよかった。「一人ひとり困っていることは違うのに同居の家族がいるからできないなんて。せっかくの介護サービスなのに」と思っていた。これから相談してみたい。

ヘルパーさんの仕事の幅は広い

ボクの友人に脊髄損傷で車椅子生活だが一人暮らしをしている人がいる。まだ30代だけど指は自由に動かない、足も動かない。交通事故で車椅子生活になったとのことだけど、ものすごく努力して一人暮らしを始めた。バリアフリーのアパートを借りてバスで会社にも通っていたそうだ。

歩道には段差があるし、ましてや毎日バスで会社に通うなんてどんなに大変なことだったんだろうかと思い尊敬する。でも自分で動けて喋れるってことはこんなに自由があるんだなあと、憧れてもしまう。憧れの自立である。

その友人といろいろ話をしていると、同じヘルパーさんでもやってくれることがちょっと違うんだなあと思うことがしばしばあった。友人は部屋の掃除をしてもらう、食器の洗い物をしてもらう。ご飯を作ってもらう、洗濯もしてもらう。

「そうなのかあ。そんなこともやってくれるのかあ」。

ボクはできないことをやってもらう。洗濯機の中に手を入れて洗濯物は取り出せないし、指がうまく使えないから洗濯を干すのは難しい。洗濯を取り込むのは引っ張ればいいからいいけど。

他の人の訪問介護の使い方が気になる

もう一人、ボクの大切な友達が昨年脳内出血で車椅子の生活になってしまった。お見舞いに行くとボクよりは体の状態は良く見えるけれど、一人暮らしだったため施設に入った。

施設にいれば困ることはない。「どう?」と聞くと「快適だよ」という。今まで何十年も一人暮らしだった彼は「病気のときにご飯の心配をしなくていいし、掃除の心配もない。快適だよ」。

「だってここにくるしかないでしょ。ボクは」最後の言葉があまりにもっともな言葉で次の言葉を飲み込んだ。

彼は右半身に麻痺が残ってしまった。だから喋ることには不自由しないけど、右利きだった彼は書いたり食べたりするのに大変苦労している。もちろん歩けない。そうなると一人暮らしは難しい範囲になる。

ボクには家族がいたから家に帰ってこれた。けれど一人暮らしの彼にはそれは無理だ。一人では動けないので生活ができない。施設に入って困ることは仕事ができてもできなくなっていることらしい。

「実際一人でどのぐらいできるかもわからないけれど、仕事しないでのんびりしてても問題ないからねえ」と彼は言う。

生活していけるならば仕事しなくてもいいか。障がいがあっても100人いれば100通りの生活がある。同じ状態の人なんていないのだけど、生活やヘルパーさんの使用状況もものすごくいろいろ。当たり前のことに気がついたのは最近のこと。

自分の家のヘルパーさんの話はしてきたけれど、こんなやり方もあるんだね、とか、こんな例外もある。知らなきゃ提案もできない。知らないってことは、いろいろ苦労もするってことだよなあと改めて思う。

ボクはよく知っている方だと思っていたが、ボクの事例の狭い範囲のことだ。もっともっと違うこともたくさんあるんだと思う。いろいろな人に会ってどう訪問介護を使っていたか聞いてみたい。

今は、再びコロナの影響で訪問介護の事業所も大変みたいだ。本当に彼ら彼女らのおかげで生活は成り立っている。でももっといいやり方があるかもしれないなと今回のことで思った。