このコーナーで先生とお話をさせていだけるのは、とても光栄です。先生の作詞作品集である『歌いながら歩いてきた』までプレゼントしていただき、感無量です。
小説、作詞、コラム、講演、インタビュー、対談、紀行文、ロシア文学……。幅広いジャンルで精力的な創作活動を続ける五木寛之さんが今回のゲスト。なぜ書くのか。五木さんは半世紀以上にわたる作家としての歩みを振り返った『作家のおしごと』を発表しました。いったい、どんなことを思いながら書き続けてきたのか。漫画家くらたまと語り合いました。
- 構成:みんなの介護
小説、作詞、コラム、講演、インタビュー、対談、紀行文、ロシア文学……。『さらば モスクワ愚連隊』での鮮烈なデビュー以降、実に幅広く多彩な活動を繰り広げてきた五木寛之氏。なぜ書くのか。さまざまなことに取り組む理由は何か。多彩な作家活動を支える根っこのところにある思いとは。半世紀以上にわたる作家としての歩みを改めて振り返り、こだわりのジャンルと作品を紹介しながら創作活動への思いを語る初の「職業的自伝」。
対談は「面授」の機会


僕は、対談はすごく大事だと思っているし、倉田さんのお仕事も存じあげていましたから。漫画は一コマずつ背景まで「ガン見」するんで、読むのに時間がかかるんですけどね(笑)。
『だめんず・うぉ〜か〜』も、読むのに2晩くらいかかりました。

ありがとうございます。先生は、いろんな方と対談されていますよね。

そう。対談した人は、今までで1500人くらいにはなるんじゃないかなぁ。

すごいですね。ご著書『作家のおしごと』には、村上春樹さんとの対談のほか、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとの対談の思い出などについても書かれています。

そうですね。一期一会の対談で、たくさんの人にいろんなことを教えてもらいました。もう亡くなっている人も多いから、対談集は作れないんだけど。
仏教には「面授(めんじゅ)」という言葉があって、対面して直接に授かることをいいます。これがとても重要なんです。
そもそも仏陀の生涯も問答と説法、つまり講演と対話でしたし、ソクラテスも道を行く人に問いかけていました。
人と直接会って話すことと、「思いもよらない人」と話すことは、とても大切なんです。
表現の基本は対話、やりとりです。本当に大事だと思うから誰かに話す。ですから人としゃべることが表現の基本なのだと思う。今考えていることを、独り夜中にメモしたって、あまり面白くない。大きい意味での世界の教えというのは、ほとんどが誰かに対して語りかける問答、スピーチです
(『作家のおしごと』P86より引用)

なるほど。たしかに、いろいろな人と話すことは勉強になりますね。『みんなの介護』のオファーをいただけたこと、とても合点がいきました。
いろんな人にお会いになることも、先生のお元気のもとなのでしょうね。
「書くことしかできないから、作家になるしかなかった」

介護はやはり課題も多く、心身ともに袋小路に入っている方も多いようです。
どうすれば先生のように健やかに生きられるでしょうか?

今は100歳以上のお年寄りも多く、介護は大問題ですよね。僕自身は両親を早くに亡くしていて、それはそれでつらいことも多かったけれど、介護は経験していないんです。
今は家族ではなく社会が介護する時代になって、高齢者がどういうふうに生きていかなければならないのかは、すべての人が考えるべきことです。誰もが通る道ですからね。

そうですね。みんなに関係があります。

最近は保育園と見間違えるような外装の老人ホームもあるみたいだけど、認知症の高齢者にもプライドがあります。小さな子に話しかけるように高齢者に接してはダメでしょう。
ある方は、「デイサービスの施設でタンバリンを持たされて涙が出た」とおっしゃっていました。もっと社会の問題として向き合っていくべきでしょうね。
まあ、あんまり介護とか真面目な話は、僕は苦手でね。むしろ介護される年齢だから(笑)。

そんなことないですよ(笑)。ずっとお元気でお仕事をされていますよね。おもしろいことを書き続けられる意欲は、どこから湧いてくるのですか?

もともと書くことが好きだということもありますが、基本的にはずっと仕事としてやってきました。大学は「横」に出てしまいましたが、学生時代から卒論の代筆とか、字を書いてお金をもらっていたんです。
ちゃんと卒業した友だちはみんな会社に就職したけど、学歴のない僕は書くことしかできないから、作家になるしかなかった。体力のある人は力仕事に就けばいいし、歌がうまい人は歌手になればいいのと同じですね。

なるほど!

僕の両親は学校の教師で、学内の図書館の管理もやっていたので、子どもの頃は勝手に入って本を読んでいました。あんまり体力もないから、書くことで食べていくしかなかったんです。

本当におもしろいものをたくさん書かれていますよね。そんなに稼いでどうなさるんですか?
「もう書かなくてもいいかな?」とはならないんですか(笑)?

いや、もうずっと自転車操業で(笑)。僕の世代の作家は「貯金」という感覚もなくて、入ったものは使ってしまうんです。井上靖さんが1991年に亡くなったときは、通帳に80万円しかなかったそうです。

あの井上靖さんも?

昔はみんな税金を払うのに銀行でお金を借りていたくらいでしたからね。僕の場合は、書くことが好きというより、食べていく道でした。
CMソングも一日に2つくらい書いていました。同世代の井上ひさしさんや野坂昭如さんたちも子ども向けの番組を作っていましたし、みんなが食っていくのに一生懸命だった時代ですね。

なるほど。CMソングから歌謡曲まで作詞もたくさんされていますよね。『作家のおしごと』にも「なんでもする、いろんなことをする。それが作家のおしごと」と書かれています。

歴史学者の網野善彦さんによると、かつて「百姓」は「ひゃくせい」といって、農業だけではなくて漁をしたり、職人や商人としても生きていたそうです。ですから僕も自分を「百姓」だと思って、書くことに関連したいろいろなことをしているんです。
音楽やテレビの仕事も楽しくて、元気が出ますね。国内の古寺を回る『百寺巡礼』は、カメラマンと構成を考えるのもおもしろかったです。昔はめずらしかったハイビジョンで撮ってますから、今見てもとても美しい映像です。
建前は一応小説家になっているけれど、対談や講演もし、テレビの出演やラジオの仕事もする。新聞に雑文の連載を持っていたり、歌謡曲を作ったり。そうして何かを世間に投げ返す。それはいうなれば、芸人の仕事ですね。だからぼくは文学者といいません。自分のことを文芸者というのです。いわば文の芸者ですね。
(『作家のおしごと』P19より引用)

どっぷりお仕事されているんですね。飲みに行ったりゴルフをしたりとかはなさらないんですか?

いろいろなことを同時並行でやっているから、そんなに遊びには出かけないですね。僕は人とは広く浅くつきあうほうで、いわゆる文壇バーもあまり行ったことがないんです。
荘子の言葉に「君子の交わりは淡きこと水の如し」とあるように、あんまりべたべたすると続かないでしょう。親しくても年に1回会うくらいです。
麻雀は、作家の阿佐田哲也さん(※)などの友だちと雑談をしながらするのが好きだったのですが、そうした仲間も亡くなってしまいました。※作家・色川武大の筆名
そもそも書くことは僕にとっては「たつき(※)の道」なので、「これで食っているんだから真面目にやらなきゃ」と思っている。ですから、あんまり遊び歩くというのはないんですよ。※たつき…生活の手段、生計

真面目に!それはとても重要ですね。
人生は「Keep On」

いくら自分が書きたくても、読者につまらないって言われたら書けないですよね。先生がずっとおもしろいものを書かれているのは、本当にすばらしいです。

僕は「他力主義者」なんで。読者に背中を押されて書いていると思っています。「他力」とは、「目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えている」という考え方ですね。
もちろん時代の要請もあります。既に活字が中心の時代は終わっていますが、これは時代の流れです。それでも活字の文化は細く長くは続いていくと思います。「主役」は時代に応じて変わっていくんですが、僕は読者に「もういい」と言われるまでは書いていきたいですね。

時代の流れってたしかにありますね。

何度か来日もしているアメリカの有名なジャズドラマーのジーン・クルーパが、日本の若いジャズメンへのアドバイスとして「Keep on」と言ったのだそうです。
続けること。ただそれだけを言われたんですね。僕もそれを聞いて、ずっと「Keep on」です。

なるほど。続けることは本当に大事ですね。

長く続けてきた仕事は、けっこうあります。『日刊ゲンダイ』のエッセイは創刊のときから40年以上、毎日書いていて、今も毎日午前零時までに手書きで原稿を書いて送っています。ストックはなくて、毎日新しいことを選んで書いている。

そんなに続いているんですか?

そうですね。だいぶ前に1万回を超えました。
あとは「九州芸術祭文学賞」(九州文化協会主催)の最終選考委員は50年続けています。この賞は応募者が九州・沖縄在住者に限定されていて、芥川賞作家も何人も輩出しているんですよ。

50年!

ほかにもいくつかの文学賞の選考委員をさせていただいていますが、新しい作品も読めるし、普段は会わない作家とも会えるので、楽しい仕事ですね。
やめたくないんだけど、そうすると新しい人がいつまでも入ってこられないし(笑)。

先生にはずっと続けていただきたいですよ。
お金だけじゃない「こころの相続」がある

高齢者に関して言うと、最近は「こころの相続」に注目しています。
たとえば僕は魚を食べるのがとてもヘタなんだけど、ある若いカップルと食事をしたときに、その女性がとてもきれいに魚を食べていて、驚いたことがあります。
それで、彼女は「小さな頃からきれいに食べるように母親から厳しく言われていて、母はそのまた母から厳しく言われていた」と言うんですね。
この人は、親からいいものを相続しているんだなと思った。僕も両親が生きている間にもっとたくさん話を聞いて、「相続」しておけばよかったと後悔していますけど。

なるほど。お金だけじゃなくて、そういう相続もあるんですね。

うん。僕の場合、母がなぜ教師を目指したのか、父とどうやって知り合ったのか、といったことをなにも知らないんです。それと、母の本棚には林芙美子やモーパッサン、パール・バックなどが並んでいたけれど、どんな風に読んでいたのかも聞きたかったですね。
だから、今の若い人たちには、「親の話をたくさん聞いておきなさいよ」といつも言っています。

そういうの、みんなが忘れてますよね。私も思い当たることがいっぱいあります…。

あとは、戦争などの歴史ですね。子どもたちが修学旅行で語り部の話を聞かないといった話もありましたが、それでは戦争の相続ができないままになってしまいます。
歴史というのは、本来はおおげさなものじゃない。それぞれの生活がそのまま歴史になるんです。本に書いてあるのは、年表をまとめただけでね。
たとえば僕が子どもの頃には、お米を食べた記憶がありません。押し麦や粟、コーリャンなんかが入っていた。食べ物の話一つとっても、それが「歴史」からは抜け落ちている。

本当にそうですね。

もちろん話すほうにも工夫がいります。自慢話ばかりだと嫌がられますから(笑)。仏陀は話に工夫を凝らしていたんですね。そうしないと聞いてもらえません。
話を「聞く」という介護

短い間でしたが、私も父から相続したものもあります。本を粗末に扱わないとか、詩吟などですね。最近の歌は忘れても、子どもの頃に詩吟で覚えた「去年の今夜 清涼に侍す……」などという菅原道真の漢詩などは忘れない。
自宅で母が北原白秋や西城八十の童謡をオルガンで弾くのを聞いていたことも、今思えばそうですね。
1965年に発表された『ねむの木の子守歌』は、当時の美智子妃殿下が高校時代に作詞された作品で、B面は僕のつくった童謡『雪がとけたら』だったんです。童謡を書くようになったのも母から相続していたものの影響かもしれません。
相続というと、どうしてもお金の話になるけど、生きている人に体験を語って引き継ぐのも相続なんです。

亡くなった母方の祖母は詩吟をやっていたので、その話を伺ってとても残念です。祖父は今年101歳で、戦争も体験しているので、聞いてこようと思います。

ぜひ聞いてください。フィジカルな介護も大事ですが、心の介護も大事です。話を直接聞くことは介護になるし、学問にもなります。書いたものに重きを置かず、まずは話を聞くことから始めるといい。
聖書だって、キリスト本人は一文字も書いてないでしょう?活字とはあくまでも代用品で、話を直接聞くことに意味があったんです。
仏教の経典も書き始めは「如是我聞(にょぜがもん)」で、これは「私はこのように聞きました」という意味です。
万葉集も、本にまとめたものを読むのではなくて、メロディをつけて歌を詠むことに意味があります。かつては言葉よりも前に歌があったと思います。経典も万葉集も本来の姿を思って読むのがいいですね。
「病気を治す」とよく言うけれど、ぼくは「治す」というふうには思わない。政治の「治」は、「おさめる」と読む。人間は生まれたときから病人なのだから、なんとかそれを治める方向で八十六年、生きてきた。これから先も高齢化に伴う問題が次々と出てくるでしょうが、それを治めていく
(『作家のおしごと』P80より引用)

今は、他人の話をまったく聞こうとしないですよね。

心の介護として、その人の心にしまいこんだへそくりを聞いてください。
歴史とは、その人その人の暮らしの記録です。戦争の歴史も相続してほしいですね。
誰にでも語りたいという気持ちはあるし、聞いてくれる人がいれば、脳も活性化されます。精神的な介護を通じて、その人をいきいきさせていくんですから。
- 撮影:荻山 拓也

五木寛之
1932年、福岡県生まれ。作家。早稲田大学露文科中退後、業界紙記者、ルポライター、作詞家などを経て、66年に『さらば モスクワ愚連隊』で小説家デビュー、同作品で小説現代新人賞を受賞。67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門』ほかで吉川英治文学賞を受賞。2010年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。その他代表作に『風の王国』『戒厳令の夜』『デラシネの旗』『大河の一滴』など多数。仏教がテーマの著作、時代や社会を映したエッセイ、対談など幅広いジャンルで精力的な創作活動を続ける。