障がい者専用パーキングに無許可で駐車したら、
500ドルの罰金なんだって!日本よりずっと厳しいなあ
ハワイを車で移動するために、今回もっとも重要だったのは、障がい者用のプラカードをもらうことだった。
ハワイ州ではDCAB(Disability and Communication Access Board)という部署が、障がい者への対応を行っているらしく、専用の駐車場するための許可証を発行してくれた。
ハワイでは、車椅子ユーザーか否かというよりも、フロントガラスにDCABが発行したプラカードがあるかどうかで、専用の駐車スペースに駐車できるかが決まっている。

日本のプラカードとふたつを並べた
専用の駐車スペースに停車するプラカードがない車に対して、ポリスが切符を切るというのはよくあるそうだ。
最高で500ドルまでの罰金となっていて、日本より遥かに厳しいルールになっている。
一般の人は停めないというのは当たり前だが、そこはしっかりきっかりしているんだなあと感じた。
日本で発行してもらった駐車許可証を添付し、DCABにメールで申し込むと、エアーメールで10日後ぐらいに許可証が送られてきた。
その英文の駐車許可証と、日本でいただいている許可書をふたつ並べて、フロントガラスに置く。
シャワールームにバリアフリーにプールのリフトに…etc
ホテルの希望条件はいっぱいだ
準備編の最後はホテルだ。
今回のホテル選びの条件は、部屋にシャワールームがあること。
またぐ必要がある浴槽のみは不可。シャワールームまで車椅子で入って行けること、シャワーチェアが完備されていること、プールにリフトがついていること。
バリアフリールームだったらなお可。

シャワーチェアーは大切
本当は大人数なので、キッチンやリビングが付いているコンドミニアムがのぞましい。
そんな条件で探しに探したが、とにかく独立記念日でホテルがない。
5人なので二部屋に分かれてしまったが、ようやく予約ができた。
ハワイの道と日本の道
どちらも考えてつくられているんだなあ
そんな準備を終えて、ボクたちはハワイにやってきた。
昼過ぎに到着したボクと娘、妻の三人はタクシーでホテルに向かった。
先に着いていたVRのワークショップでいつもお世話になっている東大の登嶋さんと、これまた違うところからやってきた妻の友人。
彼らとハワイのホテルで待ち合わせしていた。
レンタカーを借りに行く道すがら、舗装がはげているデコボコとした歩道を見て「車椅子はどうかな?」と思っていたが、日本のような歩道と車道を区切るための段差がない。
日本の段差は、目の不自由な方が歩道と車道の区別するためだと聞いたことがある。
それまでは、あの5センチに満たない段差が、どれだけ車椅子やベビーカーにとって邪魔になるかと思っていたが、「そうか、そういうための段差だったのか!」と、いたく納得したものだった。
が、ハワイの歩道は車椅子が通れる幅で少しずつスロープになっており段差はない。フラットだ。

ハワイの道はフラットで通りやすい
ガタンともならないし、押すほうもスムーズで、まったくストレスにならない。
どんな裏通りもそうなっていた。ちょっと郊外のジューススタンドにも、スロープがついていた。
ドアだって車椅子の人が通るとわかると、かなり遠くからでも誰かがさっと近寄ってきて、開けて待っていてくれる。
後ろの人のためにドアを開けて待っていてくれるジェントルマンが多いのが普通なのだからこそ、そうなんだろうなあと思う。
花火が打ち上がる!
居合わせた人たちがビーチに連れて行ってくれた
到着した日が独立記念日で花火が上がる。
カイマナビーチに面しているテラス席で、夕日が沈む頃から夕食をとった。
食事も中盤になると花火がバーンと上がる。
そのテラス席から見えないこともなかったが、テラス席からビーチにつながる裏木戸を開けてくれたので、みな思い思いビーチに出て花火を見に行っていた。
裏木戸から2、3段の階段があったため、ボクは席にとどまっていたが、登嶋さんが迎えに来てくれた。
さらにその場に居合わせたいろんな国の人が協力して、みんなで階段を降ろしてくれる。
喋るでもなく、近くにいた人が自然とやってくれるのだ。
帰りも、もちろん「もう帰る?」と聞いてくれ、階段を上げてくれる。
なにごともなかったように自然だ。
「ありがとう」とお礼を言うと「私たちは楽しんでいるの、あなたも一緒に楽しんで」そういってくれる。
ハワイの老人ホームにお邪魔した
一般的な家となんら変わらない、でも素敵な場所だ
次の日は、カイルアやラニカイのビーチに行ったり、カイルアの町では楽しみにしていた古本屋に行ったりした。

念願の古本屋にやってきたコータリさん
さらに登嶋さんの仕事にくっついて行き、老人ホームにもお邪魔した。
メインランド(アメリカ本土のこと)からやってきたという93歳のおばあさんに、VRで日本の風景を見てもらった。
やたらボクを気に入ってくれて、「こっちに来なさい」とか「ほら、これを見て」とか、いろいろと世話を焼いてくれた。
初めて訪問した老人ホーム(グループホーム)はあまりに素敵で、こういうところが良いなあと思ってしまった。
老人ホームはもちろんバリアフリーなのだが、玄関というシステムもなければ、部屋のドアもトイレもフラットで段差はない。
トイレはゲスト用に個別にあったが、違う部分は手すりがついていることぐらいだった。
あとは部屋にいるご老人がベッドや椅子から立ち上がると、ピンポンとチャイムがなる。
それぐらいの違いしかない。一般的な家となんら変わらないその施設で、今は5人の高齢者が暮らしているといっていた。
ゆっくりと柔らかい空気が流れていた。
この木なんの木の公園で芝生を走った!
JINRIKIはハワイでも大活躍だ
次の日も、ボクは登嶋先生のVR撮影の見学に行く。
ハワイには30回以上も行っていると思うが、アリゾナ博物館とモアナルア・ガーデン(この木なんの木で有名な公園)に行くのは、両方とも初めてだった。

広々とした芝生と「この木なんの木」
モアナルア・ガーデンでは、きれいに整備された芝生が続く。
車椅子では走りづらいので「JINRIKI」の出番である。
あれをつけただけで数倍走りやすくなる。
車椅子のまま入れるユニバーサルデザインのビーチ
ボクも海にぷかぷか浮かぶ
その日は昼下がりから、アラモアナビーチパークでピクニック。夕日が沈むまでずっとそこにいた。
波打ち際まで続くシートで、砂に埋まることもなく車椅子やベビーカーが進めるようになっている。
ビーチには大きなタイヤのような車輪のついた車椅子が用意されていて、そのまま水の中に入ることができる。
ぷかぷか浮かぶ。
予約も可能だが、空いていればその場で使える。
アラモアナビーチパークのほかに、ワイキキでも2ヵ所ほど、さまざまなビーチがユニバーサルデザインになっていた。
またもや居合わせた人たちに助けてもらった
気持ちがいい。気持ちがいいってこのことだ
プールにも入った。前にも書いたが、今回の旅の条件には、プールに「リフトがついていること」というのがあった。
ここでいうリフトとは、プールサイドからプールの中を上下する椅子によって送り届けてくれるものだ。
ハワイのホテルでは、このリフトがかなり普及していて、常設のもの、必要に応じて取り付ける差込型のものなど、いろいろある。
今回宿泊したホテルにもリフトはあるはずだった。が、なんと故障中。
ボクは「しょうがないなあ」と諦めたのだが、同行のみんなが「じゃ、人力で」と両脇両足を抱え、4人がかりでプールの中へ。

ぷかぷかプールに浮かぶコータリさん
一旦は入ることができたけど、プールから上がるのはもっと大変だろうなあ。
そう思っていると、プールサイドで庭仕事をしていた下働きの男性が、倉庫に「違うリフトがあったはずだよ」と探しに行ってくれた。
長年努めているらしいその人は、同僚とあれこれ手を尽くしてくれたが、結局は倉庫の鍵がなくて諦めることに。
その間ボクはスイムヘルパーでぷかぷかと浮いて、同行者と念願のプールを楽しんだ。
「さあ、上がろう」ということになったら、その場にいた男性たちが長ズボンのままジャバジャバっと入ってきて、手伝ってくれた。
「ありがとう、記念に写真いい?」そういって記念写真。
すると彼らも「ボクの携帯でもいい?今日の素敵な一日に!」といって、ポケットから取り出して笑顔を撮影。
同行の者がチップを渡そうとすると、「仕事じゃないから」といって受け取らなかったらしい。
そういうものなんだと実感。
次の日からは、会う度に「今日はいいの?いつでも手伝うよ」そう言ってくれた。
本当に気持ちがいい。気持ちがいいってこのことだ。
ハワイのお店ではお客さんが自然に協力してくれる
日本のお店とは違う配慮を感じた
レストランでも日本と違うなあと感じたことがあった。
日本でも、予約するときは便宜上「車椅子です」と伝えておく。
すると、車椅子でも入りやすい入り口近くとか、広いスペースがあるような席をとってくれたりしている。
ハワイでは「車椅子1人います」と付け加えても、「OK!」ぐらいの反応であっさりしている。
行ってみると、狭くて混雑している店内の奥のほうだったりする。
「え?だめじゃない、あそこじゃ」そう尻込みしてると、「大丈夫!こっちよ!」そんな感じでウエイトレスが呼ぶので、恐る恐るついていく。
すると、話しながらの人も食べながらの人も、ススッと自然に立って椅子を引いてくれて道ができた。
どこに目がついているんだろうというぐらい、自然に全員が協力する。ほかにも入り口で「5人です」というと、「外で食べる?屋内?」となんの区別もない。
いつのまにか自分で自分を差別していた
忘れていたものを取り戻せた旅だった
どこでも自由だ。気がつかないうちに、日本では迷惑かけちゃうんじゃないかっていう意識が働きすぎていたんだと実感した。
ここでは、車椅子の人にはやさしいが、健常とそうでないかの区別はあまりないということをものすごく感じる。
普通の人でいられる。忘れていたものを取り戻させてくれた。
頭の中では、これまで別に差別を感じていないと思っていたが、自分で自分を差別して、「これは迷惑がかかるだろうなあ」「できないだろうなあ」と思い過ぎていたのかもしれない。
日本の社会がまだまだ遅れているのか、それとも国民性なのか。
いや、健常な人たちだけでなく、ボクらもそういう意識は欠けていたのかもしれないなあとこの旅で感じる。
普通でいいんだ。そんな単純なことを思い出させてくれた。
まだまだ書きたいことはたくさんある。それはまたの機会に。
今回は、旅に居合わせた見知らぬ人たちと、同行してくれた娘や妻、そして自分の仕事を持ってやって来たのに、本当に助けてもらった登嶋さんと裕美子さん。
誰一人欠けても、この旅は成立しなかったと思うし、そのぐらい充実していた。
失敗も多々あり、今思い出しても笑いがこみあげてくる。
ボクにとってのハードルを一歩越えたので、次はどこに行こうかなあと考えている。
今また入院中のボクでありますが、頑張って旅に出られるぐらいの元気を取り戻そうと思っています。
ハワイ特別編 ~完~
ここからは記事に入らなかった写真だ
パリ編も実現させたいなあ





パリ編も実現させます お楽しみに!