いつも思うのだが、病院というのは目を見張るような会話がすぐそこで繰り広げられている。

そんなとき、周りは息を飲んでひっそりとその会話につい聞き入ってしまうものだ。

今回の入院では、2つの珍事があった。

救急外来で巻き起こるさまざまな人間模様
カーテンの奥ではなにが起こっている…?

珍事について話すちょっとその前に…まずは僕が今回入院することになった経緯を説明しておきたい。

たまたま往診があったその日、医者から「変な咳をしているし、CRPの値が高いようです。紹介状を書きますから大きい病院に行ってください」と言われ、なすがままなじみの大学病院に来ていた。

病院の救急外来で診察を受けると、「神足さん入院してください。いま病棟のベッドの空きを確認しますから」。

そう言われてボクはストレッチャーの上で点滴をされ、カーテンで仕切られた救急の診療室で家族と待機。

カーテンで仕切られたベッドがほかにいくつもあって、ボクみたいに点滴をしている患者とその家族や、診察結果の説明を待っているのであろう人たちの影がうっすら見える。

その外には急病の患者と、その付き添いの人たちが待つ椅子が並ぶ。

赤ちゃんを抱っこしている若い男の人や、待合室の椅子に寝てしまっている女の人。

みんないろいろな事情で救急外来に来ている。

ボクはまさか入院と思っていなかったが、サチュレーションも90%を切っていたので、やはり入院しましょうということになった。

※サチュレーション…酸素飽和度のことで96~99%が基準値

珍事①あの女狐はおじちゃまのお金を使い込んで葬式もやらない

1つ目の珍事はこの入院当日に起こった。

すぐ近くの椅子で興奮気味の女性の声が聞こえる。

「おじちゃま、だから言ったじゃない。○○さんは女狐よ。おじちゃまの葬式もしないって言ってるのよ。目を覚まして」。その言葉の一つひとつのインパクトが強すぎて耳はそちらの方にグッと傾く。

とりあえず、ここは救急患者が運ばれてくる病院の待合室だ。言葉として葬式って穏やかじゃないよな…。

それまでは待っている人たちの話し声がごそごそと聞こえていたが、その女性の声にみんなシンとしてしまった。

おじちゃまわかる?○○さんはおじちゃまのお金みんな使っちゃってるのよ。タクシーに乗って家の前まで乗り付けて、一万円札を出しておつりはいらないって言ってたって、お隣の△△さんが教えてくれたのよ。そういうの知ってるの?」

きっとすぐに全部なくなっちゃうわ。私に任せてくれれば安心なのよ。わかってる?

おじちゃま、こうやって私が病院に来ているのに、あの女狐は付いてもこないじゃない。わかる?おじちゃまのこと、大切だなんて思ってないのよ

おじちゃま葬式は誰がやるかわかる?私よ。あの女狐は他人なのよ。やらないっていってるのよ

私に任せてくれれば間違いないって。それとも、おじちゃまはあの人の味方なの?
(ボクからは見えなかったけど、きっとそのおじちゃまは頷いた)

なんでよ?悲しくなっちゃうわ。なんでわかってくれないかなあ?

「おじちゃまを一番大切に思っているのに」となだめすかしたり、怒鳴ったりと忙しい。

だいたい、そのおじちゃまは救急外来に運ばれているのに大丈夫なんだろうか?そんなに責められて。

そんな話を聞こえるところでされてしまうと、どうしてもその人たちの顔が見たくなってくる。

ボクはベッドに寝かされているし、酸素マスクもしていてそれどころじゃないのに、その会話に熱中してしまっていた。

ちょっとして処置室に運ばれたとき、ボクはその二人を目撃することになるが、隣の人もカーテンを開けて覗いていたのがわかった。

そうだよね、誰だってどんな人か思わず見たくなる。

怒鳴っていた女の人は60歳過ぎぐらいで、おじちゃまは80歳をゆうに超えている。

パジャマを着ていたけど、車椅子に座って品の良さそうなおじいちゃんだった。

あのおじちゃまに女狐がいるのかあ。

そして、あの怒鳴っていた姪御さんも実際は女狐なのではないのか、心配なところではある。

病院の片隅で日常繰り広げられている会話なのかもしれない。

そして急に入院することになったボクは、その夜を広い個室で迎えることになる。

そんな贅沢をしている場合ではないのだが、病院の都合もあって仕方がない成り行きだ。

この「病院の事情で差額ベッドの部屋になった場合」という問題についてはまた違う機会にぜひ取り上げたい。

※差額ベッド(代)…4床以下の病室で、一人あたりの面積6.4㎡以上、それぞれのプライバシーを確保する設備を持ち、それぞれに収納や照明、机、椅子などが備わっている(通常の病室より高めに料金設定がされた病室)

珍事②110円が足りなくて私は外に出ることができません。どうか助けてください

2つ目の珍事はとある日の午前。突然、ひとりの老人が部屋に入ってきた。

ウトウトしていたボクはその状況にかなりびっくりしたが、ボクは喋ることも動くこともできない。

ベッドの周りを2~3回周り、特に引き出しとかを開けるわけでもなかったがかなり怪しい。

「これがうわさの病室荒らし?」

渾身の力を振り絞り、「なにか?」と声をかけた。かすれた小さな声が病室に響く。

するとその老人は「これを!助けてください!!」。そう言ってメモ用紙をボクに握らせた。そして出て行った。

メモ用紙を広げて、「110円足りなくて私は外に出ることができません。どうか助けてください」と、記名でのメモだった。

「ん?認知症?」

よく聞くと廊下でセンサーのようなものが鳴っているのが聞こえる。看護師さんの慌てた声も聞こえる。こんな個室に紛れ込んでいたら探せないだろうな。

ボクはそのままそのメモを机の上に置いた。

すると、昼過ぎ、面会に来た妻が「え?なにこれ?パパが書いたの?」。まさかの濡れ衣である。

「びっくりしたー。なにこれ?部屋に入って来るなんて怖いね」としきりに妻は言う。

「この病室に入ってきたんでしょ?」。まあ、そうなんだけど…どうやったら防げるか。その人を動けないように縛り付けておくのか?

いろいろ考えてみると仕方のないことなのかも、と妻。

その老人はベッドから立ち上がると音が鳴る仕組みのセンサーを付けられているようだ。

ボクの病室の近くだったので、よく看護師さんとのやり取りが聞こえてきた。

老人「トイレ」

看護師「さっき行ったばかりだけど、もう一回行くの?」

またブザーが鳴る。

老人「トイレ」

看護師「さっき行ったけど?」

老人「出たら困るからまた行きたい」

看護師「出ないと思うけど…」

老人「なんで看護師さんにそんなことわかるの?」

(さらに続けて)老人「帰りたい」

看護師「よくなったらね」

廊下のやり取りはずっと続く。看護師さんも患者さんも大変だ。

あの老人はまた別の人に「助けてください」のメモを渡したようだ。

カーテンの一枚外の世界は、不思議な非日常な会話が普通にされている。

病棟での珍事は続く。