シャッターが閉まった商店街。バブル景気の崩壊以降、全国各地で見られる光景だが、再開発によってかつての賑わいを取り戻した商店街がある。香川県高松市の高松丸亀町商店街だ。商店街のなかに医療と住居、そして食を備えた再開発計画は、民間主導のコンパクトシティとも言える。その取り組みは全国から注目を集め、時の総理大臣をはじめ、多いときで年間200件もの視察が訪れた。大胆な再開発はなぜ可能となったのか、再開発の旗振り役、高松丸亀町商店街振興組合理事長の古川康造氏に話を伺った。
監修/みんなの介護
【ビジョナリー・古川康造の声】
- 暮らしに寄り添う、商店街本来の姿を取り戻そうと思った
- 高齢者こそ、商店街での暮らしが適している
- 常識を捨てたからこそ大胆な再開発を実現できた
暮らしに寄り添う、商店街本来の姿を取り戻そうと思った

商店街の再開発について意識し始めたのは、1984年頃からです。世間がバブル経済の好景気に沸き、丸亀町商店街でも生誕400年を祝う記念祭が行われるなど大いに賑わっていたのですが、その中でふと「この賑わいはいつまで続くんだろうか」と疑問を持つようになりました。
その頃はちょうど瀬戸大橋が開通して大型店が一気に流れ込んできた時期で、私たち商店街はそれに対抗する術を持っていませんでした。
ですから、もって15年、早ければ10年でうちの商店街は消滅するな…と。大型店はすごい経営努力をしているし、経営ノウハウと資本も持っているわけですから、それを相手に商業で打ち勝つなんて、まずあり得ないと感じました。
私たちが計画したのはライフインフラの再整備、つまり、その場所で生活する人たちの周囲に必要とされる商店が集まり、自然発生的に形成された「そもそもの商店街」の姿に立ち返ることでした。
きっかけはバブルの終焉
全長470mに及ぶ長大なアーケードを要する高松市丸亀町商店街。江戸時代から本州と四国を結ぶ玄関口として栄えたことから多くの人が集まり、その歴史は生誕から400年以上を経た今も続いている。
しかし全盛期の賑わいは同時に、将来の商店街に不安を抱かせるものであった、と古川氏は言う。やがてその不安は的中。バブル経済の終焉とともに地価は大きく値下がりし、一時は全国にある多くの商店街と同様に、シャッターが閉じられたままの店も多く見られるようになった。
そんな商店街が今、再開発によって大きく生まれ変わりつつある。

平成2年から始まった再開発では住民、特に高齢者が安心して住める場所であることを念頭に、商業施設の上にマンションを設置。商業地のみ機能する商店街を再生させるのではなく、住民の視点に立った計画に基づいて街づくりを一から見つめ直した点が、この計画の大きな特徴だといえる。
“住める”商店街
丸亀町商店街の再生計画で掲げられたテーマは、「医・食・住」。
高松市の高齢化が進む中、病院をはじめとする高齢者の暮らしに欠かせない「医療」「食事」「住まい」の3つの要素を整備することで、新しい商店街の在り方を示したのがこの計画だ。
そもそも、公共交通機関の整備が不十分な地方都市では、自分で車を運転できない高齢者が毎日商店街に通うことは難しい。そこで、通わずに「住む」という解決策が考案されたのだ。
商店街には「住」の要素として、500戸からなる高齢者向けマンションが建設されている。

2018年末時点で、完成済みの200戸が受付開始とともに完売したことからも、この計画が高齢者のニーズにフィットしていることが窺える。
高齢者こそ、商店街での暮らしが適している

計画当初には、「年寄りばかり集めてどうする」「もっと若者を集める計画を作れ」という声もありましたが、これはまったくの認識不足です。商店街なんてなくなっても、若い人は誰も困りません。
僕はこの商店街の出身でありながら、25歳の時、一番に郊外へと逃げ出したんです。若い頃は郊外での生活は快適だったのですが、人口が都市から郊外へと拡散するうちに自宅の周囲も農地から宅地に変わっていき、車がなければ何もできないことが極端に不便に感じるようになりました。
車を取り上げられると高齢者は自宅に引きこもり、家族の厄介者になることが目に見えています。今回の再開発は、老後をいかにハッピーに暮らすかということを考え、その答えとして導き出した「医・食・住」をひとつずつ具現化しているだけなんです。
自宅は最高の特別室
新たに建築された再開発ビルは1・2階を商業テナント、上層階をマンションとし、その間には商店街振興組合が経営する診療所が配置されている。この診療所が担うのは往診・回診と各種検査にとどまり、入院施設は備えていない。
全戸が完成すると1,500人規模に達するこのマンションは、入居するほぼ100%が高齢者。彼らは自室にいながら医師の診察を受けることができる。
医師の側も、莫大なコストをかけて病院を構える必要がなく、医療点数の高い往診で十分に生活が担保できるというWin-Winの関係が出来上がっている。
手術や高度な医療が必要な際には近隣の病院を後方支援として利用し、ICUを出た後は自宅に帰って診療所の医師からケアを受けることができる。
また、理学療法士が常駐する予防医療拠点が作られている点にも注目が集まっている。高齢者によって診療所がサロン的に使われるのを避ける効果もあるという。
10年後の完成を目指して
マンション入居者用のレストランは病院の管理下に置かれ、糖尿病患者やアレルギーにも対応できるよう病院がレシピを作成する。ここで使用される食材は、農家や漁師から直接仕入れを行う商店街内のマルシェから調達されるなど、商店街を生活の場として暮らす人、医療、そして店舗が互いに密接な関わりを持っている。
同じく病院の管理下には保育園もある。一般的な商店街では、そこで働く人は地元に子どもを置いたまま働きに出るが、丸亀町商店街の保育園は7時から20時まで預かってくれることもあり、出勤時に子どもを預け、仕事が終われば親子が一緒に帰る風景が日常だ。
再開発計画が動き始めておよそ30年。現在は8つの街区のうち4つが完成し、残る街区の再開発も介護など高齢者に必要とされる要素を取り入れながら、10年後の完成を目処に着々と進められている。
常識を捨てたからこそ大胆な再開発を実現できた

商店街の再開発を困難にしている大きな要因が、土地の問題です。当然ながら、再開発をするからと他人の土地を勝手に触ることはできません。
一般的には土地の所有権と利用権はワンセットになっていますが、今回の計画では所有権と利用権を分離し、地権者から利用権だけを60年で借り上げる「定期借地」を利用しています。
地権者の皆さんからの同意を得て土地を一旦、白紙に戻すことで、自由に再開発の絵を描くことができました。
報道ではよく「地権者に根気よく説得を続け、ようやく合意を取り付けた」と誤解されていますが、実際はそんなことはありません。
商店街の皆さんは商売人として先を見る優れた目を持っていますから、私たちと同じように商店街の行く末に不安を感じ、一刻も早くその不安を解消したいと考えていたのです。
彼らが納得できる計画さえ出すことができれば、合意形成にはそれほどの時間を必要としませんでした。
民間主導だからこそできたこと
商店街に限らず、さまざまな地域で再開発が検討されながらも計画が進まない理由の多くは、やはり土地問題にあると言われる。定期借地で土地問題をクリアしたこの取り組みは全国から注目され、相次いで視察が訪れている。
全国の商店街でも例を見ない、定期借地による大胆な再開発。これが実現できたのは、再開発そのものが自治体主導ではなく民間主導で行われたことも大きい。
「ドラスティックな開発には集中的な投資が必要ですが、自治体が行うにはその立場上難しいんです。もちろん、複雑な手続きが必要なため、自治体は大切なパートナーですが、あくまで民間を主体として進めてきたことが、スムーズな計画実現には欠かせない要素でした」と古川氏は語る。

コンパクトシティが謳われる今の状況下で、商店街を舞台にどんな生活の場をつくり上げていくのか。その計画は、商店街に住む人自身の目線で考えることで形作られ、動き出すのだ。
丸亀町商店街の例は「奇跡」ではない
かつては商店街に商業以外の要素を持ち込むと、その商店街は衰退するとまで言われていた。
しかし、時代が変わるにつれてその概念が通用しなくなっていることは、商業の場として再興させることよりも、居住者を定着させるという切り口で賑わいを取り戻すことに成功した丸亀町商店街の例が物語っている。

「再開発を成功させるためには、これまで常識として考えられてきたことを疑う感覚が必要。高齢化が進んで多くのビジネスモデルが成立しなくなってきた今だからこそ、常識という考えに縛られず、現状だけでなくこれから先にどうなっていくのかを正しく予想し、それに向かって早めに手を打つことが何よりも重要になります」。
丸亀町商店街の成功は、決して奇跡や特殊事例ではない。時代の流れを読み、理に適ったビジョンとアイデアを出した末の、当然の結果であろう。
※2019年1月22日取材時点の情報です