鳥越さんの著書『がん患者』を読ませていただきました。鳥越さんのように何度もがんになって、4度も手術を受けて、それでも元気に復活されている方って決して多くないですよね。
本を出そうと思われたきっかけは何だったんですか?
週刊誌『サンデー毎日』編集長や、報道ドキュメンタリー番組『ザ・スクープ』の司会など、ジャーナリストやタレントとして幅広く活躍されている鳥越俊太郎さん。活躍の一方で、がんの闘病により大腸、左肺、右肺、肝臓と転移を繰り返して4度の手術を受け、さらに2019年5月にはジストの手術も受けていました。「2人に1人ががんになる」と言われる現代。がんを乗り越えることができた秘訣と、支えてくれた家族や医師について伺ってきました。
2005年9月、大腸がんの罹患をきっかけに始まった、がんとの闘い。仕事復帰して以降も、肺と肝臓に転移が見つかり、4回にわたる手術を受けた。大腸がんはステージⅣ。ジャーナリストとしてがん患者である自身を観察しつづけた、告知から始まる鳥越氏の闘病の全記録。
鳥越さんの著書『がん患者』を読ませていただきました。鳥越さんのように何度もがんになって、4度も手術を受けて、それでも元気に復活されている方って決して多くないですよね。
本を出そうと思われたきっかけは何だったんですか?
本を出す前に、「がんの話をしてください」という講演依頼がたくさん来ていたんです。
確かに、重いがんになっているにもかかわらず、生き残っている人って必ずしも多くない。講演会のように人前で話せる人となると、なおさら少ない。
それで、僕のところに話が回ってくるんです。そうやって講演会をしていくうちに、本を出すことになりました。
それだけ、多くの方ががんに関心を持っているということでしょうね。
そうですね。講演でも、「親族・友人・知人など、みなさんの周りにがんの方はいますか?」と聞いてみると、だいたい7〜8割が手を挙げるんです。
私の周りでも多いですよ。ただ、多くの人ががんになっていると理解はしていても、いざ自分がなってしまうと気づけない方も多いと思うんです。
鳥越さんは、どのようにしてがんに気づきましたか?
最初の変化は、ビールがまずくなったことでしたね。
決定的だったのは、トイレの水が赤く染まったこと。真っ赤ではなく、赤黒かった。その色を見て、痔のような病気ではなく、もっと体の中に病巣があると思いました。
そのとき、もう7〜8割はがんじゃないかなって疑いは持っていましたね。で、大腸の内視鏡で見てみたら、3.3cmくらいの腫瘍が見つかったんです。
ビールがまずい。食事も進まない。そうした総合的体調の変化がやはり何か異変を告げていた。 (『がん患者』p29より引用)
そのとき、もう「ステージⅣ」だったんですよね。
最初は「ステージⅡのB」って言われたんですよ。それから手術をして、大腸がんが左肺に転移していることがわかって、「ステージⅣですよ」と言われましたね。
がんの怖いところって、転移してしまうことですよね。
そうなんです。左肺の次は、右肺に。右肺については胸腔鏡手術で切除したところ良性だったんですけど、切除して調べなきゃわからないんですよ。
で、トドメは肝臓です。これは腹腔鏡手術では切除しきれないということで、お腹を38㎝切って、肝臓を70g摘出しました。
その手術は、全部カメラに記録して放送しましたよ。肝臓の色を灰色に変えたんですけどね。夕方の番組でしたから、夕食どきには生々しすぎるって(笑)。
本当にすごい!がんを公表して、さらに手術の映像まで公開された方は、ほかに記憶がないです。
けど、自分ががんであることを伝えるって覚悟がいりませんか?
そんなことを言っても、僕のように報道側にいる人間って、他人の都合の悪いことを取材することもあるじゃないですか。それなのに、自分の都合の悪いことが起きたら隠すっていうのだけは嫌だったんですよ。
だから最初のがんがわかったときから、「大腸がんが見つかりました。これから病院に入って手術をしてきます」と番組で伝えたんです。
私はどうしても伝えたかった。「私はがんです」と。がんという病からも、社会からも逃げているような姿は私の本意ではない。 (『がん患者』p87より引用)
いや~、なかなかできないなぁ。私でもがんになったら周囲には言えないだろうなって思います。ネットとかで書かれちゃうのも嫌ですし。
そりゃあ、この仕事をしていたらそんなこともありますけどね(笑)。
実は5月に、今度はジスト(GIST)ができたことがわかって手術したんですよ。
え、今年(2019年)の5月ですか!?知りませんでした…。
「ジスト」って何でしょう?
2019年3月に亡くなったショーケン(萩原健一さん)がジストでしたね。粘膜下の腫瘍です。
一般的にですけど、例えば多くのがんは、粘膜の上にできるもの。一方でジストは粘膜の下などにできるものです。10万人に1人くらいの珍しい病気で、ほとんど悪性なんですよ。
ずっと前にわかって様子を見ていたんですけど、5月に2cmくらいになっていて、医師に「どうしますか?」と聞かれたので、手術して切ってくださいと伝えました。これも記録は撮っています。
鳥越さんのご家族についても聞いてみたいです。はじめてがんだとわかったとき、奥様や娘さんたちのご様子はどうでしたか?
当然ですけど、ショックを受けていましたよね。はじめての手術で、がんが転移している可能性があるとわかって、医師に「根治はなかなか難しいかもしれない」と伝えられました。
上の娘は、旦那に肩を抱かれて、病院の外のベンチで泣いたそうです。下の娘は、家に帰って一人で泣いたと聞きました。
みんな、相当ショックを受けていたんです。本人が一番ショックを受けていない(笑)。
がんになられて、鳥越さんご自身が落ち込んだことはないんですか?
まったくないです。ま、なんとかなるだろうと(笑)。
不必要なマイナスの時間だったと言えるかもしれない。しかし、正直なところ、がんにいい経験をさせてもらったな、というのが私の本心である。 (『がん患者』p310より引用)
ええー!本当ですか!?
でも、その気持ちってすごく大事な気がします。もしものときは私も、そういうふうに思いたい(笑)。
そもそも鳥越さんって、紛争地帯などにも取材に行かれて、何度も危険な目に遭ってますよね。
そうですね。カンボジアのジャングルで、地雷を踏むかもしれない経験もしました。
ほかには、パレスチナやイラン・イラク戦争などで戦場に行きましたね。戦場に行かれた経験などをされているから、恐怖に耐性がついているのかなあ。
その当時は怖くなかったんですか?
怖い思いはしましたけど、深刻にビビってしまうことはありませんでしたね。
常に「なんとかなるやろう」「それで死にゃあせんわい」と思って、ここまで来てますから。
自分でも「どうしてかな?」って考えたことがあるんですけど、結局、根が呑気(のんき)で、ノーテンキなんです。
そんな状況で、そう思えるのがすごい(笑)。
でも、がんのステージⅣにもなると、5年生存率は17%ですよね。かなり深刻だと思うんですが…。
いざ心配しはじめたら、本当に大変じゃないですか。だから心配しないんです。
何回か、怖いことはあったんですよ。でも、深刻に考えないから忘れちゃうんです(笑)。
私はまだ大病をしたことがないんですけど、保険なんかはどうされていたんですか?
僕は全然知らなかったんですが、いつの間にか入っていましたね。家を訪ねてきた保険会社の人に妻が勧められて。
で、僕が知らない間に、ずっと払っていたみたい。
かなり助かりましたか?
3社くらいから60万円ずつ、全部で180万円くらい出たんですよ。
最初の大腸がんの手術費用が150万円くらいかかって、受け取ったのが180万円でしたから、30万円お釣りが出ましたね。
奥さまのお手柄でしたね(笑)。
でも、それからの抗がん剤は、毎月10万円かかりました。
うわー。やっぱり高いな~!
抗ガン剤に月10万円、漢方にも月10万円くらい払っていましたから、がんだけで月20万円。それを3年くらい。
保険があっても全然追いつかないんだけど、それでも手術は保険でカバーされましたから良かったです。
そんなに費用がかかるなら、一般の方は特に、入っていた方が良さそうですね。
そうですね。とはいえ、抗がん剤、僕には効かなかったんですけどね(笑)。
ええ!本当ですか?おかげで今があるというわけではないんですか?
そう言われると、効いていたのかもしれないけど…何の副作用もなかったんですよ。抗がん剤といえば、副作用じゃないですか。髪が抜けたり、めまいがしたり。そういうことが何もない。
それで医師にも、「鳥越くん、そこまで副作用がなくて普通に元気にいられるってことは、効いてないねぇ」って言われました。それでも月10万円(笑)。
免疫療法もとことん実践する。一方、西洋医学が最善とするものも拒まない。結果的にこうしたふたまた治療法が正しかったのかどうか、私もわからない。
(『がん患者』p274より引用)
抗がん剤もいろいろ種類がありますもんねえ。鳥越さんは、もともと体が丈夫なんですか?
自分では普通だと思うんですけど、確かに子どもの頃から風邪を引いたことがない。インフルエンザにもかかったことがない。人よりも免疫力が強いんだと思います。
何度もがんから生還されているのは、その免疫力も大いに関係してそうですね。
免疫力って、具体的には何でしょう。
免疫力って、簡単に言えば病気を見つけてやっつけてくれる仕組み。それがちゃんと働いていれば、急に悪くなることはなないと自分では思っています。
ちなみに、その免疫力って自分で高めることができますか?
できると思いますよ。僕の場合は、「一に食事、二に睡眠、三に運動」です。
まず、食事は野菜とお肉が中心で、ご飯をあんまりとらないように気を付けています。
次に、睡眠は6~7時間はとるようにしていますね。耳が悪いから耳鳴りが大変で、ときには睡眠導入剤を飲んででも強制的に寝ています。睡眠導入剤も、昔と今ではものが全然違いますよ。
睡眠って、本当に健康には不可欠ですよね。
私はがん闘病を通じて、やはり人間が本来持っている自らを治す力―免疫力についての認識を新たにした。これは様々な他の病気、そして人の生き方そのものにも関係しているものだと思っている。
(『がん患者』p274より引用)
最期は運動ですね。僕は70歳から現在まで、週に2回ほどジムに行っています。
この本の表紙もすごい体ですよね(笑)。腕の筋肉に触らせてもらって良いですか。うわ!すごい鍛えられてますね!
筋肉を見せたついで にですけどね、こっちが38cmほど切った肝臓の手術の傷痕です。
あれ!キレイですね、意外と…。
傷跡が目立たないように皮膚の裏側を縫っていく、「埋没法」です。美容整形などに用いられている縫い方ですね。
担当してくれた先生が、「埋没法でやりますね」と言ってくれて、1時間半くらいかけて丁寧に縫ってくれた。
甲状腺がんや乳がんなどになってしまったとき、そういうことを気になさる女性もいますから、それはとても価値のある情報ですね。
あと、大きな手術は良いお医者さんに当たりたいですよね。見分ける基準ってありますか?
僕は、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)っていう背中の手術もやっているんです。
最初は有名な病院で診てもらったんですが、その先生はまったく僕の方を見ず、コンピューターの方ばかり見ながら喋っていて「これはまずいな」「嫌だな」と思いましたね。
それでツテをたどって、千葉大学にセカンドオピニオンを聞きに行きました。その人はすごく良い先生だったので、千葉大学で手術しました。
なるほど…やっぱり会って対峙したときの、勘も大事なのかな。
そう思いましたね。もしかしたら最初の医者も、腕は良いのかもしれないけど、患者のことをあまり気にしていないような感じで見えちゃったから、大切な手術は任せられないですよね。
千葉の先生は本当にとっても良い先生で、僕はそれから3~4人、その先生に知人を紹介していますよ。東京から千葉はちょっと遠いけど、みんな良くなって帰ってきます。
人に紹介されると安心ですよね!
医者は、人から聞いていくのが一番。誰だって、何も知らない病院に行くのは不安ですよ。 それから、支えになったのは看護師さんの存在ですね。
看護師さんですか?あんまり考えたことなかったです。
だって医者は滅多に病室に来ないもの。
今の病状とか、これからどうなっていくのかとか、親身に話を聞いて、元気付けてくれるのは看護師さんですよ。
なるほど、実際に傍にいてくれるのは看護師さんなのかぁ。実際に病気になって入院した人じゃないとわからない視点ですね。
患者にとっていい病院かそうでないかは、もちろんいい医師がいることが大前提だろうが、看護師の質―よし悪しがけっこう決め手になりそうだ。
入院中、医師と顔を合わすのは朝夕一回ずつ、数分程度だが、ナースは一日中、患者の身の回りをケアしてくれる。
(『がん患者』p111より引用)
鳥越さんは、がんを通して命というものに向き合われてきたわけですよね。6月に放送されたNHKスペシャルの『彼女は安楽死を選んだ』は、ご覧になりましたか。
見ましたよ。難病を患った日本人女性が、自分らしさを保ったまま亡くなりたいと願ってスイスで行った安楽死のドキュメント。あれは衝撃的でした。
僕個人の考えですが、無理に命を伸ばすような処置はやめてほしい。
すでにエンディングノートに、遺書のように自分の意思を書いています。
確かに、それは必要なことかもしれませんね。
今はがんだけじゃなくて、認知症になる方も増えていますから。
認知症になると、最期を自分で選択することが難しくなる。だから認知症になるとき、なりかけたとき、なりそうになったときに、自分の意思を残していくしかない。
僕は海外旅行に行くたびに、そうした意思を伝えるための手紙を、娘二人に書いているんです。
わ、これ実物ですか?4通もありますね!
封筒の厚さが違うように見えますけど…内容は毎回、違うんですか?
封をしちゃうので、何を書いたか忘れちゃうんだけどね(笑)。1通目よりも、4通目の方が明らかに厚くなっている。
最初はね、家や別荘、車などの財産をいかに処分するかといった内容が多かったと思うんです。
でも最近は、自分のこと、例えば認知症になったときのことを頼まなきゃならなくなった。家族が困らないようにね。
旅行の前に、というのは良いキッカケかもしれませんね。
鳥越さんは一度、お目にかかったことはあったんですが、そのときはほとんどお話ができなくて。
ジャーナリストということで、勝手にもっとお堅い感じの方かと思っていたのですけど(笑)。
よく、そう思われるんですけど(笑)。呑気で、ノーテンキな男なんです。
それがお元気の秘密ですもんね。これからも、ますますのご活躍を楽しみにしております。
1940年生まれ、福岡県出身。京都大学文学部を卒業し、毎日新聞社に入社。社会部や外信部(テヘラン特派員)、サンデー毎日編集部に勤務し、サンデー毎日編集長へ就任。毎日新聞社を退社後は、ニュースキャスターやコメンテーターとして報道番組に多数出演。2005年以降、直腸がんや肺、肝臓に転移が見つかり、手術を受ける。現在も講演会や執筆活動など、精力的に幅広く活動している。