こんにちは。甲斐・広瀬法律事務所の弁護士で、「介護事故の法律相談室」を運営している甲斐みなみと申します。
今回は、帰宅願望などによって、認知症患者が施設の窓などから自分で外に出て転落したケースの賠償責任について、解説したいと思います。
認知症の周辺症状「帰宅願望」
認知症の周辺症状に、帰宅願望があります。帰宅願望は、夕方から夜にかけて出現しやすく、「夕暮れ症候群」とも呼ばれます。病院や施設など自宅以外の場所にいるときだけでなく、自宅にいる場合にも起こります。実際に外に出て行ってしまい、帰る場所を探し求めて徘徊することもある症状です。
帰宅願望が生じるのは、認知症の方が今どこにいるのか、なぜそこにいるのかわからず、不安を感じるためだと言われています。また、慣れない場所や環境にいると落ち着かず帰りたくなったり、昔の記憶や習慣で夕方になると「帰らなければ」「食事を用意しなければ」と考えてしまう場合もあるようです。
帰宅願望に対しては、「閉じ込める」といった行動を抑制しようとする対策は逆効果。よりその願望を実現しようとする危険があるとされています。帰りたい気持ちを受け止めたうえで、ご本人の関心のある話題に切り替えたり、不安を取り除くような会話をすることが良いようです。
帰宅願望による転落事故の事例
認知症の方にとっては、「家に帰りたい」という気持ちは切実で、ときに思いもよらない方法で外に出ようと試みることがあります
例えば、次のようにさまざまな手段を試みたとしましょう。
- 玄関から出ようとするけれど施錠されていて出られない。
- エレベーターで降りようとするけれど、エレベーターのボタンが効かない。
- 非常階段から降りようとするけれど施錠されている。
- 職員に家に帰ると訴えても帰らせてもらえない。
こうして、あらゆる出口が封じられた結果、最終的に窓から外に出ようとして転落する事故は決して少なくありません。
では、施設などに入所していた認知症の方が、自分で窓から外に出ようとして転落した事故の場合、施設側の責任はどうなるでしょうか。東京高裁平成28年3月23日判決(原審東京地裁立川支部平成26年9月11日判決)を基にした事例で、検討してみたいと思います。
Aは2年前から認知症となり、要介護度2に認定され、最近は徘徊も見られます。夜間に外出してしまい、警察にお世話になったことや、ほかの施設からショートステイ利用を断られたりもしました。XはAの状況をYに説明し、AはYの運営する介護老人保健施設の認知症専門棟にショートステイすることになりました。
1回目のショートステイで、Aは何度も帰宅願望を訴えていました。玄関に通じる扉をガンガン叩いて開けようとしている場面もありましたが、施設職員の声かけによりしばらくしてから落ち着きを取り戻しました。
2回目のショートステイでも、Aは何度も帰宅願望を訴えています。3日目には、強い帰宅願望から、大声で暴言を吐いたり、窓ガラスやエレベーターを叩いたりしました。職員の対応では収まらなかったので、家族に電話をし、ようやく落ち着きました。事故当日となった6日目の夕食後、Aがエレベーターに向かって廊下を歩いているところを職員Zが確認。しかし、ただ歩いていただけだったので、Zは声かけなどをしませんでした。その約20分後、Aは2階食堂の窓(以下:本件窓)から雨どい伝いに降りようとして地面に落下し、翌日死亡しました。
食堂への入り口扉は、通常は施錠されていましたが、事故当日は食堂内のテレビでオリンピックを観戦している利用者がいたため、施錠されていませんでした。本件窓は、床から高さ約90センチの位置にありましたが、本件窓の下に高さ約80センチのキャビネットがあり、これに乗れば窓から体を出すことは容易でした。
本件窓には、施設開設当初から「開放制限措置」として約75ミリまでしか開かないようにプラスチック製のストッパーが設置されていました。しかし、利用者が窓を開けようとして破損することが続いたため、別のストッパー(以下:本件ストッパー)に変更されました。ところが本件ストッパーは、中間止めを想定して製造されたものではなく、約75ミリの位置で中間止めした場合、本件窓をコツコツと当てるとずれてしまうものでした。そのため、本件事故後はストッパーがずれて約210ミリ開いていました。
施設や職員がとった対応を問う安全配慮義務違反
まず、第15回、第17回、第18回でも検討したような、一般の安全配慮義務違反による損害賠償請求が認められるかどうかを検討してみましょう。
本件事故の約20分前に、Aが廊下を歩いているのを施設の従業員Zは見ています。Xにしてみれば、「そのときZがAに声をかけて居室に戻してくれたら、この事故は起こらなかったのではないか」という気持ちになるでしょう。Xはそのように主張して提訴しました。
安全配慮義務違反ないし注意義務違反については、第15回の転倒事故の解説でも述べたように、結果を予見することができたか、または結果を回避でき、回避すべきだったのにそれを怠ったのかがポイントとなります。
上記事例の一審判決(東京地裁立川支部平成26年9月11日判決)では、たしかにAは帰宅願望が強かったが、職員や家族からの声かけでその都度落ち着いており、今まで窓から外へ出ようとこじ開けたりしたことなどなく、そのようなAの行動を予見することは不可能。廊下を歩くAを見かけたからといって、Aが入眠するまで見守りなどをすべき義務があったともいえないとして、Yの賠償責任を否定しました。
事業者が安全性を考慮しなくてはならない「工作物責任」
では、工作物責任はどうでしょうか。
民法717条1項は、「土地の工作物の設置又は保存に瑕疵(かし)があることによって他人に損害を生じたときは、その工作物の占有者は、被害者に対してその損害を賠償する責任を負う。ただし、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは、所有者がその損害を賠償しなければならない」と定めています。
建物の壁が崩落して通行人に当たったとか、公園の遊具が壊れていて子どもが負傷したというような場合に適用されます。土地の工作物に「瑕疵」さえあれば、過失を要件とせずに賠償が認められます。
「瑕疵」というのは、工作物が通常有すべき安全性を欠いていることです。この「通常有すべき安全性」というのは、どの場面でも一律の基準ではなく、その工作物の種類、性能、設置場所、使用方法に応じて個別に判断されます。子どもが遊ぶ場所かどうか、認知症患者がよく使用する場所かどうかなど、場所や使用目的ごとで求められる安全性が異なるというのがポイントです。
東京高裁が不適切だと判断したポイント
実は、上記事例の基となった事案では、一審で工作物責任の主張がされていませんでした。そのため、工作物責任については裁判所の判断がありませんでしたが、控訴審になって、工作物責任の主張が追加されたのです。
東京高裁平成28年3月23日判決は、介護施設で認知症患者が帰宅願望によって窓から脱出を試みて転落する事故があることは、以前から報告されていることを指摘。次のような判決を下しました。
「認知症患者の介護施設においては、帰宅願望を有し徘徊する利用者の存在を前提とした安全対策が必要」
「2階以上の窓という、通常は出入りに利用されることがない開放部から建物外に出ようとすることもあり得るものとして、施設の設置または保存において適切な措置を講ずべき」としました。
そして、本件窓については、具体的に次のことが不適切だと指摘されました。
- 本件窓の下にあるキャビネットに上がれば窓から体を出すことが容易であったこと
- 本件ストッパーは本件窓をコツコツと当てることでずらすことができたこと
- もともと中間止めは製造業者の想定した使用方法ではないこと
こうして、認知症患者の介護施設の窓の開放制限措置としては不適切で、通常有すべき安全性を欠いていたとして工作物責任を認め、YはAの死亡による損害を賠償する責任があると判断されました。
窓のストッパーに関する同種の判例
認知症対応型共同生活介護サービスを提供するグループホームの2階居室の窓から利用者が転落した事故に関し、東京地裁平成29年2月15日判決も、同様に工作物責任を認めています。
この東京地裁の事案でも、開放制限措置として窓が少ししか開かないようにストッパーが設置されていました。しかし、そのストッパーは中間止め用のものではなく、窓がまったく開かないように設置することを想定していたもので、強く引っ張れば外れる状態でした。また、ストッパーは窓の下にしか設置されておらず、上側には設置されていませんでした。
このようなストッパーの設置の仕方では、認知症患者が利用する施設としては、帰宅願望により窓から脱出を試みる危険に対する対策としては不十分。通常有すべき安全性を欠いていると判断されたのです。
介護事業者は工作物責任の判例を参考に対策を
一般に、介護事故では、当該利用者の身体・精神の状態に応じ、どのような安全配慮をすべきであったかが問題となります。事例ごとに求められる安全配慮義務や注意義務の内容は異なるのです。一定の類型化は可能ですが、ある事例の判断が別の事例にそっくりそのまま当てはまるというものではありません。
これに対し、工作物責任の場合は、認知症患者一般に認められるリスクに対応した施設の安全性が要求されるものです。ある施設で認められた工作物責任は、他の施設にも妥当する可能性が高いため、介護事業者としては、判例に応じた対策を講じておく必要があります。
なお、窓の開放制限措置(ストッパーが外れてしまわないか、中間止めに対応できるストッパーか)のほか、通路の段差(東京地裁平成13年5月11日判決)、出入り口付近の凸状の仕切り(福島地裁白河支部平成15年6月3日判決)などでも工作物責任が認められています。
こうした判例を参考にして、介護施設事業者は安全な施設・環境づくりを進めていきましょう。