ドリフを観て育った世代なので、今日はわくわくしています。散々聞かれたことだとは思うんですが…加藤茶さんとは45歳も離れていますよね。年齢差にとまどうことはありませんでしたか?
今回のゲストは加藤綾菜さん。加藤さんは23歳のときに国民的コメディアンの加藤茶さんと結婚。「45歳年の差婚」が世間に知られるやいなや強烈なバッシングに遭うこととなります。新婚当初からふたりを襲った大きな試練…二人はどのようにその「壁」を乗り越えてきたのでしょうか?さらに、お話は「70代の女友達も多い」というプライベートなご友人関係まで。年上のご友人が増えたきっかけは、壮絶ないじめを受けていた中学時代にまで遡るそうです。加藤さんが実践する「自力の行動を見守る愛」には、漫画家くらたまも涙ながらに共感しました。
- 構成:みんなの介護
結婚後10年つけ続けた日記の一部を漫画とともに初披露したエッセイ。世間の批判にめげずに育んできた、ほのぼのとした夫婦愛が心に沁みます。温かいイラストと文章ににじみ出る加藤綾菜さんの人柄、妻目線で見る国民的コメディアンの素顔は見どころです。
新婚時代から10年続いた強烈なバッシング


見た目が若かったから、初めて会ったときには54歳ぐらいかなぁなんて思っていたんです。でも、好きになってからWikipediaで年齢を調べたら66歳というのがわかって(笑)。「大丈夫かなあ」なんて思いがよぎりましたが、「私は加トちゃんをぜったいに一生守っていける!」と思うほど惹かれていたんです。

それまでに若い方とお付き合いしたこともあったでしょう?

もちろんありました。でも、どこか「幼く」感じていたんですよ。加トちゃんといるとゆったりと時間が流れている感じが心地よいんです。精神年齢がぴったりと合う気がします。

そんなお二人ですが、ご結婚を発表されてからは、マスコミだけでなく世間からのバッシングもしばらく激しかった印象です。

最初の5年は本当にひどかったんです。加トちゃんの公式サイトに毎日200件以上も悪口が書かれていました。“ロリコン”とか“気持ち悪い!”とか…。その悪口が加トちゃんの目に触れるのが嫌で、加トちゃんが寝ている隙にこっそりと消したこともありました。
スーパーに買い物に行っても「あれ、加藤茶の嫁じゃね?」って大声で言われることも。心が休まらないので、近所に外出するのも億劫になっちゃって…。一番の不安は、加トちゃんがこれまでに築き上げたものが崩れるんじゃないかということでした。

辛い時期でしたよね。バッシングがおさまってきたと感じたのは、いつ頃からですか?

10年ぐらい経ってからですね。これだけ長く一緒にいるので「本当に好きなんだろう」と皆さんにもわかってもらえたんだと思います。

10年!ご結婚されたのが、2011年ですよね!?つい最近ですよ。よく耐え抜きましたね…。

辛いときはいつも、加トちゃんがかばってくれていましたから。加トちゃんのおかげで耐えることができました。
「芸能生活60年、いままで生きてきて、本当にいろいろなことがあったな。でも人生で一番ツラかったのは、あーたんがバッシングされたことだよ」
(『加藤茶・綾菜の夫婦日記『加トちゃんといっしょ』』P99より引用)
ああそうか、加トちゃんは、人知れず、ずーっと気にして傷ついていたんだ。それでも、ぐっとこらえて、何も言わず、出会った頃のようにわたしと接してくれていたんだ。当時のわたしは、自分ひとりだけが傷ついていると思っていて、まったく気づきもしなかった。

そもそも騒がれるようになったのって結婚直後でしたっけ?

いえ、結婚して数カ月は、“バレてなかった”んです。でも、ある日、加トちゃんの仕事で福岡に一緒に行ったんですよ。福岡から帰ってきたら、空港に報道陣が250人ぐらい詰めかけていて…。
最初は、「レディー・ガガが来たのかな?」と思いました。そして、警備の人がやってきて加トちゃんを脇に抱えて連れていったんです!私の顔はまだ誰も知らなかったようで、いつもどおり空港から出ることができましたが。
その日のうちに「加藤茶、45歳差で再婚!」ってニュースが出ていました。私の母の携帯番号もどこからか入手されて、広島の実家や親戚のおばあちゃんの家に報道陣が押しかけていたんです。それでもう翌日からはバッシングの嵐です。

報道が悪い方向に加熱していきましたよね。

お祝いムードは3時間ぐらいでしたよ。

あれだけのバッシングを乗り越えて来られたんだから、ふたりの絆は相当強かったんだとお見受けします。
年が離れた友人が地域に20人以上もいる

こうしてお話をさせていただいていると、綾菜さんにはいい意味で年齢を感じさせないフランクさがあるんですよ。ひょっとして、年上のご友人も多いのでは?

60〜70代の友人が住まいの地域に20人以上はいますね。近所の銭湯に行ったり、地域のごみ拾いに参加したりして仲良くなったおばあちゃんたちです。最初は、「加トちゃんの嫁でしょ?」なんて声を掛けられて(笑)。
ある80歳のおばあちゃんとは10年ぐらいのお付き合いで、一緒にカフェ巡りとかをしているんですよ。

80代の女友達とカフェ巡りをする30代ってなかなかいないですよ。たしかに綾菜さんって、すごく話しやすい。年上の方々とお付き合いすることは、綾菜さんにどんな影響を与えていますか?

同世代とは同じような話題で同じようなテンションで盛り上がれます。でも、年上の友人といると、知らないことをたくさん吸収できるんです。知識だけでなく、話し方や生き方を!それがとても楽しくって!

人付き合いを楽しめているのってすごいなあ。でも、年齢って知らず知らずのうちに、気にしちゃいませんか?

年齢もそうですが、相手に対して偏見や先入観を持たずにフラットに話を聞くようにしているんです。
「この人は自分とは生きている環境が違うから合わない」と決めつけてしまうと、それで関係は終わってしまいます。自分の世界も考え方も、狭くなってしまうのは損だなって。
壮絶ないじめを体験。心を開ける相手は年上の人たちだった

偏見や先入観なく関わるというのは人付き合いの上で大きなヒントですよね。ただ、なかなか実践できることではありません。いつからそう思えるようになったんですか?

実は私、中学の頃にいじめに遭っていたんです。精神的にも身体的にも辛過ぎて、学校に行く前に吐いてしまうことがよくありました。
あまりに苦しいので母にいじめのことを話すと、母は心配して、「もう学校には行かなくていいよ」って言ってくれたんです。でも、私は休まずに通いました。そうしたらお母さんが毎日お弁当に手紙を入れ続けてくれたんです。そこには前向きなメッセージを書いてくれて。

温かいお母さんですね。

その頃、近所の’’おばちゃん’’も私に声を掛けてくれました。一人で帰ったり、服がボロボロになったりしている私を見て、「どうしたの?」って心配してくれて。そしていじめのことを相談するようになったんです。
今振り返っても、誰か1人でもいじめのことを話せる相手がいたことが救いになりました。死にたくなるほど辛い思いになったこともありましたから。

本当に苦しかったとき、助けてくれたのが年上の方々だったんですね。

そうですね。学校の中でも唯一心をひらけるのが60代のソフトボールを教えてくれる先生でした。その先生は私の味方をしてくれました。逆に、同級生と話すことはあまりありませんでしたね。その頃から偏見や先入観を持つことはなくなりました。
何か起こっても動揺しないために介護を勉強

綾菜さんは現在、介護の資格を複数持っているそうですね。資格を取ろうと思ったきっかけを教えてください。

ある日、食事をしていたら加トちゃんが急にお箸を落としたんです。手に力が入らなくなったと言って体中が震え始めて…。病院に連れて行ったら、パーキンソン症候群と診断されて入院することになりました。結婚5年目ぐらいの出来事です。

そのときに病院の先生は何と?

「パーキンソン病ではないから治る可能性もあるけど、ここまで体力が落ちていたら復帰は難しいかもしれない」って言われました。食事もとれなくなって体重は30キロ台まで落ち込みました。
その頃、私は体力が落ちていく加トちゃんを「見守る」ことしかできなかったんです。だから、何かできないかと思い、気力を取り戻してほしくて耳元でドリフのDVDを聞かせていたんです。
そうしたら反応するんですよ。志村さんとのコントを聞いていたときには、クスクス笑っていたんです!「絶対舞台で復帰しようね」って毎日語りかけていたのを覚えています。
医療は先生にお任せするとして、わたしが加トちゃんにできることは、なんだろう。 まずわたしは、体を動かせないけれど、耳ははっきりしている加トちゃんが、少しでも入院生活に飽きないよう、新聞を読み聞かせることから始めました。一面から社会面、スポーツ面まで、隅々まで読んでいると、静かながらも耳を傾けているのがわかります。
(『加藤茶・綾菜の夫婦日記『加トちゃんといっしょ』』P89より引用)

加トちゃんも「舞台でまたみんなに笑ってもらいたい」と思うようになってくれて。みなさんに支えられてリハビリも進み、一年も経つ頃にはテレビに出られるぐらいまでに復帰できました!
当時、「何かあったときに加トちゃんを助けられる知識を身に付けたい」と思うようになっていたんです。それで、食育インストラクターや生活習慣病予防アドバイザー、介護食アドバイザーの資格を取りました。
一時中断していたのですが、志村さんが急に亡くなられたことで、「人間はいつどうなるかわからない」という事実を突きつけられました。学校で学び直して、介護職員初任者研修と介護福祉士実務者研修を修了することができました。

介護に直面するまでは「できるだけ目を背けたい」と思う人が多いなかで、綾菜さんはしっかりと向き合っていますよね。

知識があったら、何かあっても動揺せずに加トちゃんに向き合えると思うんです。
加トちゃんは今のところは元気です。でも、やっぱり老いていくことからは逃れられない。加トちゃんが老いていくことに動揺する自分が怖かったんです。今はこんなに愛しているけど、何もできない加トちゃんを見たら「冷めるんじゃないか」と考えることもあります。

とてもよくわかります。勉強されてから生活の中で変化はありましたか?

一年ほど前に加トちゃんが倒れたことがありました。そのとき、体調が悪くなりみんなが心配したけどバイタルをとりながら冷静に「熱中症かもしれない」と判断出来たんです。
念のため病院に連れて行ったのですが、予想通り軽い熱中症という診断でした。知識があるのとないのとでは、自分の心持ちが大きく違います。
介護職の研修で得た、今までにない達成感

介護職の研修を通じて感じられた印象も教えていただけますか。

研修やボランティアで実際に介護をしたときに、「私に向いている!」と思ったんです。他の仕事では得られない達成感もありました。

どのような瞬間に達成感があったのでしょうか。

「ありがとう」って言ってもらえたときに、今までに言われたありがとうとは「何かが違う」って思ったんです。それこそ、加トちゃんと出会った時の飲食店でのアルバイト中に言われる「ありがとう」とは何かが違う。
介護を通じて生活に“入り込む”ことで、もっと深い部分で相手に関われていると思うんです。それだけでなく、生きることにここまで密着できるお仕事ってそうはありませんよね。
「あなたがいてくれたから1カ月に1回しかできない外出ができた。今日は良い日になったよ。次も来てね」って言われたときは、涙が出そうになりました。
元気なときは、介護を受ける方のつらさや苦しみを、同じように理解することは難しいんです。だからこそ、身体が不自由な方の苦しみや悩みに向き合って、生きることを支えている介護職の素晴らしさがよくわかりました。
でも、介護職は離職率も高いし、福祉系の学生も少ない。若い方を含め、もっと多くの方々にこのお仕事の素晴らしさを知ってほしいですね。

介護職のイメージって、どうしたらもっと良くなるとお考えですか?

多くの方にとって“興味がないカテゴリー”になっていますよね。私の同世代の友人たちでも、興味・関心を持っている人は少ない。友人からは「介護のボランティア?すごいね。尊敬する。でも私には無理」って言われることもあります。

「自分以外の誰かがやる仕事」という感じになっていますよね。直面するまでは見て見ぬふりをするというか…。

でも、友人たちを批判しているわけではありません。友人の気持ちや考え方もよく分かります。自身だけでなくご家族も元気なときには「いつかは自分が介護をしたり、されたりするんだから今のうちから勉強しよう」と考えることは難しいんです。
私だって最初は加トちゃんが大病したときのイメージを持てませんでした。出会った頃は、とても元気だったので。もし加トちゃんと結婚していなかったら、20代で介護について学び始めることはなかったかもしれません。
認知症の疑いがある人には検査を勧める

先ほどのお話にもありましたが、お友達とは介護について他にどのようなお話をされるんですか?

ヘルパーの資格を持っているから、相談を受けることが多いですね。「うちの母が認知症っぽいんだけど、どう思う?」とよく聞かれます。状況を教えてもらうと、「これは認知症だ!しかもピック病だな」って思うんです。

状況を聞いただけでそこまでわかるんですね。

大体わかります。そして、病院で検査してもらうことを勧めています。誰だって自分の親が認知症だとは思いたくないし、もちろんご本人だってそうです。だから、周りの人が病院に行くことを促すのが大切だと思うんです。
ただ、本人にはこう伝えます。「認知症かもしれないから病院に行こうって言っちゃダメだよ。『お母さんの体調が心配だから』と言ってね」。「認知症の検査のために」と言うと、断られてしまう可能性があるし、本人に不要な心配をかけてしまうことがあります。

なるほど。気遣いの精神ですね。

実はこの間、加トちゃんも検査を受けたんです。あんなに口が達者だったら大丈夫だろうと思ってはいたのですが、念のため…。結果も問題なく、ひと安心でした。

ご主人は若くてお元気ですものね。

79歳になりましたが、「今」はだいぶ元気になったと思います。75歳を過ぎた頃に、外に出るのを嫌がり始めた時期があったんです。ゴルフも水泳も得意で、クレー射撃では日本一になったこともあるほどアクティブだったのに。
「足が痛いから外に出たくない…」と言い出したんです。周りの方々と関わるのも億劫になっていました。でも、そこで閉じこもってしまうと、一気に体力が衰えてしまう。加トちゃんのご友人に連絡して、ときどきご飯に誘ってもらうようにしたんです。それからは、少しずつ外出する機会も増えて。
自力で取り組む姿を見守るのも“愛”

ご主人がいつまでも元気でいるために、ほかに取り組んでいることってありますか?

できるだけ自分の力で動いてもらうようにしています。

詳しくお聞かせください。

例えば、加トちゃんに「お茶取って」って言われても、「自分で取りな」って言うようにしています。本当は私、「何でもしてあげたい」タイプなんです。でも、あるとき病院の先生にそれを怒られてしまって…「綾菜ちゃんが甘やかすことで、加トちゃんをダメにしてるよ」と。
当初は「最近、冷たくなったね…」と言われました。悲しかったですよ。でも、続けていくことで、いろいろなことを自分でするようになってきたんです!料理なんてまったくしなかったのに、今はカレーをつくってくれるようになったんです。

すごい!加藤茶さんにとっても大きな変化ですよね。ちなみに、どういうふうにカレーをつくってもらったんですか?

加トちゃんが、ラーメンをつくってくれたことがあったんです。牛乳と一緒に煮込むからそんなに美味しくないんですが(笑)。でも、「すごくおいしい!加トちゃんはやっぱり天才だ!」って褒めたんです。そうしたら、「そう?普通だよ」なんて言いながら、まんざらでもなさそうでした。
くたくたの体に、こんなに染み入るラーメン、わたしは食べたことがありません。 箸で持つだけで切れてしまいそうな麺は、きっと不慣れながら時間をかけてがんばってくれた証拠。
(『加藤茶・綾菜の夫婦日記『加トちゃんといっしょ』』P109より引用)
「オイラは柔らかいのが好きなの!」
バネのようにくっついているネギは、わたしとまったく同じです。
「オイラは慣れてないからいいの!」
加トちゃんが作ってくれるラーメンは、不慣れだけど、優しさと笑いがあって、なによりも美味しいんです。

後日、「加トちゃんがつくったカレーが食べたいなあ。加トちゃんのカレーは世界一だもんね!」と言ったんです。そうしたらつくってくれました!加トちゃんが「自分で何かをしたい」という意欲が湧き立つようにすごく考えています。

深い愛情を感じるなあ。だって、相手のことを思ったうえで、二人で大変な道に進もうとしてるんだから。

「外を歩きたくない」って言っていたときは、「パパと一緒に外をウォーキングしたいよね?」って、犬に話しかけました。すると加トちゃんは、「そこまで言うなら」という感じで外に出るようになりました。
今は毎日ウォーキングをしていて、週1回はパーソナルトレーニングにも通っています。75歳ぐらいから、ものすごく筋肉がついたんです。5・6年前よりも確実に元気になっています。

あえて手を出さずに待つのが大切なときもありますよね。
実はうちも今、娘に対して同じことを考えているんです。娘は料理を率先するタイプではないんだけれども、もう少し何かさせたいと思うわけです。でも娘にさせる方がかえって面倒くさい。カレーなんか「自分でつくった方がぜったい早いし」って思っちゃう。

そうですね、加トちゃんも最初は玉ネギを切るのがめっちゃ遅かったですよ(笑)。「それ刃進んでる?」ってやきもきしながら横で見ていました。でも加トちゃんは、自分でやると決めたらちゃんとやるんです。やらないと決めたらやらないけど…。気力をどこまで保てるかがカギです。
それから、「かっこいい」って常に言い続けています。そうしたら、最近「マジで」かっこいいんですよ!

愛がないとできないですね。

もちろんです。実は、加トちゃんとは終活の話もしているんです。加トちゃんは「自分が死んだら加藤茶として死にたい。“ハゲヅラ”でカチカチのまま『ペっ』てやって、最期、見た人にも笑ってもらえるようにしたい」って言います。「死ぬまで芸人でいたいんだ」って。

終活なのにネガティブさがないなあ。生粋の芸人さんですね。

加トちゃんの終活は明るいですよ。「死とは、生き切って次へ出発すること。自分が死んでも生まれ変わってまた綾ちゃんを探す。きっと一緒になれるから大丈夫」って言ってくれます。

おふたりの間で育まれた深い愛を感じます。これからも末永くお幸せに!

加藤綾菜
1988年生まれ。広島県出身。2011年に日本を代表するコメディアン・加藤茶さんと結婚。「45歳の年の差婚」として話題になるも、「財産目当て」や「保険金目当て」など、バッシングの嵐を経験。現在、加藤茶さんが元気でい続けるために、料理や介護を学ぶなどの献身ぶりが注目されている。食育インストラクター・生活習慣病予防アドバイザー・介護食アドバイザーの資格を取得。介護職員初任者研修と介護福祉士実務者研修を修了している。