妻との息は今日もピッタリ!
よしっ、いつも通り「1、2、3!」

ちょっと前の話だ。広島から来た知人と会食をしようという話になった。

せっかく広島からやって来たんだから、横浜の中華街にでも行こうという話になり、ボクの友人も数人誘った。

夜10時過ぎまで楽しい宴は続き、みんなに「大丈夫?車まで送ろうか?」。そう言われたけれど、「妻もいるし大丈夫だよ」。そう言って別れた。

中華街にある9階建ての駐車場の3階。車椅子専用のスペースに停めていた。

いつものようにドアを開け、車椅子のブレーキをかけ、移乗の体制に入った。

妻との息は長年の経験もあって抜群。「1、2、3!」で右足を踏ん張る。

おっとっと!転んでしまった
こりゃ大変だ。頭ではわかっているが…動けない

いつも通り車のシートに移れるはずだった…が、10cmほど前にずれていたクッションが足に絡んで邪魔をした。

たったそれだけのことなのに、ボクは大きく横に体制を崩してしまったのだ。

妻は支えきれず、しかもボクを車椅子にぶつけてしまってはいけないと、瞬時の判断で踏ん張りを効かせ、かなりのスローモーションでボクを床に降ろしてくれた。

妻はその後、反動もあってか自分の体を車に打ち付けてやはり尻餅をついた。

ボクに怪我をさせちゃいけないからと、かなりの力で引っ張ってくれたんだと思う。

ボクは妻のおかげで、20cmぐらいのところから「とん」と尻餅をついた感覚だった。

ボクのほうこそ妻がすごい勢いで吹っ飛んでいったから「こりゃ大変だ」。そう思った。

「大丈夫?」。お互い同時ぐらいに声が出た。「私は大丈夫だけど…」。

妻はそう言って床に落ちてしまったボクを懸命に持ち上げようと踏ん張った。

一旦落ちてしまったボクは、自分では上体を起こすことすらできない。

床に足を伸ばして座るさえできれば、体操座りのように体を丸めて、そうすればきっと妻が起こせる。

そう理論ではわかっているが、両足を曲げることも座ることもなかなかできない。車のドアにつかまってみたり悪戦苦闘してはみたものの、ふたりとも力が尽きてくる。

食事に出かけるときは満車だった駐車場も、この時間だと停まっている車も少なくひっそりとしている。

車椅子から落ちて1時間
ようやく車のシートに座れた。長い格闘だった

「パパ、下から誰か呼んでくる。待ってて」。そう言って妻は、ゴロンと床の上に寝そべっているボクの頭の下に枕代わりのバスタオルを置いてエレベーターに向かった。

すると、そのエレベーターから背の高い30代ぐらいの男性が降りてきた。

「すみません。車椅子から落ちちゃったんです。手を貸してくれませんか?」。そう妻が言うと「どうやれば良いですか?」。そう言葉少なげに答えた。

妻が「頭を押さえててください。わたし持ち上げますから」。

そう妻が言うと、彼は「これで良いですか?」とボクの上半身を後ろから支えてくれた。

すると、すんなり車のシートに座ることができた。

「ありがとうございます!」。そう言うと「他に何かできることはありますか?」とも聞いてくれた。

妻は、彼が見えなくなるまで頭を下げ続けた。

ボクたちが駐車場を出るときにはすでに夜中の12時前。ボクたちは小一時間も「どうしようか」と格闘していたわけだ。

病気をしてから2年目にも車椅子から落ちた
陸の孤島にいる気分。必死過ぎてふたりで笑ったなあ

街なかで地面に落ちてしまったのは初めてだが、病気になって今年で7年。

そういえば2年目ぐらいに、一度ベッドから車椅子に移乗するとき、部屋の床に落ちてしまったことがある。

そのときは、いったいどうしたら良いか、隣の家を建てている大工さんを呼びに行こうか、交番まで助けを求めに行こうか、真剣に悩んだ。

まさしく陸の孤島にいる気分だ。

床の上でマグロ状態のボクはまったく動けない。

うんともすんともいかず、妻も力尽きてボクの横に寝そべった。

お互いに目が合うとあまりの真剣さに笑いがこみ上げてきたのを覚えている。

ふたりでおかしくなって笑った。

こんなとき、「自分の体ってこうなっちゃったんだなあ」と実感する。

一生懸命に頑張ってもボクの体は動かない
次また落ちてしまったらどうしよう…。こわいこわい

普段はなに不自由なく生活できているのは周りにいる人のお陰で、倒れたら一生懸命に協力しようとしても、ボクの体は動いてくれない。

このことについて新聞で短いコラムを書いたら各方面から反響があった。

クッションのことやら、自分も同じようなことを経験したという高齢者など。

老老介護などではまさしく直面する事案なのだと思う。そして、みんな困っている。

落ちてしまったら誰にどうしてもらおうかと絶望感を味わう。頭の中のアドレス帳をすごい勢いでめくって、今すぐ駆けつけてくれる人は誰かを考えたりする。

もし、自分が一人のときにベッドから落ちてしまったら誰かが気がついてくれるまで…そのままだ。

在宅介護に潜む、こわいこわい話だ。