撮影当時の関口監督の心境は?
母の介護は私一人ではできないし、やるべきではないということをしっかりと脳裏に刻んだ
この動画は、母が2010年5月にアルツハイマー型認知症であると正式に診断を受けてから約2ヵ月後ぐらいでしょうか。
母の初代ケアマネジャーである西迫さんは、母の様子はもちろん、私が認知症になった母とどのように暮らしているのかを気にして自宅に来てくれたのだと思います。
このときの西迫さんとの話し合いで、初めて私は「関口ケアチーム」という概念を持ちました。
つまり、母の介護は私一人ではできないし、やるべきではないということをしっかりと脳裏に刻んだのです。
このときの私は、「自分一人でやらなくてもいいのだ」という大きな安堵感を覚えました。
ですから、母の死生観のリピートを「記憶の問題」というよりも、母の「こだわり」だと捉えることができました。
そのとき関口監督がとった行動は?
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」。とにかく助けを求める。自分だけで抱えない
とにかく助けを求める。自分だけで抱えない。認知症介護はここに尽きると思います。
話は前後しますが、母の診断後すぐに地元の地域包括ケアプラザに出向いたことで、母の初代ケアマネジャーになった西迫さんと出会えたのです。
私は当初、要介護認定の申請もなにもかもまったく知りませんでした。
必要な手続きをどうしていいのかわからないということが、認知症である母へのケア以上に不安でした。
だから、わからないのであれば外に助けを求める、というのは自然な流れでした。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ですからね!
実は、地域包括ケアプラザに行く前に、行政が主催した認知症講座に2回ほど参加しています。
これが、ヒドかった!
「認知症になったら、物盗、取り繕い、暴言・暴力の現象などが出る」という、一般化された認知症についてのマイナスのイメージばかりを羅列され、ますます不安を煽られた気持ちになりました。
ただ、唯一良かった点は、地域包括支援センターや役所に助けを求めるよう推奨されたことでした。
私が早い時期に外部へ助けを求めたのは、そんな経緯からなのです。
関口監督から読者へ伝えたいメッセージは?
自分一人では、決して頑張らない。ここを踏み外すと、介護はかなりつらいものになるのではないか
認知症介護は一人では難しいし、家族の連携があっても一筋縄ではいかないと思います。
なぜそう言えるのかというと、私が唯一無二と考えている「パーソン・センタード・ケア」という認知症ケアの概念を国家戦略にしている英国では、「認知症介護は高度なスキルである」と認定しているからです。
高度なスキルを持たない、また、持つ機会もない家族に認知症介護が上手くできないのは当たり前ではないでしょうか?(「パーソン・センタード・ケア」について知りたい方はぜひ『毎アル2』をご鑑賞ください!)
そういう意味でも、私が母の認知症初期に、母のための「ケアチーム」が必要であると考えて動いてくれたケアマネさんに出会えたことがすべてだったと思います。
『毎アル2』予告編
プロの手を借りて、母のためのケアチームをつくり、各々が適材適所で母のケアをする。
そんな母のためのケアチームを作り、自分一人では決して頑張らない。
ここを外すと、介護はかなりつらいものになるのではないかと思います。
また、「ケアチーム」の存在は母だけでなく、私にとっても大きな助けになりました。
当時、まったく予想もしていませんでしたが、先天性両股関節変形症という問題を抱えていた私自身が2014年に身体障害者として認定され、果ては要支援がつく身になったのです。
同年夏には両股関節の手術に臨みましたが、このときも、母のケアを信頼して任せることのできる<関口チーム>があったので、安心して自分のことに集中できたと思っています。