33歳で乳がんと宣告された塩崎さんは、自身の経験から「病気でも自分らしくおしゃれを楽しみたい」という人の願いを叶えるためにTOKIMEKU JAPAN(トキメクジャパン)を創業。療養や入院のためのファッションブランド「KISS MY LIFE」の開発・販売を手がけている。ケア用の帽子やステッキ、食事用エプロンなどは特に人気だ。今回は塩崎さんから創業の経緯やこれまでの苦労、今後の展開などをお聞きする。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・塩崎良子】
「KISS MY LIFE」では「おしゃれ」と
「機能性」を両立するアイテムを展開

「TOKIMEKU JAPAN(トキメクジャパン)」では、患者になっても年を重ねてもおしゃれを楽しめる介護用品のオリジナルブランド「KISS MY LIFE」のアイテムを販売しています。さらに、店舗や施設のプロデュースなどにも力を入れています。
アイテムは通販サイトに加えて、国立病院など8ヵ所の病院内にある店舗でも購入していただけます。現在は約130アイテムを扱っており、今後も増やしていく予定です。
東京大学医学部付属病院「KSHOP」や千葉大学医学部付属病院などでは、「病院に1坪のオアシス空間を」をテーマに、常設の1坪キオスクショップを運営しています。
ケア用品のファッション性と機能性の両立は難しく、毎日が試行錯誤ですね。人気があるのは、ケア用帽子とステッキです。撥水機能のある素材でつくったブラウスのように見えるお食事用のエプロンも自信作です。メンズラインもご用意していて、ゴルフウェア風のエプロンなどがあります。
入院時に必要なものを集めた「入院セット」や、施設入居時のための「入居セット」なども人気です。お見舞い品として渡される方が多いので、ラッピングの箱を取り揃えていますよ。
祖母の問題行動が「おしゃれ」によって解消された
オリジナルブランド「KISS MY LIFE」では、ファッション性と機能性を兼ね備えたケア用品を多数販売している。
このようなブランドを展開する塩崎さんには、病院や施設にいてもおしゃれをすることが大切だと実感するに至る祖母との出来事があった。
「施設に入ったとき祖母には、当初、大きな声を出すなどの問題行動がありました。でも私がヘアメイクをして、おしゃれなブラウスを着せてあげたら、いつもの優しい祖母に戻ったんです。やっぱり自分らしくいることや、ひとりの女性としておしゃれをすることって大事なんですね。今は新型コロナの影響でお見舞いも難しい状況ですが、『何もしてあげられないけど、せめてプレゼントするね』という気持ちはデザインに反映させています」と塩崎さんは話す。
病院内に気分が明るくなるような空間をデザイン
高齢者の居場所が病院と福祉施設が中心になっていることに着目し、トキメクジャパンでは院内ショップの空間デザインにも力を入れる。

「病院や施設の場合は、物の置き方やディスプレイなどに制約も多いのです。その中で、なるべく近寄りがたさを減らし、楽しく過ごしていただけるように工夫しています。病院の中であっても、いろいろな空間があっていいと思うんです」
診察や会計などの待ち時間の合間に気軽に立ち寄れて、患者さんだけでなく医療スタッフも気軽に買える品ぞろえを目指す。
病院でのファッションショーをきっかけに
ケア用品の事業を始めることに

私は33歳で乳がんの治療を始め、治療が終わる少し前からビジネススクールに通って経営を学び直し、2016年7月に「トキメクジャパン」を設立しました。
「世界中の逆境をかかえる人へ、今この一瞬のトキメキを届ける」これが、設立当時の会社のミッションでした。
KISS MY LIFEは、がんの治療を受けていた私が「患者でも自分らしくおしゃれを楽しみたい」と考えたことから生まれたブランドです。闘病のつらさ以上に、病気によって経営していた店を閉業せざるを得なくなったことや、「私らしさ」よりも「患者らしさ」が優先されてしまうことがとても残念で、気持ちも沈んでいました。
そんな中、主治医の先生に勧められて、院内でがん経験者のファッションショーを手がけたことをきっかけに、また起業を考えるようになりました。おしゃれな介護用の服やケア用品をつくりたいと思ったんです。
両親からは心身の負担を考えて反対されましたし、再発のリスクもあったのですが、「もう一度仕事をして社会の中で役立ちたい」という気持ちで事業を立ち上げましたね。
「患者」としての画一的なファッションに疑問を持った
塩崎さんは、勤務していたセレクトショップの事業を25歳で引き継ぎ、ドレスのレンタルビジネスを始めた。華やかなパーティードレスなどを海外で自ら買い付け、顧客は女優やモデルが大半。しばらくすると店舗も増やせた。
公私ともに順調だったが、ある日、出張先で胸の違和感に気づいて帰国後に検査を受けた。そのときにはすでにがんは転移していた。すぐに抗がん剤で腫瘍を小さくする治療が始まり、廃業を決意する。
「治療はつらいのですが、それ以上にドレスと自分のギャップが大きすぎました。自分の髪は抜けているのに、楽しいことは提供できないなって。お店はいったん閉めて、治療に専念することにしました」塩崎さんは、こう振り返る。
それでも、病気になって初めてわかったこともあった。
「20年くらい前に、祖母が私と同じ病気で入院していたのですが、当時と介護用の服のデザインと価格がほぼ同じだったんです。高いのにおしゃれじゃないんですね。私はファッションの仕事をしていたので、もっと手ごろですてきなケア用品や介護用品があればいいのにと感じました」
病気になるまでは毎日流行を追いかけ、新しいものを求めて海外に出張していた塩崎さんにとって、納得できないことだった。
乳がん経験者が自分らしく輝ける場を演出
「乳がん経験者のためのファッションショーをやってみない?」 ある日、塩崎さんが仕事で買い付けたドレスの在庫が自宅にたくさんあることを主治医に話すと、思いがけないことを言われた。
「やります!」と即答したものの、アイデアはなく、ゼロからのスタートだった。それでもモデルを希望する女性たち一人ひとりと話し、「生きること」「美しさ」「おしゃれ」について、改めて考えたという。
そして、2015年に病院で開催した「乳がん♥サバイバーズ コレクション」は、多くのメディアに取り上げられ、大成功した。

「『がんと闘ってるかわいそうな人たちが、必死でがんばってる』と思われたくないから、ヘアメイクもウォーキング指導もプロにお願いして、本格的な演出にしました。そのショーがとても楽しくて、私には、これしかないと思えたんです」
こうして塩崎さんの新しいビジネスは誕生した。
さっそうとランウェイを歩くがん経験者の美しさに感動した塩崎さんは、今後はシニアモデルのショーも構想している。定期的にブランドの介護用服の新作発表会を開き、シニアの女性たちにショーに出てもらうのだ。
自社製品のチャームづくりなどによる
高齢者の就業支援にも挑戦

「KISS MY LIFE」に興味を持った企業や福祉施設の方から、ファッション以外の分野でもご依頼をいただいています。例えば2019年9月からはチャーム制作による高齢者の就業支援の実証実験に参画しました。
介護付き有料老人ホームで利用者様に自社製品の一部(チャームなど)をつくっていただき、それを施設内で使える500円分のポイントと交換するという取り組みです。 施設でのレクリエーションは体力づくりなどが多いですが、手芸や書道などもともとの得意なことを生かして何かできれば楽しいですよね。おとなしそうに見えた方が、作業のときは率先してリーダーになることもありました。
新型コロナウイルス感染症の流行が落ち着いたら、引き続き高齢者がつくった製品の販売を続ける予定です。「福祉施設で過ごしていても働きたい」「社会の役に立ちたい」とおっしゃる方は多いので、今後もお手伝いを続けたいです。
また、2017年には、群馬県にあるデイサービスの空間プロデュースも手がけました。このデイサービスが入っている施設は「0歳から100歳まで」をコンセプトに、保育園や障がい児学童クラブ、高齢者のデイケアも備えた複合的な施設として注目されています。
デイケアを提供する空間には、デザインの異なる椅子を配置したり、カラオケルームを思いっきりポップにしたりなど、いろいろな工夫を施しました。
ビジネスコンテストでの受賞で多くの人に認知されるように
2015年に院内ファッションショーを成功させた塩崎さんは、改めてソーシャルビジネスを学び、自分の闘病経験を基に新しいファッションのビジネスモデルを考案する。そして、ビジネスコンテスト「ソーシャルビジネスグランプリ2016」でグランプリと共感賞をダブル受賞したのだ。

「闘病中は『生きているだけですごい』と、みんながほめてくれるので、特権を得たようなところがありました。でも治療が落ち着くと、私は会社や仕事を失っていて…。自分には何もないと思っていたときに、ショーが成功したので、またがんばることができました」
この成功をきっかけに、塩崎さんは多くのメディアから取材を受け、企業や施設とのコラボレーションのオファーも増えるようになっていった。
大量生産できない製品のコストダウンには苦労も
「ファッション性を兼ね備えたケア介護製品」は画期的でニーズは高いが、重要視されてこなかった。小さな企業では大量生産が不可能なために、単価も高くなる。特に乳がん患者用の下着は大量生産が難しい。塩崎さんは手軽にまとめ買いができるシステムも模索中だ。
「出資者の皆さんが事業に共感してくれていて、私は恵まれた環境にいると思います」と笑顔を見せる。 塩崎さんは、なるべく価格を抑えるように商社と話し合い、海外のいくつかの工場に分けて生産するなど工夫を重ねてきた。
「最初は利益がそれほど出なくても、お客さんが買える価格をつければ売れていくと思うんですよ。ただ、すべての患者さんが斬新なデザインを好むわけではないと思います。私も普段着は黒が多いので、商品には普段から使えるようなブラックやアースカラーも取り入れています。30代~80代まで幅広い世代の方に着ていただけると思いますよ」
これも画期的なことだった。シンプルなケア用の服はほとんど販売されてこなかったためだ。
「『病気なんだから、しかたない』が積み重なって、『まあいいか』になって、患者さんを『患者さんらしく』していくんですね。それを何とかしたいんです」と力強く話す。
「これからはファッションだけではなく、ケアが必要となったときにライフスタイル全般に提案していけるブランドに育てていきたいです。介護用品は安くていいものが少ないので、ベッドカバーなどインテリアアイテムも含めてもっと手軽に買えるようにできればと思っています」
塩崎さんはそう言って、目を輝かせた。
※2020年12月17日取材時点の情報です