懐かしいな。サイバラのとの出会い
ひと目で只者じゃないってわかった
サイバラのことを書いてほしいと言われた。なんだかあれこれ考えていたら、遺言を書いているような気持ちになった。きっとサイバラのことをこんな風に書くのは初めてのことだと思う。
サイバラを見ていると、今本当に幸せなんだろうなあと思う。
初めて会ったのは、週刊朝日に連載していた「恨ミシュラン」という連載を始めたときだった。「面白いイラストレーターがいる」。そう編集者から聞かされた。実際に会ってみると、美大を卒業して数年の、しかしすぐ噛みつかれそうな鋭さの中に、きらっきらっした目を持った人だった。野生児というか、ひと目で只者じゃないって感じの光を放っていた。
言いたい放題だった「恨ミシュラン」
「満席です」。なんて入店拒否されたのも良い思い出
「恨ミシュラン」は、いろいろなレストランや食事処、ときにはホテルやバーなんかを巡り歩いて、ミシュランガイドさながらのジャッジをする。恨み度を最高5点で評価するのだが、サイバラの顔マーク、ボクの顔マークがそれぞれ5個そろったら最悪ということ。
「まずい」とか「店員の態度が悪い」とか、「雰囲気ばっかりで中身がない」とか言いたい放題のグルメガイドだった。もちろん良いときは褒める。「これはすごい」。そう2人とも評価したときだってある。
サイバラが「二度と行かない。わたしゃこういう三流の老舗が一番嫌いだ」「今年で一番まずい店だった」と、かなり辛口のイラストが描かれる。ボクも「わざわざまずくするために時間と技術をつぎ込んだとしか思えない」「こんなものをありがたがって行列をつくる気が知れない」。お店の名前もしっかり出して、そんな記事を毎週書いた。名店と呼ばれる店だったり、老舗だったり、うわさのお店だったり、どんどん食べにいった。
ボクはその頃、ワイドショーのコメンテーターやコマーシャルなんかにも出ていたので「あ、コ~タリンだ」なんて、街を歩けばたまには言われることもあった。店に顔が割れて取材しづらいときもあった。それに、週刊誌のそのコーナーが人気になるにつれて、「満席です」。そんなことを言われて断られたりした。
言いたい放題だったけど命がけだった
それにしてもサイバラのパワーは凄かった!
もちろん掲載した記事にクレームがついたこともあった。
「店の雰囲気は、“テンパったカップルに占領されているのではなく”、大人の雰囲気に満ちている」とか、アフリカ料理の店で「“アフリカ料理以外のものを出している”のも、もともとひとつの大陸が分かれて広がったことを意味している」と抗議があったりもした。
今だったらそんなに自由に書かせてもらえないのではないだろうか?2人で言いたい放題ではあったが、命がけでやっていた。人を批判するということはそういうことだ。うそを言ってはいけない。
おいしいものはおいしい。まずいものはまずい。面白い仕事だった。強くて弱いサイバラはぐんぐん風を切って成長していった。ものすごいパワーだった。10歳ほど歳の違う彼女と、最後はけんかもした。
彼女は昔から実家の借金を背負ったり、東京に出てきてからも、大学の学費を稼ぐためにいろいろなことをしてきた。めちゃくちゃにみえる彼女の、ちらっとみせる優しさが実は心にずしっときたりしていた。今でもそうだ。年に何回か食事にいくと隣に座って世話を焼いてくれる。蟹の身をほじって食べさせてくれる。左手が動かないしゃべらないボクに「あんたはずるい」そういって口に運んでくれる。
「あんなにめちゃくちゃやっていたのに、こんなに家族に『パパ、パパ』って言われてるのずるくない?」。だそうである。
サイバラはなんだかんだ優しい
相変わらず、口は悪いけどね
サイバラは今、相思相愛のパートナーがいて本当に人生最高に幸せそうだ。子どもも大きくなって自分のために生きていける。そんなときがやってきたのだ。
サイバラは高須先生の介護はしないと断言している。老人ホームなり、病院なり、専門家に任せた方が良い。家族は「花持ってきたよー」と笑顔でいた方が良いと。
彼女の人生で学んだ大切な接し方だ。けれど、サイバラのことだ。横に座ってお茶づけを食べさせてあげてるに違いない。