後鳥羽法皇にまつわる名所がたくさん残る町です

隠岐諸島の中で中央部分に位置する、海士町。
中ノ島を中心としてされている町で、その東側に浮かぶ松島などを町域に含みます。
町内のほとんどの土地が山林地帯で、集落などは中ノ島の北部に集中しています。
海士町は、隠岐神社が鎮座する町としてよく知られてきました。
この神社は、建造されてからまだ1世紀と経っていません。
しかし、その背景は古く鎌倉時代前期にさかのぼります。
この神社の祭神は、承久の乱で流罪となった後鳥羽法皇。
後鳥羽院が荼毘に付された際の火葬塚が、神社のすぐそばにあります。
この土地では、長い間法皇にまつわる祭祀が続けられてきたため、昭和初期に新たに神社が創設されるに至りました。
現在は、参道に桜が大量に植えられていることから花見の時期になるとおおぜいの見物客が押し寄せます。
このほかにも、後鳥羽院が配流されて初めて訪れたと伝えられる三穂神社や、法皇ゆかりの品々が展示されている資料館などがたくさんの観光客の注目を集めてきました。
隠岐諸島は独自性の高い文化を受け継いできたことで有名です。
中ノ島をはじめと島前三島で継承されてきた文化に、隠岐道前神楽があります。
これは、各地の神社で定期的に奉納されてきたもので、昭和半ばに県から無形民俗文化財の指定を受けました。
海士町は、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲ゆかりの土地でもあります。
19世紀末期に海士町を訪れた際に、町内北部に位置した岡崎旅館に宿泊しました。
この旅館は残存しませんが、その跡地は八雲広場と命名されています。
さらに周囲は佐渡公園として整備されており、ご見物はとても簡単です。
海士町は鉄道が走っていないため、町民の移動はタクシーやバスが主流です。
路線バスについては、隠岐海士交通が運行するサービスをご利用できます。
町外への移動の際は、隠岐汽船が運航する航路をご利用可能です。
本州本土にご用があるときは、松江市や境港市に直行していただけます。
海士町の人口は、数十年前から減少していますが、今世紀に入るとその勢いはどんどん衰えました。
現在は横ばいに近い状態となっています。
2023年には人口2,238人との調査結果がでました。
高齢化率については同年に、39.9%という記録が公開されています。
これから海士町にて介護施設へのご入居をご希望でしたら、グループホームや特別養護老人ホームなどにご入居ができます。
1軒ずつよくご覧になってから決意していただくことが大事です。