災害に対する取り組みが改善されてきたのは確かだが
また痛ましい災害が。僕の故郷、広島でも…
つい2ヵ月前の2018年7月。痛ましい災害がまた起きてしまった。西日本の広範囲における豪雨災害。ボクの出身地である広島でも多くの被害が出た。「復興にはまだまだ時間がかかりそうだ」と知人から知らせを受けた。
23年前の阪神淡路大震災から、災害に対する近年の取り組みがクローズアップされるようになったし、いろいろな試みがされるようにもなった。ボランティアとして活動される人も、復興支援住宅も、そして国の取り組みも改善を試みてきた。災害が起こるたびに、民間レベルでも「こうだったら良い」という提案がされてきた。
最初の頃はまったくといって良いほどなかったベビールームや障害を持つ方への配慮も、少しずつではあるが行なわれている。
自分が障がい者になってわかった
イメージしていた100倍は大変だ!
東日本大震災の頃は、「赤ちゃんの粉ミルクは必需品なのに、足りていないらしい」と聞いて「おっぱい運動」という活動をしていた松本さいこさんを応援したりした。体育館などの避難所で赤ちゃんが泣いたり、寝たきりの高齢者のおむつ替えに気兼ねしたり、困り果てた末に水も出ない自宅へ戻ったという話も聞いた。非常時で心も体も正常じゃないときは、赤ちゃんの声もおむつ替えも気兼ねでしかない。
その頃から、そういう方を集めた別の部屋を用意してくれたり、そういう施設のある避難所をつくってくれたりもしていた。それはまだまだ改善の余地があるものだけど、そこに気がついて実行してくれる人がいて本当に良かった。
東日本大震災のときの「おっぱい運動」を知っていたので、障がいや高齢者、赤ちゃんなどが災害時にどのくらい大変な思いをするのかがほんのちょっとはわかっていたつもりになっていた。が、自分が障がいを持つようになって、改めていろいろ考えるようになった。あの頃に考えていた100倍はやることがあると。
「自宅が倒壊しないかぎり家に残る」
ボクにはこの選択肢しかない
まず、自分のことだけを言えば、自宅から逃げることはほとんど不可能だ。日中は80歳を過ぎている両親とボクだけ。両親は自力でどうにか避難してもらっても、ボクは不可能だろう。妻や娘がいても同じことだ。
一昨年のことだろうか、町内会の役員さんと民生委員の方が我が家にやってきた。「非常時の希望を伺いたい」と。妻は「両親と娘は避難所に避難。私と夫は自宅が崩壊しないかぎり家にいます」と答えたそうだ。役員の方は「そうですね。水などの供給されるものはお知らせできるようにします」とのこと。非常時にそれが上手く機能するかはわからないが、ボクの選択肢は今のところそれしかないと思う。
無理かもしれないけど考えておくことは大事だ
我が家の救世主になるかもしれない「JINRIKI」
家が全崩壊したときには…と、シミュレーションをしたところでそう上手くはいかないかもしれないが、考えておくことは必要なんだと認識している。町内会で対策を講じてくれていることはすごくありがたいことだ。
備えておきたいものは赤ちゃん同様、おむつやウエットティッシュなどもそうかもしれないが、ボクが数年前からあったら良いなあと思っている優れものがある。「JINRIKI」という、まるで人力車のように車椅子引っ張るための取っ手である。

車椅子の前側に牽引バーを取りつけて前輪を浮かせる。そして人力車のごとく引っ張ってもらう。かれこれ4年ぐらい前の福祉用具展で出合ったが、これは本当に優れものだと思っている。悪路でも車椅子を引っぱることができる。砂浜でも、雪でも大丈夫。デコボコ道でも進める。いざというときに車椅子ごと避難するにはもってこいの品物だと思う。我が家では災害時以外にもきっと役に立つものだと思う。購入したいなあと常々思っている。
もっと大きな災害が起こるかもしれない
自分と大事な人の命のために、備えておくべきだ
以前の土砂災害で老人ホームが巻き込まれて、たくさんの方が怪我をしたり、亡くなったりした。自分ひとりのことでも、イメージしているような避難は無理なんじゃないかと思うのだから、自力では動けない高齢者がたくさんいる施設では一体どうなってしまうのだろうかと考える。
東日本大震災のときに聞いた話では、海岸から250mしか離れていない施設に津波が襲ってきて、49人の寝たきりの高齢者がいたけれど、全員無事に避難したという事例もあったようだ。残念ながらうまく避難できなかった病院や施設もある。全員が避難できたという施設は、車椅子用のマイクロバスにマットを敷いて、入れるだけの人を一度に避難させたという荒業を使ったという。2~3台の車椅子を規定通りに乗せて避難していたのでは到底間に合わなかったと聞いた。臨機応変、即断。これが命の分かれ目だったと聞く。
天災は人の予想を遥かに超える。これからもっと天災による被害は酷くなるという。どうしたものか、真剣に考えておくべきことだと思う。