保健・医療・福祉分野の連携と総合化を目指す神奈川県立保健福祉大学では、高齢化が進む近隣地域の活性化を図るため、地域貢献活動への参加を条件に、通常の半額の家賃が設定された団地へ学生を入居させる取り組みを行っている。この活動が発足したきっかけをはじめ、地域貢献の意義や高齢化が進む地域に若者を呼びよせる秘訣を中村丁次学長に伺った。
監修/みんなの介護
福祉を志す学生だからこそ
自発的に始まった地域活性化活動

神奈川県立保健福祉大学では、有志の学生たちに高齢化が進む地域の団地に住んでもらい、その学生を中心に町の活性化に取り組んでいます。
もともと、高齢者に食事内容などを尋ねる栄養学のフィールドワークの場として、2015年から高齢者が多く住む若葉台団地や県公社の高齢者施設などを訪れていたんです。そのうち、このフィールドワークを通して学生と住民の方々のふれあいが増え、学生の訪問を住民の方々が心待ちにしてくれるようになりました。
その頃、県の住宅供給公社から「浦賀団地の空き家を学生居住用で貸し出すことができる」との申し出がありました。それに呼応する形で、2016年からは学生が浦賀団地に住み、地域を活性化するための取り組みが始まりました。
私たちは「地域を支えるためには、地域を知ること。そのためにはその地域に住みなさい」と日頃から教育しています。そのため、学生にとっては地域と深くかかわれる良い機会になるだろうとは思っていました。ですが、当初大学として学生に要求したことは自治会活動への参加だけで、それ以上のものは求めてはいませんでした。
「浦賀団地活性サポーター(以下、UDKS)」活動として、毎月行われている「どんぶりの会」や健康講座などは、学生が自発的に始めたボランティア活動です。今では「浦賀団地に住むこと=UDKS」とひとくくりになっていますが、実は大学としてはボランティアの設定までは考えていなかったのです。教員に指図されたわけでもなく、学生たちが進んでボランティア活動を始めたと聞いたときには「さすが福祉を志して入学してきた若者たちだ、大したものだ!」と胸が熱くなりましたね。
神奈川県住宅供給公社と連携した浦賀団地活性化事業
現在、高齢者と学生たちがともに住む浦賀団地は、1970年代に建てられた総戸数356戸の大規模な団地だ。高齢化が進むにつれて、コミュニティ機能は低下しつつあった。この団地の活性化を図るため、神奈川県立保健福祉大学は、神奈川県住宅供給公社と連携した事業を始めたのだ。
入居後に地域貢献活動に参加することを条件に、県住宅供給公社が家賃を半額に設定した部屋を学生たちに貸与。学生たちは、家賃約2万1,000円で約38平方メートルの2DK住居(通常家賃約4万2,000円)に住むことができるようになった。学生向けに提供されているのは、エレベーターのない団地の4・5階部分だ。
2021年度のメンバーは、ベトナムからの留学生を含む17人。学生たちはUDKS活動として、栄養学科の学生が主体となってカレーや親子丼などの手料理を団地住民にふるまう「どんぶりの会」を毎月1回行っている。ほかにもすべての学科の学生が連携して、フレイルや骨粗鬆症予防などについての健康講座を不定期で開催したり、夏祭りの出店や清掃などの自治会活動にも積極的に参加している。

地域ケアの意義を教える福祉教育
「高齢化が進む地域の課題をきちんと把握し、ただ住むだけではなく、課題解決に向けて自ら行動する。これは地域ケアの意義や福祉についての教育を受けている学生にしかできないことです」と中村学長は言う。
高齢者を支援することに意義を持ち、楽しさを感じられる学生たちだからこそ、地域活性化を事業として成り立たせることができる。家賃が安いということだけに魅力を感じる学生なら、2DKの広い住居に友達を呼んでどんちゃん騒ぎをし、むしろ地域の課題を新たに生じさせてしまうかもしれない。
人に寄り添った総合的な
サポートができる人材を育てたい

保健福祉の現場は、科学の進歩がめざましく、将来はロボットやAIがほとんどのことをこなしてくれるようになるかもしれません。しかし、やはり温かみを感じられる、人に寄り添って総合的なサポートができる人材を養成していきたい。それが大学の理念です。
今の学生たちは、核家族に育ち、赤ちゃんや高齢者とふれあうこともないまま大学生になった子がほとんどです。そうなると介護の実習で、高齢者や障がい者にはじめて出会うことになり、どう接していいかわからないということが起こるのです。
ですから、できるだけ日頃から地域の子どもや高齢者と接してもらえるようにしています。例えば、キャンパスは地域にオープンにし、誰でも図書館や学食を利用できるようになっています。(2021年9月現在 新型コロナウイルス感染症のため大学施設の一般利用は不可)
自分が生活している地域を知り、そこにかかわる人々の健康と幸せを考える。つまり、大学の理念である「ヒューマンサービス」の意義を学ぶ場としてもUDKSは最適なんじゃないでしょうか。
ヒューマンサービスは、座学だけではなかなか理解し難く、自らの体験を通じて習得していくものです。UDKSの学生は、団地のボランティア活動を通じてそれを会得できますし、多職種連携も経験できる。ある意味UDKSは、大学の講義以上の学びを与えてくれていると私は思いますね。
大学の理念は「ヒューマンサービス」
神奈川県立保健福祉大学は、ヒューマンサービスを大学の理念とし、2003年に開学。ヒューマンサービスとは、人間一人ひとりが、人格を持った大切な人として生かされ、生きがいを持ち、その人らしく生きられるよう、人が、人らしく他の人を支援していくことを指す。
この実現のためには、患者さんや対象者を疾患やトラブルごとに判断するのではなく、洞察力と共感によってニーズを感じとり、的確に対応することが必要だ。大学では、看護学科、栄養学科、社会福祉学科、リハビリテーション学科の4学科の枠を超えた総合的な幅広い知識と技術を持つ人材を育成すべく、各学科の学生がともに学べるカリキュラムが組まれている。
4年生で行われる「ヒューマンサービス総合演習」では、学科混成グループを形成し、それぞれの専門的立場から協働し、個別支援計画を作成することで学生たちは実践的な多職種連携を学ぶのだ。

より進んだヒューマンサービスへの好循環
2021年9月現在、神奈川県、横須賀市、千葉県の役所には、UDKSの卒業生が職員として働いている。彼らは学生時代に培った地域ケアやボランティア活動の有益さをよく理解しており、学生時代に問題と感じた課題を解決するために、行政の場に行くことを選んだ。
ヒューマンサービスを学んだ卒業生たちは、社会問題を解決する専門職になった今、すべての人が生きやすい社会にするため、より進んだヒューマンサービスの施策を考えている。
学生が浦賀団地に住み始めて5年が経った今、そんなよい循環も生まれはじめた。
世代間のギャップを乗り越えられる
社会の仕組みづくりを

高齢化が進む団地の老朽化は、全国各地で問題になっています。高齢者に限らず、孤立した空間に1人ぼっちでいれば、健康な人でも病気になってしまいます。健康を維持していくためには、食事と運動、そして社会とのつながりが必要不可欠です。神奈川県でも健康寿命を延ばすため、「未病改善」に向けての取り組みを進めていますが、高齢者に社会とのかかわりを持たせるためには、UDKSのどんぶりの会のようなイベントが最適だと私は思っています。
高齢者を部屋から出すために、まずは健康でおいしい食事を提供する。おいしい食事から会話が生まれ、雑談を通じて社会に交わるようになる。そして食事の後に散歩でもすれば立派な運動になります。
これを普及させていくためには、やはりジェネレーションギャップを乗り越えられるような社会の仕組みをつくり、若者に地域の方々と一緒に生活することの価値、楽しさを感じてもらうことが必要です。昔の日本にはよくあった炊きだしや村をあげてのお祭りなど、これからはそういったイベントの重要性が見直されるようになるかもしれませんね。
県ぐるみで「未病改善」に取り組む神奈川県
2017年に「かながわ未病改善宣言」が発表された神奈川県。健康と病気の間を変化する概念を「未病」として捉え、日常の生活から心身をより健康な状態に近づけていく未病改善が行われている。県全体で未病改善について学び、県民が超高齢社会を幸せに生きるための対策をライフステージに応じて展開するのだ。
県によると、ボランティア活動をしている人のほうがより自立度が高いというデータもあり、健康寿命を延ばすために、とりわけボランティアや趣味の活動などで他者と交流することが奨励されている。

豊かな老後のために高齢者が通える大学をつくりたい
中村学長は、「高齢社会を楽しく暮らしていくためには、いくつになっても学びの楽しさを忘れないことが大事」だと力を込める。
「新しい知識は、新しい世界への扉を開くカギです。学ぶことの楽しさを感じていれば、高齢になっても孤独にとらわれず、充実した毎日を過ごせるはずです。これは私の夢ですが、若者だけでなく高齢者が集まるような大学をつくって、老いも若きも一緒に学べるようにしたいんです。人生100歳時代ですから、リタイア後に通う老人大学があってもいいんじゃないでしょうか。だから私は大学の教員たちに『退職後は老人大学で働かない?』と勧めているのですよ」
「まちづくりは、人づくり」とも言われているが、神奈川県立保健福祉大学の取り組みによって近隣地域には良い循環がこれからも生まれていくはずだ。興味深い取り組みに、今後もぜひ期待したい。
※2021年8月3日取材時点の情報です
撮影:丸山 剛史