妻との出会いは出版社。
そう。一目惚れだ

今回は妻のことを書こうと思う。ボクを中心的に介護してくれている人間だ。

妻とは出版社で出会った。

彼女が働いていた高校生向けの雑誌で、大学生だったボクが幸運にも連載ページをもらっていて、それで出入りしていたときに出会ったのだ。

ほとんど一目ぼれ。

彼女にそんな気持ちを打ち明けることもなく1年ぐらい経っていたが、その間、その一所懸命な仕事ぶりや、殺伐とした編集部においておっとりとした彼女が不思議で、とにかく目が離せなかった。

まあ、いわばどんどん好きになっていったということだ。

そして、ボクにとってはじめてのベストセラーが出たとき、結婚を申し込んだ。

それからもう35年が経とうとしている。

倒れてから1年も続いた入院生活。
妻のへそくりも長男の給料もつぎ込んでくれたらしい

結婚後は家庭に入ることを望んでいた彼女は、仕事をパシっと辞めた。

あんなに売れっ子だった彼女が、結婚するんだったら家にいたいと言い出したのだ。

まあそれもいい。

子どもが生まれてからもいろいろあった。山あり谷あり。

けれどボクが病気で倒れる前までは、普通に家族を維持できていたと思う。

ところがボクが倒れてからは生活が一変した。

フリーで働いていたボクは倒れればすぐに収入はなくなる。

しかも、住宅ローンに学費、税金の支払い、そしてなによりも莫大な医療費もかかった…。

毎月毎月、大きな出費だったに違いない。苦労をかけた。

1年以上続く入院生活には、少しばかりの彼女のへそくりも、働き始めたばかりの長男の給料も使わせてしまったようだ。

大きく広げた風呂敷を畳むのは思った以上に大変だ。

彼女を悩ませたのは、いろいろ世話を焼いてくれる人たちに、文字通りなんのお礼もできなくなったことだったという。

ありがとうの言葉さえ言えないでいた。

それはつらかったと、ずいぶん後になって聞いた。

それよりも、なにより急に記憶もおぼつかず、自分でご飯も食べられない、おしっこの感覚もない、寝返りも打てない、喋れない、なにをどうしたらいいかも忘れてしまった、なかば人間という名前の人形のようなボクを自宅に戻して介護し始めたのだ。

ボクを支える妻をみんなが支えてくれた。
飲み友達、友人、酒場の女将さんたちがいなければ…

経済的な問題に加えて、さらに家族は介護の問題にも直面する…。

彼女はどう乗り越えていったのだろう。

彼女の友人やボクの飲み友達から酒場の女将まで、みんなで彼女を支えてくれた。

それがなかったら今のボクはないよねって彼女は話す。

彼女にとって友だちは何よりのかけがえのない支えだったらしい。

家に帰ってから初めてのボクの記憶は、車椅子からボクをベッドに移そうとした妻がバランスを崩して、2人で床に尻餅をついてしまったこと。

妻はボクをかばおうとスローモーションのようにボクを床に降ろした。

妻はそのまま、ドスンと大きな音を立ててすっ飛んでいった。

あまりに派手に転んだので妻を心配した。

横でうずくまって、しばらく起き上がれないでいる。

それでもボクを起こそうと懸命に頑張ってくれたが、麻痺があるボクを床から上げることはなかなかできず、あっという間に小一時間経ってしまった。

交番に行くこうか、近くでやっている工事の人に助けを求めようかっていうときに、同居しているおばあちゃんが帰ってきた。

ボクの頭の後ろをちょっと押さえてもらえばすぐに車椅子に戻ることができた。

「なんだ」。妻がホッとした声で言った。「こんなにちょっとしたことで違うもんだねえ」

2人で「どうしようか…」と、本当に途方にくれていたのに、彼女はすっかり「大発見だわあ」と上機嫌である。

そこが彼女のいいところだ。

家計を助けるためにアルバイト。
夜は2時間も寝てなかっただろうな

介護される側もする側も初心者でわからないことだらけ。

夜中、最低でも1回は起きて寝がえりがうてないボクの体の向きを変えてくれる。

ときには、そのときに尿漏れに気がついてシーツからパジャマからすべて変える作業をする。

2階にあった夫婦の寝室は、ボクの1階の書斎を片付けて介護ベッドを入れた。

その横に布団を敷いて彼女は寝るようになった。

彼女は家計を助けるために、友だちの会社でアルバイトを始めた。

たぶん2時間も寝てないだろう。

ベッドの横に腰掛けてお茶を飲ませてくれていた彼女の動きが止まったと思ったら居眠りしていた、なんてこともあった。

当時はまだまだ介護もわからないことだらけで、オムツの当て方だってよくわかってなかった。

だから今と比べると倍以上、手間も時間がかかっていた。

失禁してしまったボクの身体を拭く、シャワーにしてしまった方が早いと、今ではシャワーならなんとか彼女ひとりでも入れてくれるが、当時は3人がかりだった。

ボクの部屋を快適に、清潔に保つにはどうしたらいいか…。水だって促さないと飲めなかったボクなのだから、やることは無限だった。ああでもない、こうでもない。

彼女はそれを「大変だとも思わない」と言ってこなしていたそうだ。

さすがの妻もついに倒れた。
悔やんでも悔やみきれない

家に帰ってきて6ヵ月くらい経ったとき、ついに妻は倒れた。

起き上がれなくなって2階の寝室にこもった。当たり前だ。

「とにかく仕事は辞めて、しばらくゆっくりしたら?」と誰からも言われたそうだ。

当時はまだ結婚していなかった長男も、仕事から帰ってくれば妻の代わりに全力で手伝ってくれた。

高校生だった長女も、いつの間にかベッドから車椅子への移乗をなんなくこなせるようになっていた。

親の介護をしている最中の彼女の友だちが、「先が見えない介護と自分の家庭の生活の板ばさみになってものすごく大変。絶望感を感じるときもある」と話したんだけど、妻の明子は「あまりつらいと感じたことがない。全然大丈夫」としか言わなかったらしい。

いつかこうなるんじゃないかって心配していた、とその友だちが話す。

彼女は昔からそうだった。

出会った頃も、寝る時間なんてないんじゃないかと思うぐらい忙しく働いていた。

それでも「つらいなんて思ったことない。楽しい」といつも言っていた。

介護を楽しいとまでは思っていないだろうが、彼女を見ているとあの頃の彼女をつい思い出してしまう。

こんな身体になってしまって、経済的にも人生的にもこんなはずじゃなかった、という状態にさせてしまったのはまぎれもなくボクのせいなのだ。

悔やんでも悔やみきれないし、申し訳なく思う。

ときには消えてなくなりたいとも思う。

でも彼女や家族が「パパがいなくちゃ成り立たないから」。そんな言葉でおだてて、そして立ててくれて、今の入院中もご飯が飲み込めたことぐらいでも本気で喜んでくれる彼女がいるから、もっと頑張ろうと思える。

今があるのは妻のおかげ
妻孝行しなくちゃね

彼女の本当の気持ちはわからない。

50歳になる頃に介護の世界に突入した彼女だってもうすぐ60歳だ。年も重ねれば介護のつらさもまた別物だろう。

変化していく身体の状態も予測はできない。

今ボクにできる彼女孝行は、こうして原稿を書くこと。

ボクはそれで頑張れる。