久しぶりの電車だ
山奥の何にもない駅なのに、心地よい
久しぶりに電車に乗った。とはいえそこは千葉県夷隅郡大多喜町。単線の“いすみ鉄道”だ。知人が夏の間に借りた久我原の古民家にお邪魔して夜を明かした。乗車したのはいすみ鉄道でも一番さびれている久我原駅。申し訳程度のホームに屋根のある待合場がある。
改札も何もない。電車はあっても1時間に1本。線路脇にはアジサイが咲き乱れ、こんな山奥の本当に何にもない場所の駅なのになぜか心地よい。

60年前ぐらいの日本に戻ったよう風景がそこにある。駅で待っていても当然のように誰も来ない。すると、線路を伝って電車が近づいてくる音がする。緑の間から黄色い電車が見え、駅に到着する。
車椅子だとわかるとワンマン電車の運転手さんがスロープを降ろそうと収納庫に手をやる。
「いえ、こっちで上げちゃいますから大丈夫です」。そう言って友人が2段の段差をあげようとすると乗客と運転手さんが手を貸してくれる。
「ありがとう」車椅子の所定の位置に留まる電車から見える風景を眺めている。電車に乗ったのは新幹線以外では6年ぶりのことだった。発病後初めて。
いつも満員電車で大変だった東京郊外の通勤電車とはまったく違うが、電車に揺られていることが昔の自分を取り戻したみたいでタイムスリップしたような気分になった。
どんどん昔にタイムスリップしていく。
知人のお母さんが面倒を見てくれる
なんか切なくなっちゃった
あのときは嫌だ嫌だと思っていた満員電車にも乗れなくなるなんて、夢にも思っていなかった。乗れなくなって初めて満員電車でも臆せずに乗れていた自分をうらやましく思う。
健康に不安はあってもなんとかそのままの状態で働くことができると思っていた。不健康な生活が勲章のように思えた。ガタンゴトン…電車の一番前に座って進行方向を眺めていると、そんなことが頭をよぎる。
しかも知人のお母さんが、なぜかボクの車椅子から離れない。面倒を見てくれている。認知症になりかけているかもしれないと、前の夜の酒盛りで知人はそのお母さんを心配していた。
「こんな機会でもないと電車に乗れないから一緒に連れて行って」。そう言われてご一緒している。そういえば昨夜から「実家が新潟で写真屋だった。父と海に泳ぎに行ったんです」と何十回も話していた。
そんなお母さんがボクに「アジサイがきれいに見えるよ」とか、「駅に着きましたよ」とか話しかけてくれる。そして面倒を見ようとしてくれる。
ボクのリハビリパンツの入ったバッグを何回も覗いては「私の財布がないんです、あなたの分も払わなければですよね」。そう言って電車賃を心配した。電車の中でも車椅子のハンドルを離さない。
「大丈夫ですよ、座っていてください」。そう妻が諭すが「ここにいます」。そう言う。昨日初めて会って一晩過ごしただけだが、電車の窓に映っているボクの後ろのお母さんを見て切なくなってくる。
母がまだ生きていたら…
ずっとボクのそばにいたんだろうな
そんな知人のお母さんが自分の母とダブってくるのだ。母は認知症にもならずに早くしてガンで他界した。きっと母が生きていたらこんな風にボクのそばをはなれなかったのかもしれないなあ、と。
「病気になってしまってごめんね」。タイムスリップした電車の中でボクはそんなことを考えていた。
記憶を忘れていくことがどれだけ不安かわかる今の自分にとっては、そのお母さんがどう感じているのか考えると、こんなボクでもずっと寄り添っていたくなる。
「大丈夫、忘れたってたいしたことではない」。そう言いたかった。ボクも毎日「あれ?もしかして?」そんな不確かな記憶の中で生きている。
たった一両の電車の中は明るくのんびりとしていた。
学校の窓に「大好きいすみ鉄道」
地元の人の愛を感じるなあ
そもそもこの電車に乗ろうと思ったのは、連載第5回目の「障がい者だって旅行がしたい!」~車椅子ユーザーが普通に行動できる世の中はまだ遠い。バニラエアの一件で思うこと~でいろいろ調べていたら、いすみ鉄道の社長さんのブログに当たったからだ。「ちょうど久我山の古民家にも泊まりに行くし、これはなんかの運命だな」。そう思った。
いすみ鉄道の社長さんはもともと航空会社で働いていた方だという。航空会社の車椅子対応などを解りやすく説明されていた。
例えば、車椅子の人が通路側の席に座ることができないとか、細かい決まりがあるという。
普通、車椅子の人は座りやすいように通路側と思うかもしれないが、緊急事態を想定した場合、車椅子の人が通路側にいると脱出しづらくなるので奥の席と決まっているらしい。確かに飛行機に乗ったときそうだった。
その他、車椅子じゃなくても障がいのある方がいるかもしれないし、健常な方、すべてを含めてある一定の時間以内に避難できるようにしなければならない。そうなると車椅子の方に座っていただく座席の数にも制限が出てくる。
それを考えるとやはり、車椅子の方は事前に連絡が欲しいのだ。などなど、理論的に綴られていた。文面からお人柄が垣間見える。
「こんな社長さんが経営されている電車ならぜひ乗ってみたい」。そう思ったのだ。
聞けば、線路際の草刈も地元民のボランティアの方がやってくれており、ボランティアに出たら電車のチケットを下さるという。
車窓から見える学校の窓には「大好きいすみ鉄道」と書かれてあった。ホームに立てば地元民に愛されているというのがすぐにわかる。
そんな愛されている電車の中でタイムスリップしたボクは、久々に母の愛までも感じてしまった。