え?おばあちゃん…入院したの!?
あんなに元気だったのに
知人のおばあちゃんが老人ホームに入ったそうだ。品の良いおばあちゃんで、神保町で行なわれたボクのサイン会にも来てくださった。銀座で老舗の和菓子をお土産に持ってきてくれて、「本当はお酒がよかったかしら?でもお体のこともあるし」と気遣ってくれた。
それから間もなくして、東京郊外の老人ホームに入ったと聞いてちょっと驚いた。「認知がひどくなってきたんだ」とその知人が言ったからだ。サイン会から6ヵ月ちょっと。お一人でサイン会にもいらしていたというのに?そう思った。
知人の話によると、一人暮らしのそのおばあちゃんは、一ヶ月に何度も近くのお米屋に注文の電話をしていたらしい。「あれ?○○さん、この前お届けしたばかりじゃない?」。そう店の人に言われ、「孫が来るから」とか、理由をつけてはごまかしていたみたいだけど、忘れちゃって何度も頼んでたようなんだよね。実は。と。
家に行ってみたらお米の袋が10個、他にはトイレットペーパーとかペットボトル飲料などなど、違う店で注文して届けてもらったもので溢れていたんだそう。そこで馴染みのお米屋さんに聞いてみたら、「どうも様子がおかしい」という話になったのが発覚の発端だったという。
一人残していては危険だと、けっこう奮発して老人ホームを決めた、とその知人は言った。老人ホームには“お楽しみデイ”みたいな日が月に一回あって昼食がバイキングになったり、合唱団が来たり、おでんの屋台が出たり、そんな日は面会に行っていると聞いた。その日は「ご家族もどうぞ」。そういう日なんだと。その老人ホームに入って安心だし楽しそうだと嬉しそうに話していた。
おばあちゃん…
認知症がこんなに速く進むとは
そしてまたそれから数か月。おばあちゃんが、「スタッフが呼び鈴を鳴らしても来てくれないのよ」。そうこぼすようになったという。その頃はオムツも併用するようになっていたけれど、トイレにも行けていた。けれど、来てくれないから間に合わなかったと訴えるんだと。かわいそうだし、結構な金額を毎月支払っているのにちょっとそれはないんじゃないかと、その施設に怒っているようだった。
そこでその知人は施設長にその旨を聞いてみたそうだ。すると近々の様子を丁寧に教えてくれ、さらに「この日の夜は18回、次の日は9回ブザーを押されていまして、毎回スタッフが伺っています。ただ、その次の日の13回のうち1回は、すべてのスタッフが他のご利用者様のお部屋に行ってしまっていまして、その用事が済んでから伺ったと報告があります。間に合わずに2人体制でベッドメイキングをしたと聞いています。申し訳ございません」と丁寧に説明されたそうだ。
「一晩で10数回も呼び鈴を鳴らすおばあちゃん。来てくれないというおばあちゃんの訴えだけを聞いていたら『そんなひどい』と思っていたけれど、認知もかなり進んでいてブザーを鳴らしたことを忘れて何回も押すようだ。迷惑もかけているんだなあと思ったよ」と、かなり悲しげに話す。こんなに認知症が速く進むとは思ってもみなかった。自宅に引き取ってもおばあちゃんの面倒を見きれなかったに違いないと。
赤ちゃんは日々できることが増えるのに
高齢者はできないことが増えていく…
それと、認知症が進んで悲しかったのは、おしゃれなおばあちゃんが洋服をあまり気にしなくなったことと、今まで見たことがないほどの怒った顔をするようになったこと。いつも優しかったおばあちゃんが、まるで別人になったように見えることだとこぼす。
施設に入っているおかげでそれを毎日見ることはないけれど、変わっていく姿は自分ではどうにもしてあげられないと思うと切ないそうだ。
「赤ちゃんは、おむつをしていても、お粥を食べていても、それからどんどんできることが増えていく。けれど、高齢者はそのまったく逆で、1つひとつできなくなることが増えていく。そう思うとなんか考えちゃうよなあ…」としんみりした。
忘れることを忘れる
それもある意味幸せなのかも
たしかに、今回の件でしんみりして悲しくなった。「でも、もしそれが本人の幸せかもしれないと思ったらどうなの?」。そうボクは思うこともある。
すっかり忘れてしまう世界になってしまえば、死に対する恐れも孤独もわからなくなるんであればそれも良いのかもしれない。周りには迷惑をかけるかもしれないが本人はその方が幸せかもしれない、とも思うのだ。「もしかしたら忘れた?わからなくなる?」。そんな恐怖からも開放される。自分がわからなくなるということは思った以上にこわい。
亡くなる数日前まで元気でポックリ。それが理想ではあるけれど、今のボクがそうであるように、「あれ?今なにをしていたんだっけ?」とわからなくなる自分を発見して、それをごまかそうとしてみたり、知ってるふりをしてみたり…すぐばれるようなその場の取り繕いをしてみたり…。それは「こわい」の裏返しなのだと思う。それが怒りで出る人もいるだろうし、消えてなくなりたいと思う人もいるんだろう。
知人にも、忘れちゃうおばあちゃんを見てもかわいそうだと思わないでも良いんじゃないかと、なかばこじつけみたいな仮説を言ってみようと思う。そう周りが見てあげた方が、おばあちゃんだって幸せなんじゃないかなあと思ったりする。