リハビリにも出かけず
コロナウイルスに用心する日々

コロナウイルスが猛威を振るっている。

いまや「コータリさんみたいな人が外に出たらイチコロだからね」と恐ろしいことを言われて、この数週間はリハビリにも出かけず仕事にも出かけずに、溜まっていた原稿をポツポツと書いたりしている。まさしく一歩も自宅を出ていない。

ボクの性格からしたら「そんなこと言ったって死ぬときは死ぬ、大事を取りすぎて会わなければいけない人とも会えないなんて」。そう思ったりしていた。でも今となったら「お前が死ぬのは勝手だけど、うつしたら相手が死んでしまう」。自分だけが好き勝手してはいけないんだということを自覚してきた。

日本人だって最初は「コロナはまだちょっと遠くにいる」と思っていたに違いない。それが1週間経つ間に、目に見えないモンスターがすぐそこまで来ている怖さを感じるようになった。マスクや食品の品薄も、見えない恐怖に追い討ちをかけているようで、世の中が日ごとに変わっていくのが肌で感じられる。

医療の現場の大変さは計り知れないだろう。医療の現場だけではなく、この急激な変化で徐々にいろいろなところで、支障が出ている。

ちょっと前から周りの老人たちの様子が変わり始めていた。

ボクのウチに週に4回リハビリに来てくれている先生と3月になる頃、こんな話をした。

「1人暮らしの80過ぎの男性が『コロナが収まるまではリハビリはお休みする』って言うんですよ」

ロイヤルプリンセスの乗客に陽性が出たと聞いた頃。まだまだ世間は普通に動いていた。「どうやら中国でとんでもないウイルスが出たらしい。高齢者にはやっかいな病気みたいだ」と噂され始めていたが「え?なんで?」と思わず聞いてしまった。

「大変用心深い方で、人が家へ出入りするとリスクが大きいってことらしいよ」。「へええ」とかなり驚いた。自宅の外にも出ないようにするらしい。普段も頼んでいる弁当でコロナを乗り切るらしい。「へえそりゃすごい人だなあ」。そんなのんきなことを話していた。

とにかく外に出ない。それで良いのだけど
足腰の弱体化が感じられる

そのうち、ウチにいる84歳の義父母は町会の会合も、ご近所さんとのお茶の会も、月に1回の食事会も全てなくなったと言っていた。そのころ母はまだ食料品の買い物にたまに出かけていたが、父が余りに「危ない」と連呼して夫婦喧嘩になりそうなので、スーパーマーケットの宅配を頼むようになった。とにかく外に出ない。それで良いのだけど。いままでだって足腰は弱いほうだったが、それが1ヵ月も家にいると、足腰がさらに弱まっていることがわかる。

たった1ヵ月だ。母がリビングの何もないところで転んだ。それから数日後階段で足が上がらなくてまた転んだ。整形外科に行った方が良いものか、病院は危険か、かなり悩んだ末、病院を訪れると普段の半分以下の患者さんしかいなかったらしい。「いつも1時間ぐらい待つのに15分ぐらいしか待たなかった」そうで「急を要さない治療には行かない」が患者さんの中では徹底されているみたいだ。「いつも電気を当てているお年寄りがいなかった」とのこと。

さらに母は、洗濯物の取り込みをするのに手を伸ばせなくなった。これは、単なる偶然ではないような気がする。コロナのマイナスな副産物だ。

母の知人はマンションの3階に住んでいるが、エレベーターのボタンを押したくない、ドアを開けたくない(触りたくない)という理由から、大体外に出ない。ほぼほぼノイローゼのようになっているようにも思える。消毒液もマスクも買えないということが要因の1つのようだ。

マスクはあと、15枚しかない。手作りしようと思ったら材料も手に入らない。マスクも消毒液もないのなら人にも会いたくない。外に出ないし、人とも話さないから情報は偏ったテレビの情報だけ。どんどん孤立していく。

外出自粛生活に慣れるのは難しい
ささやかな楽しみを見つけよう

ボクの生活はどうだ?

ボクは週に2回ほどのリハビリをするために外に出かけていた。プールと大きい施設で大きな器具を使ってリハビリをする日。それと日曜は渋谷QWSに出かけ、さらに1、2回仕事で人に会ったり、来てもらったり。それが今は1度も外に出ない。ほとんどがベッドの上だ。

足は見る見るうちに硬縮が始まる。家に来てくれているリハビリの先生から「やってもやっても追いつかない」と泣きが入ってしまうぐらいだ。寝ている人はすぐに体の状態が変わる。

人にも会わなくなって、つまらないなあと感じてしまう。妻は閉じこもりグッズとして新しく出た「あつまれ どうぶつの森Ⓡ」というゲームを買った。ボクは手が不自由なのでゲームはできないのだけれど、テレビのモニターでそれを横で見ている。「ポケモンGOⓇ」という携帯でやっていたゲームも、このコロナ騒ぎで外出しなくてもできるように改善された。ジムも部屋から届くようになったのだ。

「あつまれ どうぶつの森Ⓡ」と言うゲームを買った。

そんなささやかな自宅での楽しみを見つけて、過ごしやすくしている。外出自粛で家にいるということは、閉じこもるということではなくて「その生活に慣れる」ということです。とどこかで聞いたが、そんなのは言うことは簡単、実践するのはかなり難しい、と思っていた。

ボクはもともとテレワークをしていたようなものだけど、誰とも会えないというのはやはり非常事態だ。こうなった以上、ささやかな楽しみを見つけるしかない。のんきな話に聞こえるかもしれないが、大切なことだ。

世の中が大変なときにわがままな話に聞こえるかもしれないけれど、家に閉じこもりの老人たちは足腰も弱って、孤立もする。そうなればコロナがうつらなくたって体は弱っていく。「もともとお年よりは家にいることに慣れているでしょ?」「うまく時を過ごせるんじゃないかな?」そのようなことを何人かに言われた。「そうなのかな?お年寄りは家で過ごすことが苦ではなく、平気のかな?」そんな素朴な疑問を抱いた。「平気なんじゃなくて、そうせざるを得ないんじゃないのか」とも思う。できれば外を元気に歩き回りたいし、旅にも行きたい。でもできない。自分の分をわきまえて生活している。

ボクは閉じこもってしまった非常事態で家に1人でいる高齢者が心配でならない。ボクのようにのんきに妻のゲームを横で眺めていられる人間はまだいい。

ZOOMを使って会議
顔と顔が繋がると安心する

コロナウイルスのこの時期に始めたこととして、「ZOOM」というのがある。ビデオチャットのようなもので会議や雑談など大勢な人が一同に参加できる。

渋谷QWSで行なわれていたVRの活動ができなくなって、日曜の朝にこのZOOMで近況報告をするのだ。ボクも喋れないけど参加。これの良いところは、ホワイトボードという機能を使って文字でも参加できること。喋れないボクでも会議が成り立っている。

ZOOMを使って会議に参加

これを使ってみて思ったのだが、インターネットの環境を整えて子どもたちに学習させるのならば、それと同様、高齢者も常に顔と顔が繋がったZOOMの簡単版、テレビ電話みたいなものを早急、各世帯に配ったほうが良い。ZOOMで繋がっているだけでも安心する。

今は民生委員やケアマネさんも訪問自粛らしい。さらに誰とも会えない高齢者が増えてしまう。コロナにうつらなくても寿命は縮んでしまう。早急にぜひ実現してほしい。この原稿が読まれる頃は、どんな世の中になっているんだろう。時代は激しく動いている。