「コータリさんからの手紙」が本になる…!
みんなの介護との出会いからもう3年

文藝春秋社から新しい本が出る。『コータリン&サイバラの介護の絵本』という本だ。この「みんなの介護」に約3年間連載しているコラムを再編したものだ。

コータリン&サイバラの介護の絵本

はじめて「みんなの介護」の担当編集者がこのコラムの企画の依頼に来たのは、朝日新聞で行なわれた講演会の会場だった。

喋れないボクが何百人の人の前で講演会を開く。そんな新しい試みにドキドキしていたとき、その編集者はホテルの控え室にやってきた。

「ぜひコラムを書いてほしいのです。イラストは西原理恵子さんでお願いしようと思ってます」「へえ、サイバラ」かなり王道を行き過ぎているような依頼でびっくりした。

「お体に無理のない範囲で連載をお願いしたい」と話すその男性編集者は、昔からサイバラとボクのファンだったそうで、熱意が伝わってきた。ジワジワっと詰め寄る感じが昔風で面白かった。難色を示していたわけではなかったのに、真剣な顔で頭を下げていた。そんな彼に好感が持てた。

っていうかその編集者が言ったのは「介護のコラムですが、サイバラさんと神足さんにお願いするんですから何を書いていただいても大丈夫です。文句でも宣伝でも時事問題でもなんでも書いてください」ということ。介護の話だけど、なんでもいい、自由にやってくださいと。なんだか嬉しくなった。持ち上げ上手で、やる気を出させてくれる人だった。

くも膜下出血のときは動けない体に
それでもボクは自分の意思で書き続けた

それからのボクは、大腸がんがみつかったり、胆嚢を切除したり、胆管を手術したり、入院も忙しかった。「今回ばかりはもうだめか」と弱気になったこともあった。連載の締め切りも今回は間に合わないか、とひやひやした。

くも膜下出血のときは気がついたら動けない体になっていて、1年以上経ったころようやく自分がわかってきた。家族に言わせれば発症したての頃だって自覚していたというが、幸か不幸か忘れてしまう。忘れるという機能はそんな辛さや恐怖からも逃れさせてくれるから良いもんなんだな、と最近思ったりもする。

でもボクは、そんな中でも自分の意思でペンを持って書き続けていた。それは、偶然な出来事だったかもしれない。

なにもできないボクが「何か文字をかいている!」それは家族にとっても周りの人たちにとっても驚くことだったようだ。家族の顔もわからないかもしれないと言われていた頃の話だ。

綴った文章が自分の記憶になった
そして、生きることへの恐怖と何度も向き合ってきた

「何か食べられるようになったら何が食べたい?」「らーめん」そんな雑記や、娘を心配する言葉、担当していた看護師さんの話や、リハビリがいやな話。最初は数文字、一行、それがだんだん文章になった。そして、それが自分の記憶になっていった。

なにも覚えていられなかったボクが紙とペンの代わりにデバイスを使って記憶を作れるようになっていった。今やそのことがほんとうのことなのか、なんだかわからないけれど書いたものが新しい記憶になった。

夢か現実かわからないところにいたボクの本当の記憶は、断片的に思い出す痛みや呼吸器をつけたいやな気分が頭をよぎって思い出すぐらいのことだった。

けれど、今回の内臓の入院のときには、いろいろ考える能力が戻ってきてしまっていた。周りが心配している様子だってわかる。子どもたちにだってまた迷惑をかけてしまうかもしれない。いろいろな心配ができてしまう。

起きたら病気だった前回とは違う。病気になって死ぬことの恐怖ではない。生きることへの恐怖だった。今でも一人では動くことができない自分が、さらに病気になって、そこまでして生きていく意味を考えてしまう。

いや、考えたってしかたがない。死にたいのではない。どうやって生きていくかが問題なのだ。いま生きているんだから。与えられた命を全うするしかない。大げさな話になってしまったが、弱気になったボクはベッドで天井を見ながら何回もそういう堂々巡りの心の中と話し合ってきた。

「書くこと」はボクを助けてくれた
特別なことができなくても、家族の喜ぶ顔が一番だ

そこで、やはり助けてくれたのが「書くこと」だった。日常のたわいもない話や、ちょっとうれしかった話、いやだったこと、思い出したこと。そんなことを書く。

なによりも仕事をしていられるという重要な自分の安定剤を与えてくれていること。 書いたものを褒めてくれたりけなしてくれたりする読者のかたがた。家族の喜ぶ顔。そして最初の読者になって感想(イラスト)を描いてくれるサイバラ。

コータリンとサイバラ

普通のことができる自分でいられることが、今の自分にとってとても大切なことだった。特別なことができなくても、そぎ落として考えてみれば、今は家族が喜ぶ顔が見れれば一番だなと思う。

今この体のボクが思うこと、周りのみんなの話…
そんなことを発信できたらいいな

この前、妻が何年ぶりかで重症のぎっくり腰になった。いつもは寝返りもできないボクの体の向きを変えてくれるが、今はなかなかうまくできない。ベッドにも自動の装置はついているが、やはりちょっと移動するのが望ましい。ボクもベッドの柵につかまっていつもの数倍の力で踏ん張った。

「パパすごい!ありがとう、助かった」妻はめちゃくちゃ喜んだ。どっちが助かっているのか、どっちがすごいのか、考えていたら涙が出てきた。

妻はなんで涙が出ているかわからず「どこか痛いのか?」ときいてきたが、ボクにできることといったら非力ながらも柵におもいっきり掴まることぐらいだ。それだけで妻が喜んでいる。

みなさんにお伝えしたいのは、今のこの体のボクが思っていること。できることできないこと。周りのみんなの話。ちょっとでも生きていきやすくできるかもしれないなにかを発信できたらいいと大風呂敷を広げている。

少しでもボクの話で、介護する人と介護される人とその周りの人が笑いに包まれる生活ができますように。

そんなことを思って書いたコラムが本になります。読んでね。

『コータリン&サイバラの 介護の絵本』

著者:神足裕司、西原理恵子 文藝春秋社 (2020/8/27発売)
9年前にくも膜下出血で倒れたコラムニスト コータリさんと、漫画家 西原理恵子さんがタッグを組んだ連載「コータリさんからの手紙」が本になります!
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