東京オリンピック・パラリンピックの抽選が始まった!
ボクも本気でオリンピック目指してたなあ
2020年オリンピック、パラリンピックの観戦の抽選申し込みが始まった(5月9日~5月28日)。
オリンピック…。ボクは青春時代、水球部でそれを本気で目指して進んでいた。
国体にインターハイ。高校時代は先輩と一緒に、もうすぐオリンピックという夢も叶うんじゃないかとさえ思っていた。
元旦だけが休みで364日はプールの中にいた。
身体を鍛えることと練習がすべてだったといっても過言ではない。
だから今でもオリンピックと聞くと、選手たちのそこまでの道のりを思い胸が熱くなる。
行き場を失ったボクに巡ってきた文筆業
かれこれ40年以上もボクにとっての生きがいだ
故障して志半ばで断念した大学時代の後半は、突然に目標を失い、合宿所も出て行かねばならず途方にくれた。
小学生の頃から夢中でやってきたことが目の前からすっと消えてしまったのだ。
行き場所も見失いさまよっていた。雀荘に通いつめて季節の移り変わりさえもわからなかった。
そんな金もない目標もないボクが出会ったのが、取材して書くということだった。
学生だったがいろいろなチャンスに巡り合った。
水球に代わってライターという仕事で、大学時代から寝る暇もなく動いた。楽しかった。
オリンピックを目指していた自分が目標を失って、新たな生きがいを見つけられたのは本当にラッキーなことだ。
当時は20歳手前。今思えば水球の夢を志してから十数年でしかない。
文筆業はかれこれもう40年以上になるわけだ。
そのまま水球を続けられていたとしたって、オリンピックに行けていた確率なんて10%にも満たないかもしれない。
どっちがよかったかなんて誰にもわからない。
何事もひとつとして無駄ではなかった
だって、全部けっこう真剣にやってきたからね
ただひとつ言えることは、やってきたことにはなにひとつとして無駄はなかったということだ。
身体を壊したとき、「昔に鍛えた体があったからこうして生き抜けたんですね」。
そう言われることがよくあった。
すでにプヨプヨなおじさんになっていたが、身体のどこかに鍛えた痕跡があったのかとちょっと嬉しくなった。
低迷時代の雀荘通いの毎日だって、北京オリンピック前の麻雀世界大会でボクたち日本チームが世界4位に輝くための踏み台になった。
ライターになれたのは、予備校時代に友人がやっていたミニコミ誌で書いたコラムをその友人が覚えていてくれたのがきっかけだった。
「なんてポジティブな」。そう自分でも思う。
今までだって、病気になってからだって、語り出したら書くのもイヤになってしまう過去もある。
でもまあ、良いことも悪いこともけっこう真剣にやってきたと思える。
だから良いんじゃないかなって。
2020年はこの目で選手を応援したい
水球もぜひ見てみたいな
ぜひ、2020年のオリンピックはこの目で、現地で見たいと思っている。
自分が成し遂げられなかったそれを実現している人々をこの目で応援したい。
「やっぱりちがうなあ」。そう感動している自分を今から想像している。
開会式30万円とか聞いていたから「無理かもなあ」と思っていたが、開会式を例にとってみるA席30万円、B席24万2,000円、C席10万7,000円、D席4万5,000円、E席1万2,000円、みんなで応援チケットというのは2,020円(子ども、シニア、障がいのある方を1名以上含む家族やグループ)、車椅子用の席は1階4万5,000円、2,3階1万2,000円(車椅子ユーザー1人につき1人の同伴者のチケット購入が可能)とさまざまだ。
水球でいえば予選から決勝まで、男女それぞれにかなりの試合数がある。
車椅子用の席情報など、またお知らせできたらいいと思っている。