芥川賞作家・若竹千佐子が語る“老い”と“介護” 「決して“老い”はつまらないことじゃない」
2017年、“63歳の新人作家”として発表した第一作「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社)にて第158回芥川龍之介賞・第54回文藝賞をW受賞した若竹千佐子さん。同作は老いと向き合う高齢女性の悲しみや気概を東北弁でいきいきと描き、深い感動を呼びました。 そんな彼女に、「老い」や「介護」についての思いや、ご自身のリハビリ病院での経験、そして6年ぶりとなる待望の最新作「かっかどるどるどぅ」(河出書房新社)の構想秘話について聞きました。
文責/みんなの介護
文学少女が63歳で夢を叶えるまで
ーーまずはこれまでのご経歴をお伺いしたいです。若竹さんはどんな子ども時代を過ごされたのでしょうか?
私は岩手・遠野の祖父母、父母、兄姉のいる家庭に生まれたのですが、末っ子だったものでかわいがられて育ちました。「おらおらでひとりいぐも」に「おらはこれがらの人だ」という一文を出しましたが、あれはいつも両親が言ってくれていたことでした。「おめはこれがらの人なんだから(おまえはこれからの人なんだから)」って。他にも「いい大学に行きなさい」「職業婦人になりなさい」と、当時としては背中を押してくれるような両親でした。
子ども時代から本が好きで、小学生の頃は図書室で、とにかく目についた本から読んでいましたね。本当は、図書室には高学年しか入れなかったんですけれど、先生が「千佐ちゃんは本が好きだから」って入れてくれて。図書室のどこかカビくさいような、本のにおいがよくてね。そんなふうに過ごす中で「1冊でいいから、ここに自分の本があるような人になりたい」と思ったんです。その頃の思いをずっと引きずって、今に至っています。
ーー大学卒業後は教師をされていますね。
実は、東京の大学に行きたくて、合格もしていたのですが、きょうだいが2人とも外に出てしまって。私まで東京に行ってしまったら両親と祖父母がかわいそうだということで、岩手大学の教育学部に進学し、教員を目指して採用試験を受けたんです。
ただね、なかなか合格できなくて。試験を受けながら、臨時採用の教師として小学校や中学校で教えていたのですが、何しろ「臨時」なので、常に仕事があるわけではないんですね。1つの学校での仕事が終わると、次の仕事が決まるまでは何ヵ月も、今でいうニートのような状態。そういう生活を5年続けました。 私、教師の仕事が大好きでした。向いていると思った。でもこのままでは先が見えない。大学まで卒業させてもらったのに何にもなっていない、みたいな思いになってしまう。だから本当に非正規雇用の人たちの苦しみがよくわかるんです。
ーーその後、夫・和美さんとご結婚された。
臨時採用のままで教員を続けて5年、「もうあきらめよう」と思って上京しました。学習塾に務めていたのですが、生活が安定したら脚本の学校に通って、大好きな向田邦子さんのような脚本家を目指すつもりだったんです。
不安定な状態であることには変わりありませんよね。そんな時、父から「お見合いの口があるぞ、いい男だぞ」って電話があって。試しにお見合いしてみたら、すごくいい人だったんですよ。この人と私は合うな、と思って結婚して、それから27年間結婚生活を送りました。
ただ私は、自分は仕事しながら生きるものだと思っていたので、どこかで「一歩後退するな」という思いもあったんです。でも、それは絶対に言ってはいけないことだと思っていました。そういう時代でした。
ーー幸せな結婚生活を送られている中で、「やっぱり作家を目指そう」と思うようになった経緯はどのようなものだったのでしょうか?
作家として食べて行けるなんてもちろん思っていなかったし、家庭で本当に幸せだったんですけれど、夜1人になるとやっぱり寂しさというか、悔しさがつのるんです。自分が学んだことを活かせていない。夫がいて、子どもがいて、でも満たされない。 小説を書こうと思っても、何をどう書けばいいのか、分からない。だから私、子どもを2人育てる間にも本を読んで、勉強してわかったことをノートに書きためていました。ほかにも自分で考えたことや日常のことも書いたりして。ノートがたまっていくのが本当に楽しかった。夫と子どもたちがいて、本があれば私はそれで十分というくらい。
でも、夫が亡くなった時に、大げさに言えば「私から仕事も奪い、ついに夫まで奪ってこの野郎」っていう思いに襲われたんです。そして、夫は私を1人にして小説を書かせるために先に逝ってしまったんだ、みたいな気持ちにもなって。ヤクザみたいですが、「このままでは済ませない、必ず落とし前をつけよう」と。
それまでは「どうせ今からやったって」「歳も歳だし」なんて、自分の足を引っ張るようなことを思ってしまっていたんだけれど、そのときからもう、諦めるなんてことはなくて。私にとっては「夫の死を無駄にしない」ということがものすごいモチベーションになりました。
それで、息子の勧めもあって小説講座に通うことにしたんです。夫は2009年に亡くなったのですが、四十九日を迎える頃にはもう通っていました。それから2017年に「おらおらでひとりいぐも」で文藝賞をいただくまで、8年間ずっと在籍していましたね。“老い”とは経験を通して、成長し続けるということ
ーー文藝賞・芥川賞をW受賞された第1作「おらおらでひとりいぐも」と今作「かっかどるどるどぅ」では、共に「老い」に向き合うキャラクターが登場します。若竹さんにとって、「老い」は描きたかったテーマだったのでしょうか?
私が「老い」を描いているのは、この歳になったからでしょうね。
太宰治の「女生徒」を読んだことがありますか? あれ、いいでしょう。
※太宰治「女生徒」とは
ある14歳の少女の起床から就寝までの心理の移り変わりを描いた、太宰治の短編。少女らしい自意識や厭世観を繊細に描き出し、川端康成らの称賛を集めた。
“きのう縫い上げた新しい下着を着る。胸のところに、小さい白い薔薇ばらの花を刺繍ししゅうして置いた。上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にもわからない。得意である。”
“けさ、電車で隣り合せた厚化粧のおばさんをも思い出す。ああ、汚い、汚い。女は、いやだ。自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。(中略)いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。”
“明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。(中略)おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。”
(太宰治「女生徒」『走れメロス』[新潮社]p.89,108,138より)
私は、ああいう感覚で“ばあさん”を書きたかったんです。生き生きとみずみずしく、老年の女を書いたらどうだろうって。人は歳をとったからといって心まで衰えるわけではなく、みずみずしさを持っているわけです。これからも、そういうものを書きたいと思っています。
ーーご自身は「老い」についてどのような印象をお持ちですか?
私が歳をとって分かったことはね、「老い」っていうのは、“衰える”とか、“何もできなくなる”とか、マイナスなイメージで捉えがちなんだけれども、結局は経験を通して、成長し続けるということなんです。もちろん、若いときにできたことができなくなることもあるけれど。
例えば、“悲しみ”ってどういうものか、みんな言葉では分かっているでしょう。でも、言葉として分かっていたとしても、例えば「夫を亡くす」という本当の悲しみと出合った時に、これまで自分が知っていた悲しみとは全然違うということに気づく。今まで頭で考えていたことが、体ごと悲しいんです。 長く生きるってことは、そういったいろいろなことを実地で分かっていくことだと思います。
だから、決して「老い」はつまらないことじゃない。むしろ私は面白いと思っています。若い頃はわからなかったことが、今は「こういうことだったのか」ってわかるようになった。私は若いころ、なんてあほだったんだろうって思っています(笑)。
ーー「かっかどるどるどぅ」では、「みんなで生きる」をテーマに、社会的に孤立したさみしい人たちがいわば擬似家族的に生きていく姿を描いていらっしゃいます。どのように構想を練られたのでしょうか?
私は大学時代からずっと「この社会はおかしい」と思っていました。今だって、非正規雇用で働く人が4割もいて、結婚したくてもできなくて困っている人がいたりするのに「それは自己責任ですよ」ってその人個人の問題に矮小化してしまっている。だから少子化なのは当たり前の話ですよね。私自身、不安定な状態で働いていたので、そういうことに対する憤りはずっと抱えていたんです。
そんな中で孫たちが生まれて。もしこの子達が80まで生きるとすれば、この子達は2100年を生きるんだな、と思いました。でも、その頃にどんな社会になっているのだろうかと考えてみても、マイナスなことしか思いつかなかったんです。
じゃあどういう社会がいいのかって考えてみたときに、人を産んで、育てて、病気のときは病院にかかり、老いてどうしようもなくなったら手厚い介護が受けられる、というような安心がある社会なら、って。そうやって安心していられれば、人はいろんな方面で花開けるだろうと思うんです。もちろん、産みたい人も産みたくない人もいるし、結婚したい人もしたくない人もいるし、それぞれが自分の望む生き方を安心して選べる、自由度が保証される社会がいいですよね。
介護をはじめとして、「一人の人間が生まれてから最期まで安心して過ごせるようにする」というのは、大事な大事な、真ん中の仕事だと思うんです。それが今までは、「女の仕事」として金銭的な価値を生まない、周縁の仕事にされてきていた。でもそうじゃなくて、本当に大事な中核の仕事、みんなで分かち合うべき仕事なんですよね。せっかく小説家になったんだから、そういうことを訴えたいと思いました。
“ねえ、家族ってさ、血がつながらなくても、家族になれないかな。(中略)みんなで一緒にごはんを食べてさ、笑ってられたらそれでいいんだ。一緒にごはんを食べる人がいるって、それだけで幸せなことなんだ。ゆるくつながる人間関係があればそれでいい。それがあたしの考える家族だ。”
“「俺はひとりじゃないんだ。俺を心配して守ってくれる人がいるんだって分かって。だから今度は俺が人を大切にします。介護の仕事は俺にピッタリなんだ。人と関わる仕事です。介護の仕事は片隅の仕方のない仕事なんかじゃない。むしろ真ん中の大事な仕事です」”
(若竹千佐子『かっかどるどるどぅ』[河出書房新社]p.92-93,176より)
リハビリ病院での生活が「老後」への不安を払拭してくれた
ーー同作には舅姑の介護を経験する女性・芳江や介護施設で勤務するようになる男性・保が登場しますが、若竹さんご自身は介護経験はおありですか?
介護経験はないのですが、私自身が病気をして足が動かなくなってしまって、リハビリ専門病院に入院したことがあります。
入院中に一番印象的だったのは、脳梗塞かなにかの影響で言語障害になって喋れなくなってしまったおばあさんの姿でした。千葉の病院だったので窓から富士山がよく見えるのですが、そのおばあさんが富士山を指して、聞き取れない言葉で何かを言っているんです。でもそれに対して、看護師さんがちゃんと「うんうん、今日は富士山がよく見えますね」なんて答えてあげていて。
そうしたら退院の日、そのおばあさんがおいおい泣いてしまった。私そのときはね、なんで退院なのに泣いているのかな、退院だったらうれしいのに、って思っていたんです。 でも、私もうちに帰って、1人になってみてわかりました。おばあさんはね、きっと退院するのが嫌だったんですね。おそらくそのおばあさんも、うちに帰れば1人なの。病院の中では、みんなにいたわられて、仲間たちと一緒に食事をして。そういうことがこのおばあさんにとってすごく幸せだったんだなって。
私も楽しかったんですよ。こう言ってしまうとあれですが、老人ホームに“体験入門”したような気持ちになりました。
最初は、必ずそうする決まりになっているらしいのですが「今日は何月何日ですか」「ここがどこかわかりますか」なんて質問をされるもので、「はあ~? 私はね、足は動かないけど、ここ(頭)はしっかりしてるのよ、失礼な」って(笑)。とんでもないところに入れられたと思ったんです。
でもね、病院で過ごしているうちに、これはこれで結構楽しく暮らしていけるなんて思うようになって。入院当初は体の自由が効かずに排泄の介助をしてもらうこともありましたし、「自分のことが自分でできなくなったらおしまいだ」という不安もあったんです。でも今は、もちろんそうならないようにしたいんだけど、これはこれで楽しいものなんだよなって。老後も私はやっていける、みたいな気持ちになって、恐れがなくなりましたね。
「みんなで生きる」ために必要なこと
ーー高齢化が進んでいることもあり、孤独を抱えて生きていく人はどんどん増えていくと思います。そんな中で他人と寄り添い「みんなで生きる」ためには、どうすれば良いのでしょうか。
私は、自分自身を大事にする「手」と、人に差し伸べる「手」が必要だと思っています。
人に「マウントを取る」なんて、まったく愚かです。競争社会にどっぷり浸かって、人の上か下かで捉えようとする。人と協調して分かり合う喜びを今、認識すべきなんだと思います。
「人を競争に駆り立てれば、どうなるか、さっきも言ったように一握りの勝者と大多数の敗者を生みます。負けたほうは惨めです。自分の存在価値を否定されたようなものです。自分嫌いを量産します。惨めな自分を守るためには人と関わらない、閉じこもったほうが誰にも較べられないですから。こうして人を孤立させ分断させます」
(若竹千佐子『かっかどるどるどぅ』[河出書房新社]p.170より)
でも、ざっくばらんに自分をさらけ出して、「人より自分は優れている、どうだ」っていう生き方をやめればとっても楽。それに、わかる人にはわかってもらえるのだから、それで自分を小さく見られてもいいと思います。そういう生き方をして、自分を大事にする、労わると同時に、人にも手を差し伸べることだと思います。そうすれば、小さく孤立した自分を、すーっと人の中に広げられるような気がしています。自分を飾らない、さらけ出して卑屈にならない生き方は、案外強い生き方かもしれませんね。
ーー「かっかどるどるどぅ」には、「嫁だから」「家族だから」と家事や介護を押し付けられたために、「自分自身の人生」を生きることができない時間を過ごした女性・芳江が登場します。女性はどうすれば自分の人生を生きることができると思われますか?
“じゃあたしのこの十何年はなんだの。ただ働き。介護という名の家事労働、巧妙に蓋された見えない仕事。女の仕事。”
“舅姑との同居が始まった、と思ったら今度は半年もせずに姑が倒れ、また半年して舅が倒れ、逃げ場もなく介護の生活、トイレ風呂場寝室台所、四点をグルグルグルと這いずり回り、施設に預けたくても何十人も待機者がいてままならず、有料のホームはとてもじゃないがお金がかかって入れられない。(中略)すべてが終わって、家じゅうを磨きに磨いて、磨いて磨いて座布団の上にぺたんと座っている自分を発見した時、あたしは六十八になっていた。”
(若竹千佐子『かっかどるどるどぅ』[河出書房新社]p.24-25より)
難しいですよね。私はそんな偉そうなことは言えないけれど、やっぱり社会性を持つという意味では、女の人でも仕事は持ったほうがいいとは思います。もちろん、家庭で子どもを持つということにはもたくさんの喜びや、その中でわかることもいっぱいある。まずは何より、選択できる自由のある生き方がいいと思います。
女の人が強かったのは、そういう葛藤も含めて、実体験のある人生を送ってきたからですよね。もちろんそれで阻害されてきた面もあるけれども。
社会に出なさい、家庭でもいい妻でいなさい、ってあれもこれも望まれることは本当に大変。だから男性を巻き込まないと。いかに、男の人たちとも連帯してやっていくかっていうことが大事なんだと思います…でも、そうできる男を選ばないといけないね(笑)。
娘や息子を見ていると、昔と比べて夫の側が育児に参加していると思うんです。それに、お世話になっている河出書房新社の編集者も結構女の人が多くて。私の若い頃と違って、女の人たちがとっても活躍しているのを目の当たりにすると、本当に嬉しいです。男も女もどんどん前進していると思います。
女性が生きづらい世の中は、男性にとっても生きづらいはずです。だから、男の人も女の人も家庭・社会両方で充実している、そういう状況にしないと。そして、そういういい世の中にするためには、声を上げることが大事だと思います。自分が置かれた環境のままで、何も言わなければどんどん首を絞められていく。だから、とにかく声を出して、いいことはいい、悪いことは悪い、と意思表示する責任が、私たちにはあると思います。
撮影:阿部岳人
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