Q.165 誤った情報が氾濫するこの時代、”フェイクニュース”をどう見極めたらいいですか?(YouTuberになりたい長男・会社員)
これからは情報を再解釈して世に問うていく価値がより高まっていって、ただ単に起きたことを伝えるメディアの価値はなくなることは明白でしょうが、SNSなんかにも流れてくるフェイクニュースと正しく付き合っていくにはどうしたらいいのでしょうか。
「ニュースそのもの」と並行して、「フェイクニュースを見抜く目のある人たちの情報」を追っていくことが重要
難しい質問ですね。
まずフェイクニュースの性質ですが、昔から誤報というものは一定確率で常に発生し続けてきたもので、それがSNSの発達で、情報の発信者と発信頻度の双方が飛躍的に増えた上、それを監視する目も増えたので「より発生しやすく、より発見されやすくなった。」ということなのだと思います。
多分、世の中の本質は変わっていないんですよね。
我々は、昔から誤報を見ていたのですが、それを誤報と気づく機会を与えられなかったということなのでしょう。その意味では、間違ったニュースが流れるというのは事象としては新しいものではないのでしょうが、「その量が増えて、それに気づく機会を社会が得た」という意味では新しい事象なのでしょう。
とはいえ、フェイクニュースの絶対数自体は劇的に増えているわけですから、今後メディアを通したあらゆるニュースは、すぐに真に受けて信じてしまうことは非常に危険な時代が来ているとは言えるでしょう。
そこで今後ニュースを見る作法として、「ニュースそのもの」と並行して「フェイクニュースを見抜く目のある人たちの情報」を追っていくことが大事になってくるのだと思います。
今は専門能力とコミュニケーション能力に長けた人はSNSを通じてすぐにインフルエンサーになる時代ですから、そういう人たちの発信をtwitterなりnoteなりブログメディアなりのサービスでフォローしながらニュースを眺めれば、彼らが注釈をつけて情報発信してくれますから、そうそうフェイクニュースに惑わされることはなくなるでしょう。
このように、おそらく今後はニュースを受け止めるにあたって「ただ単に起きたこと」と「それを解釈するインフルエンサー」の情報を並行して追っていくことが求められることになるわけですが、これは結構面倒です。
なのでいっそのこと割り切って、自分の専門外の、生活に関係ない世界に関する情報はあえて深く知ろうとしない、触れない、ということも選択としてありだと思います。世の中、自分がやるべきことをやって社会に役立っていれば食うに困ることはないのですから。どちらを選ぶかはあなた次第です。